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初対面大苦手症候群

私は初対面の会話が苦手だ。

いや、苦手という言葉ではその苦手度が表せていないかもしれない。

できることならば積極的に避けたいくらい、大苦手だ。

この初対面大苦手症候群は、遅くとも小学生の時からすでに発症している。

小学校6年生のとき、こんなことがあった。

私は小学校4年生の終わりから、父がコーチをしていた影響からバスケを始めた。

そして6年生になった時にはチームのキャプテンを任された。

キャプテンというとコミュニケーションに長けているイメージがあるかもしれないが、私の場合全くそんなことはない。

私の小学校は1学年約20人、6年間クラス替えなしという、超僻地の学校なのだ。

僻地自慢ではないが、(確か)3年生くらいの時に、「全国僻地校大会」という僻地の学校の先生が悩みを共有する会の開催地に選ばれるくらいの、僻地中の僻地、筋金入りの僻地である。

つまり、単純に人が少なくて全員のことを知っているレベルだから、特にコミュニケーションなんてしっかり取らなくてもまぁなんとなくまとまっていたというわけだ。

初対面大苦手症候群の患者にとっては非常に心地よく、そのミニバス内で活動している限りは(まぁ小学生なりの悩みはあったとは思うが)特に大変なことはなかった。

事件が起きたのは、確かそこそこ暑い季節、おそらく夏休みだったと思う。

ダラダラと夏休みを過ごしていたところ、監督から声がかかったのだ。

「同じ支部(地域みたいなもの)のミニバスチームで集まって合同練習をすることになったんだが、行ってくれないか?」

詳しく聞いたところ、各ミニバスチームのキャプテンと副キャプテン含む3人ずつが招集されて技を高め合うというマッチョなイベントだった。

もう絶対に嫌。100%嫌。

しかし、初対面の人は嫌ですと言うわけにもいかず、小学生だった自分には気の利いた言い訳が思いつくわけもなく(今だったら秀逸なものからくだらないものまで50は思いつく)渋々行くことになってしまった。

しかもあろうことか、全5回の定期開催イベントである。

「しょうがないから頑張る」という決意は早々に折れ、私の小さい脳みそはいかにコミュニケーションを取らないかということをひたすら考えることになる。

他校の人とペアを組むタイミングになるとお腹が痛い振りをしてトイレに向かってやり過ごし、練習後はあり得ないスピードで荷物を片付けて帰る。

そんなことをしてなんとかやり過ごしていたが、本当に行くのが嫌になった私はある必殺技を思いつく。

バッシュを忘れていくという必殺技だ。

これならバスケをせずに済む。

(前述の通り僻地なので)練習場の体育館は家から車で30分の距離にあるのだ。

わざわざ送迎をしてくれていた友達の親も(本当にありがとうございます)、3時間のみの練習の時にバッシュを忘れた自分のためにわざわざ往復したりしないであろうという算段だ。

体育館につき、おもむろにカバンの中を探りながら、できるだけ残念そうに呟く。

「やばい、バッシュ忘れた…。練習できないよう…。」

我ながらだいぶしょうがない感を演出できた。これで練習をサボれる。

しかし誤算があった。迫真に迫った演技をしすぎたのだ。

不憫に思った優しい優しい友達のお母さんは、あろうことか自分のためだけにもう一回、1時間かけて往復してくれたのだ。

そのおかげで(?)無事2時間はバスケをすることができ、無事精神をすり減らし、いつも通りミイラのような顔で家路に着いたのだ。

この手のもじもじ君は、中学高校と進み人との関係構築にも慣れてくると、その人見知りも自然と改善してくると思っていたが、全くそんなことはなかった。

大学に入ってからもこんなことがあった。

大学ではバスケ部の他にダンス部に所属していた。

ダンス部では年に2回、他大学を招いた大規模なステージを企画しており、それに向けて音源を編集したり、振りを作ったり、腕がもげるほどひたすら練習したりするのだ。

そして、無事ステージ終了後、「他大交流会」なるものが開かれる。

ご想像の通り、「他の大学の人と楽しくダンスについて語り合いながら親交を深めましょう」というイベントだ。

このイベント、目的・理念としては納得できる。

他の大学との交流があることで、これからもステージに参加してもらえるように(政治的な?)コミュニケーションが取れるし、閉鎖的になりがちなサークルに新しい技がもたらされてレベルも上がるというメリットがある。うん、悪くない。

ただ、私は今まで一度もまともに参加したことがない。原則全員参加であるのに、だ。(原則と使う限り、例外は必ず存在すると都合よく言い聞かせて。)

そういう不特定多数の人と、(そしてこれから一生会うか会わないかという人と)楽しげに話すのが本当に無理なのだ。
(それが無意識に、または無理をしてでもできる人は心底尊敬する。器が広い人たちだなぁと、純度100%で思っている。本当に。)

