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ゲームにハマってみたいぜ。

ハマるという状態は、山頂のように意図的に目指して登っていくようなものではなく、好きを追っていてふと振り返ってみた時に気づく絶景のように、「気がついたらそこにある」ものだと思うが、社会人になりたての頃、私は無性にこう思っていた。

「ゲームにハマってみたいぜ。」


私の実家はゲーム禁止だった。ゲームの話で盛り上がる友達がうらやましくなり、ゲームを買ってもらうようあの手この手で交渉しようとする私(と兄)に父はこう言った。

「ゲームは自分が遊んでいるように見えるけど、ただゲームを作った人に遊ばされてるだけだ。自分から面白いことを見つけられる人になれ。」

なんだかわかったような、よくわからないような答えだったが、いつもは何に関してもゆるーい父が頑として譲らない姿を見て、小学生の私は「なんかよくわからないけど、買ってもらうのは無理そうだな」と諦め、ねだるのをやめた。そして「ゲームがほしい」という気持ちを押しつぶし、意識の底へしまい込んで見えないようにした。それで父の言う「自分から面白いことを見つけられる人」になれたのかはよくわからないが、別にゲームがなくても十分に楽しく生きてこれた。ゲームが欲しかったことすら忘れていた。


意識の底へしまい込んだはずの例のヤツが、ふと顔を出してきたのは社会人1年目の時だった。

「社会人になったからこそできることをやってみたい!」
給料をもらい始め、社会人デビューとでも言うべき浮かれ気分になった私は「これまでできなかったけど、これからは気兼ねなくできることはなにかないか」と探した。

そこで、当時から同棲していた妻がSwitchを持っていたことを偶然思い出した。(全然使っていなかったからあったことすら忘れていた)

「あれ?もう今ならゲームやってもいいんじゃない?」
私は俄然元気になってきた。

そうと決まれば早速ソフトを選ばねば。とはいえ、学生時代にはゲームに関する話が全て右から左に抜けていた私は、全くと言っていいほど何も知らなかった。と言うか、ゲーム機に入れるソフトウェアの方を、カセットではなく、今やソフトと呼ぶことすら知らなかった(カセットって言っていた時代あったよね?きっと)
とりあえず、学生の頃にやけに名前を聞いた気がするモンスターハンターを買ってみた。

モンハンがなんか武器を使ってデカいモンスターを倒すゲームだということくらいは知っていた。チュートリアルに導かれるまま狩に出かけた。

操作方法がなかなか覚えられず、素早い敵には攻撃がなかなか当たらないものの、始めの方は割と順調にストーリーが進められた。

楽しかった。全く経験にない新しいことをしているという興奮と、手探りでも少しずつ進んでいるという充実感がたまらなかった。これから進めていくごとにどんどん新しい局面が開けていくことに期待感と可能性を感じた。ゲームを持っていた友達は、こんな楽しいことをしていたのかと、今更になってうらやましくなった。

「もしかして、ゲームにハマってきてる…?」

しかし、楽しみは長くは続かなかった。

ある日、ヤマアラシとクマを合体させたようなデカいモンスターと戦った。名前は完全に忘れたが、そいつはそれまで戦ったちびっこモンスターとはレベルが違った。初級編は終わりよと言わんばかりのモンスターの猛攻を受け、初めて死にそうになった。回復しようとするも、ヤツはそんな時間を与えてくれなかった。狩ろうと思って出かけていたのに、気がついたら狩られる側に回っていた。追いまくられ行く手が岩に囲まれていると思った瞬間、後ろからのタックルに合い、敢なく力尽きた。

そこで初めて、一度力尽きてももう一度チャレンジできることを知った。
「チュートリアルからスタートになるのかと思ったぜ。あぶねーー」
ほっとして画面から目を離すと、自分が冷や汗でぐっしょりになっていることに気がついた。そういえばなんだか気持ちが悪い。鏡を覗くと信じられないほど顔色が悪い自分がそこにいた。

その日は体調が悪かっただけだと納得しかけたが、次の日、同じような展開で全く同じモンスターに倒されたときにも、同じような症状が現れた。なんだこれは。

調べてみると聞いたこともない名前が出てきた。どうやら「ゲーム酔い」とのことだった。曰く、「ゲームに慣れていない人が長時間プレーしていると、緊張状態で呼吸が浅くなり、ゲームの主人公に自分を投影しすぎて平衡感覚がおかしくなった結果現れる、乗り物酔いのような症状」らしい。

気持ち悪さで上手く回らない頭で考えた。

ゲームの操作が下手なのはまだいい。みんな下手なところから上手くなっていくはず。言っていればスタートラインに立ったようなものだ。
しかし、ゲーム酔いをする体質というのはみんなが経験するものではないだろう。(少なくとも自分は聞いたことがない。)言ってみれば、「あなたはここから」とみんなのスタートラインの遥か後方にラインを書かれた気分だ。地面にラインを書いて手招きするヤマアラシグマの姿が目に浮かぶ。

めちゃくちゃゲームに向いてなかったんだな、きっと。
そう思ったとき、自分の中で、今まであった興奮や期待感や充実感がまとめてぽっきりと折れた。気持ち悪くなってまでゲームに挑み、上手くなろうとすることが、急にばかばかしくなってしまった。

その日を境に、また私の人生からゲームが消えた。時々やってみようかと思うことはあっても、実際にプレーすることはなかった。


では、なぜ、今このタイミングでこんなことを書いているのか。
現れたのである。ゲームが再び目の前に。

妻が職場の上司からPS3を譲り受けてきたのだ。どういう状況?と突っ込みたくなった。

「自分はもうゲームはやらないけど、好きにやったらいいよ」
そう言おうと思っていた。
しかし、小さい頃に妹とゲームをやった楽しい思い出を嬉しそうに離す妻を見ていると、もう一度だけ、ゲームにチャレンジしてみてもいいかもなと思ってきた。

ゲームは確かに付き合い方に注意が必要な代物だ。そのくせご丁寧に「中毒性がございます。用法用量をよくお守りください」とは書いてくれていない。

でも、ゲームが取り持ってくれる「繋がり」もあるのかもしれない。ゲームをしながらただ友達と一緒にいられる時間が楽しい。ゲームがあることで普段は話が噛み合わない親子の話が弾む。そんなシーンまでまとめて否定しなくてもいいのかもなと思った。

「(できるだけ誰かと一緒になってできる)ゲームにハマってみたいぜ。」

私を追いかけ回してきたあのヤマアラシグマは、「(できるだけ誰かと一緒になってできる)」の部分が必要だということを私に教えてくれた。(名前くらいはちゃんと調べてやってもいいかなと思った)


「昨日、ゲーム機もらってきたからね」そう言って妻はゲーム機を箱ごと居間の真ん中に置き、再び仕事に出かけた。どうやらゲームをプレーできるようにするところまでは完全に私のタスクらしい。

さて、このゲーム機の電源はどうやってつけるんだろう。ゲーム初心者に毛が生えるまでの道のりは長い。


おわり。

2023.8.11 21:24
特別純米酒 十水 無濾過生原酒 を飲みながら。

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