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【詩】時計と花

ほんとうの時計の針を
見たことがあるかい

そう訊かれて女は
水面にうかぶ花びらのように
男の影を眼球の端から端へと
ゆるやかに流した
この男に厭きない為に
いつのまにか自身にほどこしていた
装飾だった

ほんとうの時計の針は
左回りに回っているのさ
ぼくたちには決して
追いつけないスピードでね

そいつらが走り去る時
落して行った物を拾うため
針の影は
右回りに回っている

———それで今夜の貴方は
わたくしになにを下さるの———

ぼくたちは、だから一度だって
ほんとうの針を見ることがないんだ

男は手ぶくろ越しに
柔らかな指をつまぐりながら
睫毛に縁どられた水晶体を覗き込む
そこに映っていたのは
たった一本の時計の針だった

荒野を文字盤にした長針が
前に進もうとして進めずに
ある一点の数字を指したまま
もどかしい振動をくり返していた
長針を皮肉な眼で見ながら
男は次第になにか非常に重要な物を
落した気になっていた
その物の名は———

———思い出すより先に
真夜中の時報が響いた、渇いた男の咽喉より

———Je t’aime.

女の眼の上で花びらが泊まる





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