この初対面大苦手症候群は、役職者になっても変わらなかった。

2年時にはひょんなことから副部長に任命されてしまったが、その時にもまともに参加しなかった。本当に参加できなかった。

そして、その後しっかり部長に怒られた。

「副部長なんだから挨拶くらいはしてよね。」

100%正論である。ぐうの音も出ない。怖い。でも嫌だ。ごめん。


要は社会性の部分が本当におこちゃまのままなんだと思う。

都会やまあまあの規模の街で過ごしてきた人と比べて、新しい人と交流するという経験が圧倒的に少ないのが一因だと思う。

小学校6年間同じクラス、中学校は3クラスなのでまあまあ知り合いが多い、高校は3年間同じクラスだったのだ。

いわゆる「初対面の人」と話す期間は本当に少なかった。めちゃくちゃ我慢していればそのうちある程度の友達になれるし、その後の人の入れ替わりも多くない。

そんなこんなで初対面の人との交流を避け続けてきた結果が今の私だ。

だから今だに初対面でどんな顔をして、どんな話題を切り出し、相手の話にどんな相槌を打ったらいいか本当にわからない。

たぶん(一丁前に分析だけはするのだが)相手の求めている空気感や親密さを演出するのが非常に苦手なのだ。
(冗談抜きで、ここでの会話がうまい人には「一問一答 初対面ではこう答えろ」っていう本を出してほしい)

余談にはなるが、妻はこれがとんでもなくうまい。とんでもなく。
大学の時にゲスト参加した県内の若手起業家懇親会にて、妻は自己紹介の第一声で「高知から来た熱い女 、〇〇(名前)です」と言った。脱帽である。確かに周りの大人たちはゲスト参加してきた大学生のことは何も知らないからこそインパクトのある元気な自己紹介を求めていた。そのせいで、80%自分に決まりかけていたインターンの話は、まさかの妻(当時の彼女)に持っていかれたのである。屈辱。だけど、今となっては納得する。自分は何て言ったかすら覚えていないんだもんなぁ…(泣)

ちょっと話が逸れてしまった。

たぶん(ここからは自分の経験による裏付けはなく全部「たぶん」なのだが)初対面のときには、あまり本当の話をしたり本当のリアクションを取ったりする必要はないのだ。

初対面での会話の目的は、初対面の二人の間にちょうどいい距離感と親密さを演出できるような会話をすることなんだろう。

その空気感を作れたらだんだん親しくなることができ、深い話ができるようになるのだろう。

だから、「素の自分」とかいらないものは一旦消して、それらしい会話と相槌を打てばいいのだ。わかっている。

ただそう思った時、いつもこの疑問が首をもたげてくる。

「なんのために?もう一生会わないかもしれない人なのに」

頭が固いというか子供というか…

これを書いていて、以前読んだ、オードリー若林さんのエッセイ「社会人大学 人見知り学部 卒業見込」のある一説を思い出した。

『平野啓一郎さんの「ドーン」という小説を読んだ。そんな中に「ディヴ(分人)」という言葉が出てきてとても興味を惹かれた。(中略)対人関係や居場所によって自然と作られる自分が「ディヴ(分人)」だ(中略)誰に対してもどの環境に対しても、ディヴ(分人)を使わずに「自分は自分」と執着してしまうことを子どもだと書いてあり、ドキッとした(中略)ディヴ(分人)は本当の自分に嘘をついている訳でも、無理をしている訳でもない』(若林, 2015)

要は、偽りのない本当の自分=ディヴをいくつも持っており、それをTPOに合わせて使い分けながら、他者と、そして自分の中での葛藤を乗り越えられる人が大人ということだ。

ドキッとした若林さんを経由してドキッとした。

これは完全に自分のことじゃないか…。

それ以来私は若林さんのエッセイ集は全部読んだし、テレビで観る時は常に若林さんを観察する日々である。

特に「あちこちオードリー」が好きでよく観るのだが、ゲスト含め場全体を大回ししている若林さんには感服する。

「これがディヴ(分人)の力か…。あなおそろしや。」

初対面が大の苦手という思春期真っ只中のようなどうでもいい話を書いただけなのに、思っていたより長くなってしまった。

最後に。

お気づきだろうが、初対面大苦手症候群には大きな弱点がある。

それは、新しい友達が増えにくいということだ。

社会人になり、新しい友達ができる機会が激減した今、それは致命的な弱点だ。

すでに友達の皆様、孤独死しないようにぜひ遊びに誘ってください。

ちゃんとディヴ用意して待ってます。

おわり。

2023.7.12 23:51
にいだしぜんしゅ 生酛 にごり純米 を飲みながら。

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