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つながりと結節点の学 | ハイデル日記 『越境の文化学』

実は、ずっともやもやしていたことがあった。

オランダでの3年間のリベラルアーツ型学士号で人類学や哲学を学んで以降、世界を謙虚な目でとらえなおそうとすると、よく「相対主義」という大きな壁にぶちあたる、ということだった。どういうことか?

たとえば、日本における捕鯨を例にあげてみよう。日本では古くから捕鯨がおこなわれてきた。しかし近年、環境NGOなどがその過度な捕獲量と残酷な手法を批判し、国際社会(IWCなど)からプレッシャーを受けるようになる。彼らの主張の根幹にあるのは、動物愛護(クジラという哺乳類は知能がきわめて高い)や生物多様性の保持(絶滅危惧種の保護)といった、「普遍的な」倫理観である。それに対して日本(政府や捕鯨協会)の主張はシンプルで、「我々の文化だから」ということ。この場合、どちらが正しいのか?

この日本側の主張が象徴する相対主義(=「みんな異なる文化をもっているのだから、優劣つけず、リスペクトしあうべきだ」)には、ひとつ大きな欠点がある。それは、諸文化や思想、伝統のあいだには埋められない差異が存在し、互いの世界に干渉することができない、という袋小路を提示することである。

しかし僕らはいま、あらゆる視点や価値観、慣習や営為が錯綜したグローバルな世界に生きている。そこでは、無数の境界線が入り混じり、溶け合い、あるいは壁を築きあいながら、受容と拒絶と交渉と変化のはざまでインタラクションが生まれつづけている。

こうした現代社会を地球規模でとらえるーー文化相対主義にひとつのオルタナティブを提示するーーうえで、僕に一筋の光を差ししめしてくれたのが、ここハイデルベルクで副専攻している「トランスカルチュラル・スタディーズ(Transcultural Studies、越境の文化学)」だった。

インターカルチュラル(異文化間的)でも、マルチカルチュラル(多文化的)でも、クロスカルチュラル(比較文化的)でもなく、トランスカルチュラル。この学際的な学問は、僕が人類学者(のたまご)として抱きつづけていた違和感を少なからず解消してくれた。いったいなにがそんなに衝撃的だったのか。この記事では、冬学期に受講したイントロダクションコースで僕が学んだこと、感じたことを少しだけ紹介したい。

「文化の学」から「文化を越えた学」へ

学部内でゴスペル(呪文?)と呼ばれているプログラムの説明文の一部をHPより抜粋してみた。

“… based on the perspective that cultures are not contained within ethnically closed, linguistically homogenous and territorially bounded spheres. Instead they are constituted through transformations and entanglements that follow from contacts and relationships between various agents, concepts and institutions.”

訳すと、

「諸文化が、民族的に閉鎖的で、言語学的に同質で、領土的に制限された諸領域ではなく、あらゆる行為者や概念、そして慣例間の接触と関係から生まれる変化やかかりあいを通じて構成されているものである、という視点にもとづいている」

なんだかややこしい紹介文のようだけど、これはつまり、「文化」というものの今日の支配的な理解に対して一種のアンチテーゼを提示しているのである。

英語のcultureという単語は、ラテン語のcolereから派生していて、cultivateなどと同じ語源だ。つまりもとは「耕す」みたいな意味なのだが、その「世話をする」「成長を促す」というニュアンスが、16世紀にもなると「人間としての成長や発展」という文脈に拡張されるようになる。

その後、近代を通じて「文明(civilization)」とも密接に結びつき、ある種の「生き方」や「知的・美的な活動」などという意味と同義的になっていく。こうした文化の理解は、多くの人に生きる目的や精神的な価値基準を与えた一方で、欧州の対内では階級差別、対外では植民地支配、帝国主義の原動力としてもはたらくことになってしまう(the cultured=文化人、の反義語は、the savage=未開人、野蛮人)。

19世紀後半から20世紀にかけて、「文化」を分析する学として考古学、歴史学、人類学などが盛り上がりをみせていくのだが、特にこの時代の人類学において特徴的なのは、文化とは上のような文明的・知的な(=欧州中心的な)物差しで測れるものではなく、コロンビアの先住民も、パプアニューギニアの部族も独自の文化をもっている、つまり、文化は多様なものであり、この現実を真剣に受けとめるべきだ、というスタンスだった。この革新的な考え方は次第に広く受けいれられ、現在にいたるまで多くの文化専門家が意識的、あるいは無意識的に、この土俵のうえで相撲をとりながら、あれこれ難しいことを論じている。

