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幸福から逃げるな ~水樹奈々の結婚~

2020年7月7日、人生で最も推している歌手で声優の水樹奈々が本人のブログにて結婚発表を行った。

昨今、声優はファンやメディアからアイドル的な扱いをされることもあった。しかし、水樹奈々は40才という年齢もあり、ファンの間では「奈々さんはいつ結婚するのだろう」などと余計な心配をする声もあった。そんな中での結婚発表、ファンが喜ばないはずはない。水樹奈々ファンを多くフォローしている私のTwitterのタイムラインはハイテンションな祝福の言葉で溢れていた。

しかし、私は水樹奈々の結婚発表に対してテンションは上がっていなかった。むしろ下がっているまである。「おめでとう」の一言すら言っていない。いや、言えていない。

水樹奈々をアイドル視していたわけではない。これからも水樹奈々のライブがあれば絶対に行くし、水樹奈々のCDが出れば絶対に買う。「ではお前は水樹奈々の何が好きなんだ」と問われると答えるのは非常に難しい。水樹奈々の作品(ライブ等も含めて)は純粋に好きだと胸を張って言える。かと言って作品だけが好きで水樹奈々の容姿や人柄などに全く興味が無いわけでもない。この話をしだすと長く(永く)なる、と言うより永遠に答えが出ない気もする。そもそも、私は水樹奈々を2011年(当時の私は16才)から推しているが、人生の1/3も推し続けている人に対する感情など素人の字書きが容易く表現できるものではないのだ。

水樹奈々は歌手活動を20年続けている。となれば当然、長い間ずっと水樹奈々を推している人がたくさんいる。私と同じ感情とは言わなくとも、私と似たような感情を水樹奈々に対して持っている人は多いだろう。

そんなファンを多く持つ水樹奈々だからこそ、結婚発表をした際には次のような言葉を発するファンが多かった。
自分のことのように嬉しい
そう、一部の水樹奈々ファンにとっては水樹奈々の結婚は
自分のことのよう」なのだ。

結婚は現代では幸福の代名詞のような存在になりつつある。昔はお見合いのような形で親に勝手に結婚を決められることもあったが、現代では恋愛から結婚に至ることが一般的だ。「好きな人と一生添い遂げることを決める」儀式、人生で最大級に幸福な瞬間だろう。人生で最大級の幸福な瞬間が「自分のことのよう」なのだ。なぜ喜ばない?ここまでこのnoteを読んだ人のほとんどはそう思っているだろう。


さて、問題はここである。私のような自己肯定感が低い卑屈な人間にとってはあまりにも大きい幸福感は恐怖なのだ。
いつも何かいいことが起きると決まってその後には嫌なことが起きる。
あまりに運がいいことが続くと「これは何かの罠なのでは?」と疑う。
赤の女王仮説によれば「同じ場所にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」、つまるところ現在の幸福感を維持するためにはこの幸福感を手に入れたときと同じ努力を続けなければならないのでは?そんなこと自分にできるのか?だとしたら人生で最も幸福な瞬間を迎えたときに死んでしまうのが一番いい人生じゃないか?
こんなことを普段はずっと考えている。少し不幸なくらいの状態が心地いい。こんな私にとって最愛の推し水樹奈々の結婚の幸福感はあまりにも恐怖だった。水樹奈々の結婚報告のブログを読み終えた瞬間、私は腹を下してトイレに駆け込んだ。


水樹奈々の結婚はあくまで「自分のことのよう」であり「自分のこと」ではない。自分のことではないのにこんなにも恐怖感を覚えてしまった自分が実にバカで気持ち悪いなとも思う。それでもこの複雑な恐怖感を払拭するまでに三日ほどかかった。三日坊主、三日天下、「三日」というのはごく短い期間の例えとしてよく使われるが、恐怖感と戦った三日というの非常に長く感じた。

そしてこの三日間、私は「こういう恐怖感を持っている人は他にいないのだろうか?」と疑問に思い、水樹奈々ファンの人たちや、水樹奈々の周りの人たちのことを考えていた。そうしたら、いた。水樹奈々の一番近くに。その人物とは三嶋章夫プロデューサーだ。彼は水樹奈々の自叙伝「深愛」の文庫版・特別対談の「2020年、デビュー二十周年に向けて」のコーナーでこんなことを語っている。

三嶋:だから、発表した作品がファンの方々に高い評価をしてもらえると、嬉しさ以上にたまらなく苦しいんです。次に向かう苦しさが、もうね?

水樹:そう、三嶋さんの最近の口癖ですもんね、「次が怖いなぁ」って。

三嶋プロデューサーが感じている恐怖感と単なるファンである私が感じている恐怖感は別物だろう。私が感じているものよりもずいぶんとリアルなものだろう。比べるのも差し出がましい話だ。しかし、恐怖感としての方向性は同じだ。いいことが起きると次が怖くなるのだ。いいことが起きたその場に留まっていたいのだ。

しかし、水樹奈々は三嶋プロデューサーのこの反応に対してこう続ける。

水樹:年々高くなっていくハードルを乗り越えて行くことは、きっと一筋縄ではいかないですよね。それでも、私は生涯マイクの前に立っていたいと思うんです。できることなら、歌いながら死んでいきたいぐらい。

2020年に水樹奈々が結婚し、私がこの「深愛」文庫版・特別対談の「2020年、デビュー二十周年に向けて」を読み直すのを予言していたのではないかと思えるような言葉だ。当然ながら水樹奈々本人もファンに喜びを届け続ける難しさを感じている。いや、本人が一番感じているかもしれない。それでも水樹奈々は「生涯マイクの前に立っていたい」と言うのだ。いいことのその先にある苦しいときも水樹奈々は逃げない。そして「歌いながら死んでいきたいぐらい」とさいごまでそれを続ける意思を持っている。こんなにも頼もしい推しがいるだろうか。推しが心強い

この項を読みようやく私は推し水樹奈々の結婚、「自分のことのように嬉しい」幸福感を受け入れる。大丈夫だ。私には最愛の推し水樹奈々がいる。水樹奈々は逃げない。ならば私もついていく。ちゃんと喜ぼう。祝福しよう。幸福から逃げるな。



デスクにおいてある水樹奈々の写真の前に立つ。
背筋を伸ばし、顎を引く。
まっすぐ水樹奈々の写真を見て私はつぶやく。

水樹奈々さん、ご結婚おめでとうございます。


-shuta

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