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四季と香りの話

またひとり、読書会メンバーが共同マガジンに初投稿したことにあやかって、近いテーマで一本書いてみたくなった。

題して『四季と香り』。春夏秋冬と香りを結びつけて、作品・エピソードを語ってみよう。

東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな/菅原道真

和歌の作者はご存じ、学問の神様として有名な菅原道真。歴史の授業でも習うとおり、右大臣にまで上り詰めたが、政争に敗れて太宰府に左遷された。左遷が決まった後、京に残していくことになった庭の梅を思って歌ったものである。東風は「こち」と読む。太宰府は今の福岡にあるので、東風が吹けば風に乗って京から匂いが届けば良いな、と言っているのだ。もちろんそんなのはあり得ないわけで、作者だってわかっている。だからこそ、より一層哀愁が漂う。

道真は左遷後わずか二年でこの世を去る。そこから先も教科書に書いてあるとおり、京では病死や不吉な出来事が相次いで、道真の祟りだとされるようになった。今となっては神様として崇められる存在だ。話はまだ終わらない。道真が愛したこの梅は、道真を追って太宰府まで飛んだという伝説まで残っている。太宰府天満宮にはその「飛梅」が神木としてまつられている。

ヨルシカ『ただ君に晴れ』

和歌の次にJ-popを持ってきてしまったが、私が好きなのだから仕方がない。

夏日 乾いた雲 山桜桃 さびた標識
記憶の中はいつも夏の匂いがする

ヨルシカは今をときめくアーティストだが、文学にインスピレーションを受けた作品が多いのも特徴だ。古風な日本語の使い方を織り交ぜるのも上手く、言葉に強いこだわりがあるのは明らかである。山桜桃(ユスラウメ)なんて普通知らない。

とりわけ、「夏の終わり」がテーマの曲はどれも優れている。『ただ君に晴れ』もそうだし、『夜行』も『雨とカプチーノ』も、夏の終わりを描いている。夏の終わりに「エモ」を感じる気持ちは今も昔も同じで、百人一首にはこんな歌がある。

風そよぐ楢の小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける/藤原家隆

風が楢の葉をそよめかすこの楢の小川の夕暮れ時は、まるで秋を思わせ、みそぎが行われていることだけが夏のしるしであったよ。

佐佐木幸綱・復本一郎編『三省堂名歌名句辞典』新装版(三省堂)279ページ

夏のただ中はあれだけ「熱い熱い」と言っているのに、過ぎてしまうと強烈なノスタルジーを置いていく。

銀杏を炒りて気付きしその殻の堅きをたれに伝えんとせむ

引用っぽく載せたが、これは自作です。すみません。

秋になるとどことなく香ってくるあの匂い。小さい頃、ただ異臭を放つものでしかないあの実をせっせと拾っている人を見かけて、正気の沙汰ではないと思ったものだったが、そんな自分も今は好物なのだから大人ってすごい。

コンビニで売っているおつまみの「揚げぎんなん」が好きで頻繁に食べていたのだが、あるとき生(?)の銀杏が売られているのを見て、思わず買ってしまった。調理法がわからず、とりあえずフライパンでゴロゴロ炒ったまでは良かったのだが、いざ食べようとして殻が一向に割れないことに気がつく。ペンチなどを持っておらず、食べることすら諦めようとしたあげく、最終的にワインの瓶で潰してむりやり中身を取り出すことに成功した。

ぎんなんを炒ったけど殻が堅くて、結局ワインの瓶で叩き割って食べました、なんてどうでもいい話多分この先誰かにすることはないだろう。だけど、この経緯に至るまでに確実に時間を費やした事実があって、そのことにリアルがあるような気がして歌にしてみた。

街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る/木下利玄

子供とすれ違ったときにふわっと香った蜜柑の匂いで、冬の始まりを感じた。子供の無邪気さと蜜柑の爽やかさが同居しており、冬の歌にしては珍しく前向きな明るさがある。

この歌を知ったとき、脳裏に浮かんだのは芥川龍之介の『蜜柑』だ。

憂鬱な気分を抱えたまま汽車に乗っていた「私」は、「如何にも田舎者」らしい「十三四の小娘」が乗り込んでくるのを見た。三等列車の切符を持っているにもかかわらず二等列車に乗り込んでくるわ、服装はみすぼらしく、顔立ちも気に入らないわで、何から何まで不快になる「私」。おまけにこれからトンネルへ入るというにもかかわらず窓を開け放ち、汽車の黒煙をもろに流し入れてこれでもかというほど「私」をいらだたせる。

ところが、汽車がとある踏み切りにさしかかったところで、「私」はすべてを理解する。娘はそこに待ち構えていた子供たちへ、蜜柑を放ってよこしたのだ。娘はこれから奉公先に向かうところで、待っていた子供たちは弟であろう。一度行ったら次はいつ帰れるのかわからない時代、計り知れない寂しさを抱えつつ、蜜柑で見送りをねぎらおうとする暖かさ。ただただ不快の対象でしかなかった娘の一連の行為が、一度に良好なものに変わったのだった。

いずれも、蜜柑の持つイメージを最大限に活かした文学作品だろう。

終わりに

私自身がそこまで香りを意識した生活をしていないためか、自身のエピソードを語るよりは作品紹介ばかりになった。唯一この香りが好きだと言えるのは、コーヒーだ。香りを目的に淹れていると言っても過言ではない。休日の朝、コーヒーと焼いたパンの香りだけで幸せな気分になれる。

「香り」をテーマに語るとなると、今の私にはこれが限界だ。いかがだったでしょうか。

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