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人類学者フランツ・ボアズは、文化的な白人と野蛮なその他、という人種差別的・白人至上主義的な一般論を批判し、文化の多様性(multiplicity)を唱えたのだが、当時こういった視点はすぐには受けいれられなかった。主な著書に『The Mind of Primitive Man』(1911年)。出典:Wikipedia

この土俵が、冒頭で僕がもやもやと表現した、いわゆる文化相対主義なのである。「互いを対等に扱うべきだ」という主張は一見反論の余地のないように思えるが、裏を返せば、「あなたと私は違う意見をもっているのだから、あなたにつべこべ言われる筋合いはない」ということだ。カップルの喧嘩、あるいは国家間の核廃絶議論にそっくりではないだろうか?このふたつに共通点があるならば、こうした会話はたいてい未解決のまま、後味悪く終わってしまうということだろう。

話を本題に戻すと、こうした歴史の流れが、諸文化を「民族的に閉鎖的で、言語学的に同質で、領土的に制限された諸領域」と理解するよう作用してきたということがいえる。ニュース番組やYouTuberが「日本文化は素晴らしい」などと口にするとき、どれだけの人がアイヌや琉球民族や在日コリアンのこと(民族)、アイヌ語や琉球方言やコロニア語のこと(言語)、ハワイや南米の日系人コミュニティや台湾などの旧植民地のこと(領土)を頭に入れて「日本文化」という表現を使っているだろうか?

そこで「トランスカルチュラルな視点」が提案するのが、以下のようなポイントだ。

- 長期にわたる接触や関係から生まれるカルチュラル・トランスフォメーション(文化的な変容)の過程を考察する
- 「人間は、必ず以前から他の人間や非人間の環境とのインタラクションの中にある」というダイナミックな社会存在論を出発点とする
- すなわち、文化的な形態とは常に流動的かつ不安定なものであり、したがって、諸文化は人間活動の前提条件ではなく、産物であるという存在論を強調する
- そのため、微妙な差異や語彙を包括した新たな類型学を展開し、多様な時代・地域のケーススタディをもとにこの類型学を実験・精錬していくこと

つまり、越境文化学とは、グローバルな視点に立ち、諸文化を独立した箱ではなく、ダイナミックで可変的な過程としてとらえる、つながりと結節点の学といえるだろう。

これだけだとまだ意味不明かもしれないので、二つの例とともにこの学の実態を立体化させていきたい。

視点1:「知の共生産」とは

知(knowledge)は、いかにして生まれるのか?

まずはこの大きな問いから向き合ってみたい。知と聞くと、その典型として多くの人がイメージするのが「科学的な知識」ではないだろうか。今日、「リンゴを手放すと地面に落ちる」ことは物理学、「需要が増えると価格が落ちる」ことは経済学における研究の結果、普遍的・絶対的な事実として受けいれられている。こうした知識を体系的に生産しようとしてきたメインアクターが主に欧州の「科学者」たちで(自然・社会科学者両方)、功績のほとんどが彼らに帰属されてきた。

しかし知とは、本当に功績が認められた人をしかその生産者と呼ぶことのできないものなのか?

まずは植物学からみてみよう。大航海時代以後、世界中に駆り出した欧州人にとって、もっとも重要な関心ごとのひとつが植物学だった。有名なプロイセン(ドイツ)の博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトは、18世紀終盤から19世紀初頭にかけて南米などの”未開地”を周遊し、まるで見たこともないあらゆる植物を紙とペンを片手に記録していく。

ただ、当然のことながら、その植物のほとんどを彼は知らない。どの土地特有の種なのか、どの季節に花を咲かせるのか、医療的にどんな治癒力を備えているのかなど、肝心な情報の多くは土着の民に訊いてまわる必要があったのだ。そしてフィールドワークを終えたフンボルトは、大量のメモと標本を船に積みこみ帰欧。編纂した書物を学界などに出版し、著名な科学者として名声を轟かせていく。

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アンデス山脈のチンボラソ火山のふもとで調査を行うフンボルトの絵画(出典:Wikipedia

ここで、ちょっと立ち止まってもらいたい。欧州に戻ったフンボルトがひとり書斎で必死にペンを走らせ築きあげた「植物学の知」は、彼のみが生み出したものなのだろうか?見知らぬ土地から集団でやってきた白肌で長身の物好き連中に、丁寧に(乱暴なときもあったとは思うが)説明した南米の人々は、この物語に欠かせないピースではないだろうか?フンボルトが使用した大量の紙を生産した紙屋さんは?彼を乗せた船のボイラーで必死に罐を炊いた船員は?そもそも彼の研究のために命をささげた(そうさせられた)植物たちはどうだろう?

