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【小説】『正欲』を読んだほやほやの感想を。



紙に吸い込まれるんじゃないかという勢いで一気読みした。
朝井リョウは3〜4作ぐらいしか読んだことないけど、圧倒的にこれが一番好きだった。


でも共感できると言ってはだめな気がするぐらいマイノリティの話だった。

わたしはマジョリティ側の人間で、異性愛者で、彼氏がいたこともあって、人並みに異性に対して性欲もあって、結婚願望がある。


だからといって毎日お気楽に、簡単に明日が来ると思って生きているわけでは無い。
わたしは人一倍、社会の中で「普通」でいたい欲がある。
だからもっぱらの悩みは、世間一般に普通と言われるタイミングで結婚し、子どもを産んで、家庭を持てるかどうかということ。
それができなかった時のことを想像して震えそうになるほどには、不安だ。死活問題だ。
普遍的だけど切実な悩み。

わたしは努力して「普通」ができるところまで自分を上げてきた。
でも例の彼とすぐに結婚する未来は見えない。
一方、まわりはぽんぽん結婚していく。
地元のヤンキーはもう何人か子どももいることだろうし、すでにここを出ている友だちは都会で新婚生活を送り始めている。


作中に出てきた言い回しを使うと、そうやって「正しい命の循環」にのっかることができた人たち。
それに羨望の眼差しを向けるわたし。


わたしは確かにマジョリティ側のはずだけど、がんばらないとその循環には入れないだろうと思ってソワソワ生きている。



でも、『正欲』に出てくるマイノリティたちは、そんなわたしのおめでたい悩みを口にするのも恥ずかしいほど小さな小さな世界の中に居ざるを得ない人々だった。
その循環の中に入る資格すら剥奪されているというような悲壮感で話は進んでいった。

結局わたしがこういう作品に出会った後にしばらく感じる安心感というのは、
「この人たちの悩みに比べたらわたしなんて全然マシだ」
ということだ。
そうやって勝手に読む前より生きやすくさせてもらってる。


そんなわたしたちでも、この作品では朝井リョウの卓越的な言語化能力に助けられて、彼らの側に立って読むことができる。まじですげーや朝井リョウ。



桐生夏月が心の中で言ってくれることは全部小気味いいし
寺井啓喜の家庭を見ると未来の自分の子育てがこうなる可能性がゼロではないことが苦しいし
神戸八重子は完全に高校・大学時代のわたしだった。

ちょっと自分語りをすると、わたしは高校時代、カースト上位の先輩たちが中心になって作り上げる学祭を、それぞれの組の団長をしている彼らを芸能人のように消費し、キャーキャーすることにいそしんでいた。
ほんとに文字通りキャーキャー言っていれば清々しいけど、わたしのような陰の者は、似たような趣味のオタク気質の友だちと先輩たちのSNSをまるで芸能人の投稿を見るかのように巡回していた。
大学でもそう、フォローしていないくせに別の学部の推しのツイッターを逐一見にいってたし、学祭では模擬店でスタッフをする推しを粘っこい視線で見ていた側の人間だ。
これが八重子に重なってしょうがなかった。

でも別視点で色々見せてくるこの小説では、見られていた側である諸橋大也から見た八重子の印象を知ることになってしまうのが痛くて面白くて、やっぱり痛い。
身に覚えのある人はみんな刃物で刺されたみたいな気分になったんじゃないかな。

他にも、よくぞ言ってくれたと思って簡単に読み飛ばせなかったのがこの一節。

"社会を形成している最小単位が恋愛感情によって結ばれた二人組であるように見える不安
その単位を元に家族を始めとする様々な制度が構築されているし、まずはその単位になることを目的に走れと様々な方向から促され続けている"


最近毎週楽しみにしているドラマ『いちばんすきな花』でも言及されていたことと似ている。
学校って、二人組を作る練習をさせられる場所だね、って。

わたしはその正解にまっすぐ突き進んでいきたいのにうまくいかずに苦しんでいるタイプのマジョリティだ。
これが、そう思えない自分だったとき、今でもこんなに苦しいのに、どれほど社会からの決めつけに辟易するだろうと、想像して胃がキリキリした。

でも、作中で彼らが二人組になれてよかった。
手を組んだ、二人。

最後の、擬似セックスの美しいシーン。
わたしの1本目の記事、セックスの話なんだけど、わたしが書きたかったこともちょっと言語化してくれてたな。
みんなずっとセックスの話してるよね、って。
みんな確かめ合ってるんだねって。


わたしはこれからも何度もこの作品の冒頭を読み返すと思う。もうここを読んだ時点で普段の自分には戻れなかった。

今日も、「明日死にたくない」ために生きていくんだよな。


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