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新聞屋さんの娘

こんばんは🌙
ごきげんいかがですか?

あなたは新聞を読みますか?
わたしは…読みません。
昔からほとんど、新聞は読みません。

ですが、学生の頃と30代の頃
わたしはほとんど読まない新聞を
配達した経験があります。

これは、そんな30代の頃に
おこった出来事です。

#挨拶文を楽しもう

ヤマダ電機でスメハラの乃愛ちゃんと
一年ほど働いたある日のことです。


※乃愛ちゃんのこと書いてます。
よろしかったら読んでみてくださいね😊


母から一通のメールが届きました。

父SOS 至急来られたし

電報かよっ

そのころ父は、新聞屋さんの
オーナーをしていたんです。

根っからの現場人間だった父は
当時まだ50代。
バリバリバイク乗って300軒くらい
へっちゃらで配達しちゃう
スーパーマンでした。

少なくともわたしにはそう見えていて
そんな父を尊敬していましたし
なにかあったらわたしにできることは
なんでもするからと、伝えていました。

そのときがきたのです。

父の右腕だった青年が
集金のお金を持ち逃げしました。

彼が担当していた区域なんて
たかが知れています。
集金のお金も全体の総集金額に比べれば
はした金です。

しかし、父は人件費を削るため
目一杯配達していたので
それ以上の負荷は到底無理でした。

そして、わたしも自分の仕事をしていました。

断腸の思いで、父は母に
わたしの召喚命令を託したのです。

それが【父SOS】だったんです。

多くを語れない苦しさを
とっさに察したわたしは

「了解した」

とだけ返信して、
翌日、ヤマダ電機のチーフに相談し
3ヵ月の休職という対応をいただきました。

翌日、奈良から梅田周りで神戸へ…
当時はまだ近鉄では三宮へ
直で行けませんでしたし
行く先はなんと有馬温泉の近く!

なんなら小旅行です。

どんな状況なのかわからないわたしには
長い長い旅でした。

現地に着いたわたしは両親の元へ。
母は泣きながら出迎えてくれました。
父はごめんなとだけ言って
状況を説明してくれました。

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