もうひとつの例として、僕の専門である人類学でも同じことがいえる。いわゆる「文化」にかんする知識を生み出そうとする人類学もまた、フィールドワーク(民族誌ともいわれる)を通じて他者を観察し、彼らとインタラクトすることで新たな発見をうながしてきた。ここでも、「協力者」である対象コミュニティや人類学者の活躍を可能にしたファクターすべてが、最終的な「知」という作品(産物)のエンドロールにーーたとえどれだけ小さな貢献であったとしてもーークレジットと名を連ねるべきではないだろうか?

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トロブリアンド諸島で現地調査を行う、人類学の創始者の一人・マリノフスキ(出典:Wikipedia

こうした視点は、いいかえれば「知の共生産(co-production of knowledge)」と表現できる*。あらゆる存在は相互依存のなかで営為をおこなっていて、その「依存」がたとえどれだけ非対称的な力関係にあったとしても、互いなしには成しえない共創プロセスを構成しあっている。どちらか一方がつくったわけでも、どこからともなく出現したわけでもなく、諸存在が「共に」産みだすーーそれは、創造の諸過程にひそむ(といっても、ひそんでいるわけではなく、僕らが気づいていないだけ)アクターに、適切な質と量のエージェンシー(行為主体性)**を見出すことでもあるのだ。

* ちなみにこの視点は、もちろん知以外にも、経済活動や美的表現、社会関係など、あらゆる創造過程についていえることだと思う。
** 最近の哲学や人類学でよく使われる「エージェンシー」という概念については、砂の人類学についての記事でもふれています。

視点2:トランスカルチュラルな比較

僕らは「比較」をすることがあまりにも少ない気がする。

いやもっと正確にいうと、「文化」の境界を越えたレベルでの比較をすることが少ない。航空券を買うときや自分のキャリアを展望するときは、いやというほど値段や自分の価値を相対化したがるのに、「日本文化」とかの話になった途端、「〇〇は日本特有の文化だから」とエスノセントリック(自文化中心主義的)な主張をする傾向が強くあるのではないだろうか。

なにもこれは日本に限ったことではないのだけど、ここでは「日本文化についてユニークだと思われがちなこと」を三つ例にあげながら、越境的な比較というものを考えてみたい。

まずは、わかりやすい例でいえば日本食とかだろうか。比較する前に、そもそも「日本食」といわれるものが本当に日本独自のものなのかみてみると、寿司は東南アジア発祥、素麺は中国から伝来、天ぷらだってポルトガル人が鉄砲とともにもってこなければ今日の日本にはなかった可能性が高い、ということがわかる。どこからが「日本食」なのかわからないなか、よくある「日本食は魚ベースで、ヘルシーで、美味しくて、長寿の源」といった主張を考えるとするならば、この4点すべてが同じく当てはまるギリシャの食(「美味しい」の箇所は主観的なので、当人たちがそう感じていると仮定する)あたりと比較できそうだ。

次に、これまたよく散見される「日本独自の自然観」アピールを考えたい。典型的な主張として「日本には自然災害が多い」「自然と対立するのではなく、共存する文化」「独自の四季と豊かな感覚を持っている」などがあると思う。これら(風土論的な主張)は果たして日本のみにいえることか。パッと思いつく比較対象に、ドイツがある。まず、南を中心に山脈や山間部が多いドイツでは、年中気候が不安的な土地が多く、冬は豪雪、他の季節は暴風雨や嵐に見舞われることが多い。また、グリム童話や昨今の積極的なサステイナビリティ政策からもわかるように、自然を大切にし、また共存する姿勢は、その町や村の多くが森・山・丘・川・湖などと一体化した形で築かれていることにもうかがえる。それに、現代社会にも強い影響を残してきたロマン主義をベースに、その北は北海、南東はアルプス、西は平地という土地独特の四季に対して、ドイツの人々は特別な情緒や生命感覚を育んできたともいえるだろう。

