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かなしみは明るさゆゑに

かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり/前登志夫

一本の樹に影がさしたとき、かなしみを感じた。しかもそのかなしみは明るさゆえ起こった、という。

影があってはじめて、明るさを知覚できる。影なしに明るさもなにもわからない。かなしみもまた、不幸や苦難から直接起こるほど単純なものではない、ということだろう。

音楽でたとえるならば、モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622だろうか。音楽には長調と短調があって、一般的には長調は明るい・楽しい、短調は暗い・悲しいとされる。しかし、驚くべきことに、モーツァルトのこの曲は、長調なのに哀しく響く。本当に深みのある音楽には、こうした魔法のような感情を引き起こす何かがある。

人間は時として、しあわせの絶頂にいるときほど不安になったりするものだ。人の心の機微を絶妙に描き出した一首であろう。

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