悪に勝てないヒーロー。
私がそれを初めて知ったのは、敬愛する小説家・伊坂幸太郎の小説「SOSの猿」を読んだ時だった。
(「SOSの猿」はカジュアルな小説ファンにはあまり知られていない小説だが、その語りと構成によって、読者を作品の世界に引き込み、虚構と事実を錯覚させる傑作だと思っている。現時点で「フーガはユーガ」の前までの文庫本を全て読んでいるが、「SOSの猿」は「アヒルと鴨のコインロッカー」や「オーデュボンの祈り」と勝るとも劣らない作品だと思う)
それの放つ独特な存在感に魅せられ、いつしかこの目で観てみたいと思うようになった。
そして、それを観る機会は程なくしてやってきた。
2023年5月。私はバリ島に行く機会に恵まれ(というか友達の誘いもあっていくことに決めただけで大層な準備をしていたわけではないが)ついにそれを目の当たりにした。
そう、「バロンダンス」だ。
…。
エッセイにありがちな、もったいぶった前置きをしてみたが、おそらく日本人の99%は興味がないと思う。どころか、その存在も知らないかもしれない。
まずは、なぜバロンダンスに惹かれたのか、から説明したい。
そもそも、世の中の古典と呼ばれる部類の物語は、古今東西その多くが「勧善懲悪」というテンプレートに乗っかっていると思う。
世界三大叙事詩に数えられるマハーバーラタでは嫉妬深く欲深い100人王子を高潔な5王子が打ち倒そうとする物語だし(詳しくはいろんなストーリーがあるのだろうが主軸はそのストーリーに見える。ジャワ島で鑑賞したときは複雑すぎてわからなかった)、日本の桃太郎も鬼退治に向かいヒーローになった。
(ちなみに余談ではあるが、桃太郎聖人説、つまり鬼が何か悪さをして桃太郎が成敗したという説は明治以降に付け足された物語らしい。明治以前は、「鬼が鬼と見なされていたから」そして「桃太郎が鬼が持つ宝をほしかったから」鬼を成敗したというストーリーのようだ。これを聞くと誰が「善」で誰が「悪」かわからなくなってくるが、話がややこしくなるので一旦無視することにする)
「勧善懲悪」とはいわば物語のテンプレートであり、読者に「悪」が倒される必然性と「善」の重要性を説くための装置なのかもしれない。
物語のテンプレートを通り越して、もはや我々(特に一神教地域およびその価値観を後からインストールした地域)の世界観の一つと言っても過言ではないと思う。
(「なぜ鬼は退治されなければいけないか」「なぜ桃太郎はその資格があるのか」を物語の中で説明していたら、肝心な物語の本筋にたどり着く前に、読み聞かせる大人は疲弊するし、子供は飽きて寝てしまう)
それに対して、小さく待ったをかけていたのがインドネシア・バリ島の伝統舞踊、「バロンダンス」だ。
バロンダンスの肝は、「善と悪に決着が着かない」というところにある。
バロンダンスには、善の聖獣「バロン」と悪の化身「ランダ」が登場する。
物語を通して、両者は手を替え品を替えお互いを打ち倒そうとするが、遂には決着が着かない。
最終的にクライマックスというクライマックスがないままダンスは閉幕となる。
言語がわからず、配られたヨレヨレのパンフレットとビジュアルを頼りにしている外国人観光客にとってはなんとも歯切れの悪い終わり方だ。
「あれ?結局どっちが勝ったの?」
ただ、その歯切れの悪さにこそ、バロンダンスの奥深さが隠されているように思った。
何が善で何が悪なのか、考え続けることは人間の脳にとって負荷が高すぎる。日々の生活に追われている人間にはそんな思考体力はない。
だから、善と悪を予め規定してくれる(広い意味での)物語を好むし、一度囚われるとその枠組みから離れることは非常に難しい。
(ゆえに、大袈裟な話をすれば、ナチスはユダヤを悪とみなすことで大量虐殺を"納得"したし、桃太郎はその真意の程がよくわからずとも未だにヒーロー扱いだ)
そんな世界観に対して、
「世界は善と悪がせめぎ合ってバランスを取っているんだよ」
「悪が常に隣り合わせで存在するからこそ、善であろうと心がけることができるんだよ」
という世界観を提示してくれるのがバロンダンスなのかと。
だいぶ話が発展してしまったが、つまり「勧善懲悪のわかりやすいストーリーじゃないバロンダンスがなんか好みだった」ということが言いたいだけだ。
ろくに理由を言わず、ただ有無を言わせぬテンションでバロンダンスが観たいと主張して振り回してしまったYくん、Sくん、Hくんには感謝したい。気を遣わない君たちのおかげで存分に楽しめました、ありがとう。
(ちなみにバリ島全土がバロン的世界観かというとそうでもない。南西ではケチャダンスという、観るからに悪役を猿の神ハヌマーンが打ち倒す物語の民族舞踊もある。断崖にそびえるウルワツ寺院で灯火に照らされながら観るケチャダンスも見応え抜群だ。それにしても東京都の2.5倍ほどの面積の中で、これほど異なる文化が色濃く残っているのがバリの魅力だと思う。常に観光客を惹きつけて止まないのもうなずける)
バロンダンスを観にバリ島に行け!と言うのも、現実的ではないが、いつかバリ島に言ったときは、ぜひ思い出して中西部のウブドに行ってバロンダンスを鑑賞して見てほしい。
なんか物語はよくわからなくても、バロンの迫力はあるがどこか愛嬌もある顔を観るだけでも、まぁ楽しめるとは思う。
おわり。
2023.7.7 2:19
クラフトビールを飲み終えてから
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