最後に、宗教についてもふれてみたい。日本文化論で頻繁に遭遇するのが、「日本という島国にはひとつの支配的な宗教がなく、神道や仏教がごちゃまぜに習合し、人々のほとんどが無宗教といいつつ、実はアニミズム的な宗教観をもち、かつ寺社にも参拝するという不思議」といった主張である。こう聞くと、「ああ、確かにそうだよね」となりがちだと思うけど、ではニュージーランドはどうだろうか。この島国にはまず支配的な宗教が存在せず、ほぼ半数が無宗教といわれる。キリスト教、ヒンズー教、イスラム教、仏教が混在し、これらの宗教、特にキリスト教は、先住民マオリ族の信仰と密接に習合してきた(マオリ系の集会の開始・終了は、キリスト教的な祈りを用いるらしい)。また、このマオリ族の言葉やアニミズム文化があらゆる場(学校など)でも教えられ、ラグビーのW杯になると放送されるように、ニュージーランド人の多くが(選手でなくても)ハカを踊れるという文化があるのだ。

以上、ここでは深掘りできないけれど、三つの例をあげてみた。

人によっては「いや、日本文化と〇〇はあまりにもかけ離れているから比較などできない」というかもしれない。それはひとつの意見としてあってもいい。実際、自分の文化を独自で特別なものとする見方は、多くの人に自己肯定感や一種のアイデンティティをもたらしているだろう。

しかし、それでも比較を試みること、つまり諸文化間に類似性や習合の可能性、重複・共通した世界を見出そうとすることは、それ専用の物差し(=分析上のメタ基準)を構想することであり、その思考プロセスのなかには真にグローバルな哲学が宿っているのではないだろうか。

悲劇も豊かさも生み出しうる文化理解の二面性

やっと越境の文化学の輪郭がうっすら見えてきたところで、冒頭であげた捕鯨の例に立ち返ってみたい。

日本側と国際社会側の「どちらか正しいのか」という倫理的、あるいは問題解決的な問いの立て方をしたけれど、答えるにはまず、その問いの裏にあるいくつかの前提を見つめなおす必要がある。

問いその1:「日本文化だから」という主張にある「日本文化」とはなにを指すのか?
- ここでいう「日本」を民族的・言語的・領土的にみたとき、具体的に誰が・なにがそこに該当するのか。
- また、ここでいう「(捕鯨)文化」とはなにを意味するのか。文化とは、閉鎖的で固定的なものなのだろうか。もっと開いていて、カオスで、流動的で、常に変化しているものではないのか。
- あるいは、捕鯨は日本文化に限られたものなのか(もちろん違う。ノルウェーなどが例)。そうでないとしたら、「日本文化だから」という主張は説得力をもつのか。
- そもそもこのような主張をする個人・組織は誰なのか。彼らのもつ「日本文化」の理解はなにに影響されているのか。その概念を利用する意図や目的はどうか。
問いその2:国際社会の提示する要求は「正しい」のか?
- まず、ここでいう「国際社会」はなにを指すのか。具体的な個人・組織を誰で、彼らにはどういう歴史があるのか。
- 彼らの要求の裏にある前提(動物愛護や生物多様性の保全)は、本当に普遍的価値なのか。たとえば生物多様性という概念(そして文化)は、どこで発祥したのか。どういった国際議論を経てきたのか。誰がその場に参加していたのか(=誰が不在だったのか)。
- これらの前提をふまえて、この要求はなにを目標と掲げているといえるか。そのビジョンは全人類に対して平等なのか。あるいは一部の人が利を得、一部の人が損を被るという構図は存在するのか。

などなど、無数の問いが立ち現れてくる。

そしてこれらひとつひとつを考査し分析するということは、つまり、このひとつの問題と真剣に向き合うのに、かなりの時間と労力を要するということだ。もちろん新聞などのメディアやSNSでの投稿・シェア、ひいては学校教育でさえもはそれをしないことが多いので、表面的な理解のまま偏見だらけのミスリーディングな発信・教育をし、日々、僕らの思考に影響を及ぼしている。

