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言葉と想い №150

人と人が目に見えない線でつながり、それには太い細いや、長い短いがあるという話をさせてもらった。

自分がプレーしていた時や指導していた時に、「自分とこの人はなぜか息があう」「この二人を組み合わせるとうまく機能する」などということがよくあった。

頻繁に練習を共にしている仲間よりも、初めて一緒にプレーした“この人“の方が自分の思っていることを分かってくれるかの様なプレーができてしまうのはなぜだろうかとよく考えていた。

言葉が通じる日本人より全く言葉の通じない外国人の方がプレーの面では理解しあえたりということもあったし、すごく技術レベルの高い選手とプレーしても全くこちらを認めていないのでプレーが噛み合わなかったり。

もちろん互いのレベル差や価値観などいろんなものが含まれての現象なのだろうが、そう言ったものも含めてこの見えない線の力はさまざまなことに働くのだと感じる。

そして、その線を太くも細くも、そして長くも短くもするのが会話と想いなのではないかと思う。

チリでプレーした時のことだがこんなことがあった。
言葉が通じず、プレーも消極的な自分にはプレー中全くボールが回って来なくなった時があった。
初めの数ヶ月は言葉が分からなく、あらゆる面で消極的になり、チームメイトの言っていることが理解できずにさらに消極的になるという悪循環にはまった。
そして、言葉がなんとなくわかる様になり、伝えることができる様になるとたわいもない会話ができる様になった。
そうしてその頃からいつもの自分のプレーができる様になった感覚を今でも忘れない。

会話という至ってシンプルなことだが当時の私はその重要性すら分からなく、ただ路頭に迷っていた。

また、これも今思えばシンプルな話だが、「勝利する」という意思を人に伝わるほど出すのと出さないのもチームメイトの反応が全く違った。
これもチリ時代の話だが、トレーニングで行われるゲームの中で、チームメイトはどうも私の熱意が足りなく感じていたらしい。あるとき、「なんでもっと闘わないんだ!」という意味合いのことを非常に汚い言葉で罵られたことがあった。
そこから悔しくて、練習中から激しくいくことにした。
そうすると、さっきまで汚い言葉で罵ってきた仲間がニコニコしながらやってきて、「そうだそれだよ!」という雰囲気になり、さらに一段と深く仲間に溶け込めた気がした。
それまでの自分は、「どうプレーするか?」と頭でっかちになり、結局無難なプレーしかせず仲間をイライラさせていたのだと思う。

しかし、その答えは難しいことではなく『勝利の為に持ってる気持ちを出して戦え』ということだった。
人からしたら当然のことかもしれないが、当時の私にとってはとてもありがたいことだっであったし、そのことを身をもって経験できたことはとても貴重なことだと感じている。

話は少しそれましたが、人と人が太く長く結びつくのは『言葉』と想いや熱量、相手への思いやりや感謝などという言葉を超えた魂のコミュニケーションが必要です。

日常の生活をしていると、せっかくこの様ないい経験をしたのに忘れがちです。
こうしてnoteを書くことで思い出し、それをもとに日々を過ごしていくことで一歩づつ前進していきます。

いつも読んでくださってありがとうございます!


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