こうした偏見、つまり、安易に「日本文化」が語られたときにノーマライズされてしまう先入観や過度に単純化された文化理解は、数々の悲劇を引き起こす燃料となってきた。

国内外での植民地支配と奴隷制度。
虐殺と文化的虐殺。
マイノリティー民族の抑圧。
女性蔑視。
環境破壊。
ジェンダー・性的指向マイノリティーへの差別。
子どもの貧困。
障害者の物理的・精神的虐待。

重々しいことばを並べたようだけれど、なにも罪悪感をかきたてようとしているわけでも、だれかを責めているわけでもない。

そうではなく僕が説明したかった点は、「文化」というものの理解には、危険で残酷な武器となってしまうという重い可能性と、より謙虚で豊かで確かな相互理解を育んでいくひらかれた可能性の両方が同時に備わっているということだ。

つながりと結節点の学

僕らの生きている2021年の世界は、あらゆる意味でひとつの閉ざされた文化なるものを語ることが難しくなった時代でもある。

ものや人や概念やウィルスが多方向に飛び交うなかで変化しつづけるこの時代に、ひとつの文化を切りとって考えようとすることは、一本の木を理解すべく、切りとった幹の断面図ばかりに目をやり、葉を照らす太陽や揺らすそよ風、枝にとまる鳥や虫、地中で絡みあう根っこには目もくれないようなものではないだろうか。

そうした繊細で複雑でプラネタリーな文化のエコロジーに気づかせてくれたのが、つながりと結節点の学・越境文化学という視点だった。

それは、ローカルやナショナルを捨ててグローバルをみよ、ということではない。そうではなく、ローカルやナショナルをみるときに、常にグローバル、いやトランスカルチュラルな過程や力学も忘れずに考慮するということ。

また、つながりや結節点ばかりに目を向けて、物事の本質から目を背ける、ということでもない。前者を分析するには、諸文化それぞれを詳しく見る必要が当然生まれる。それに、汽水域の生物多様性が豊かであるように、むしろ結節点にこそ、各文化を理解するうえで鍵となる発見が宿っているのではないだろうか?

トランスカルチュラルはあくまでひとつの視点だし、欠点もある。なにもすべて文化に関することはこの視点でみろ、ということではない。頭のどこかに置いておくだけ、でいい。

人間を、さまざまな箱に区別されたものではなく、明確な始まりも終わりもないなか複雑に絡まりあった存在としてみる。それは、全人類的な視点を育み、人間活動を惑星単位で丸ごととらえようとする試みだろう。

そこでは、過度に生命論的な見方もしなければ、単に客観的で無機質なレンズで見ることもしない。

目の前に無数にひろがる人間の不思議とありのままに向き合うオントロジーを思考と感覚と行動で体現することなのだ。

***

やっとそれっぽくまとまったところで、ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンを接種しに病院に行ってこようと思う。

そういえばこのワクチンを開発した企業も、おそらくもとは欧州から移住したヨーロッパ系の米国人家庭に生まれた兄弟が創立した会社。彼らが製造し、大西洋を渡ってこのドイツまで運ばれてきた。越境のワクチン。


主な参考文献

Heidelberg Center for Transcultural Studies ホームページ(https://www.asia-europe.uni-heidelberg.de/en/studies/ma-transcultural-studies.html)

Grossberg, Lawrence, Meaghan Morris, and Tony Bennett, eds. 2005. New Keywords: A Revised Vocabulary of Culture and Society. Blackwell Publishing.

McKeon, Michael, and Raymond Williams. 1977. “Keywords: A Vocabulary of Culture and Society.” Studies in Romanticism 16 (1): 128.

Joachim Kurtz 教授による講義

おすすめ文献リスト

計13回の講義シリーズの各PPTを保存していますので、もし興味のある方がいれば shuhei.tashiro@stud.uni-heidelberg.de まで。

期末試験

本コースの終わりには、いわゆる take-home exam 型の試験があり、72時間枠のなかで1,000語ほどのエッセイを三本書きました。ハイデルベルク大学のTranscultural Studies 修士号には3つの「フォーカス」(KBR=知+信念+宗教、SEG=社会+経済+ガバナンス、VMC=視覚的・物質的文化。僕のフォーカスはKBR)があり、各フォーカスに対して設問が二つ用意され、そのどちらかを選択する、という形です。

僕の回答がこちら。


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