「また次もお願いしたいな」と編集者に思わせるライターさんがしているあるひとつのこと
「いいライターさん、いない?」
編集者が集まると、ほぼこの言葉が誰かの口から出てきます。
そのくらい、編集者にとってライターさんは欠かせない存在です。ライターさんの良し悪しで仕事の進め方やスケジュールが決まる、と言っても過言ではないと思います。とくに〝聞き取り〟によって構成されることの多い実用書においては、ライターさんの力量しだいで本の仕上がりが左右されることも(もちろん、最後は著者や編集者が責任を持って校了するのでライターさんが文責を負うわけではありません)。
ライターさん、といってもジャンルによってタイプはさまざま。
私がお願いをすることが多いのは、聞き取り取材や書籍全体のライティングをおまかせするタイプのライターさん。
また、書籍のプロモーションにおいて、パブリシティ記事をお願いするライターさんもいます。
メディアのありようが紙からWEBに増えたことで、ライターさん自体の数は増えているようです。きっと働き方も仕事の進め方もギャランティーも、かつての紙媒体オンリーの頃に比べ、多岐にわたっているのでしょう。SNSでは日々、ライターさんと思われるアカウントから悲喜こもごもの声があがっています。ライターさんに案件を発注する側である私は、ドキッ、ヒヤッとすることも・・・・。
そこで冒頭に戻ります。「いいライターさん」、つまり「次もお願いしたくなるライターさん」のもつ要素ってなんだろう? もちろん、発注者・受注者の関係はあれども、仕事を進めるうえで両者の関係性は対等なので、その答えはブーメランのように編集者にも当てはまってきます。その理解を前提に、私が編集者歴30年以上のなかでいま「それな!」と感じている要素を絞り込んでいったら、たったひとつの「あること」に集約されました。
それは、締切や時間の感覚が「ちゃんと」していること。
なんだよ、原稿の内容や出来じゃないのかよ!
はい、そこじゃないんです。
いや、最終的にはそこなんですが、そこにいきなり到達するケースって、まず、ないんです。たとえばインタビュー記事ならいろんな立場の人がその原稿を見ます。インタビューされた当人、そのマネージャーやエージェント、その記事をメディアに持ちかけた人、その記事の取材執筆をライターさんに依頼したメディア編集者、その上司・・・・みんな当事者なりの思惑を持って、その記事をチェックします。インタビューされた当人なら、自分が答えた内容(読者に届けたいメッセージ)が適確な言葉で表現されているかを見ます。まわりのスタッフは、誤解を生む文言が入っていないか、必要な情報がふさわしい表現で正しく盛り込まれているかどうかを見ます。メディア側は読者目線で「面白い内容か」「読み応えがあるか」加えてオーダーした文字数に合っているかもどうかも見ます(最初にそこをチェックする編集者もいます)。
つまり、編集者に渡された原稿は、いろんな人を介していろんなチェックを経て、つまり修正(変更もしくは更新、ブラッシュアップ、とも呼ばれる)を施されてから「公開」されるので、渡したときの完成度よりも、渡すタイミングが重要だったりするんです。編集者はそこを見込んでスケジュールを組み、締め切り日をライターと相談しているはず。だから、締切を大きく外されると、編集者だけではなく、他の関係者のスケジュールにまで影響してくるので、やっかいなことになるんです・・・・・・。
とはいえ、働いているといろんなアクシデントが起きます。だから「ヤバイ! 間に合わない!!」場合も起こりうる。編集者もそこはお互い様だから、締切を過ぎることにそうそう目くじらを立てません。立てるとしたら、「連絡がない」こと(涙目)。
ほんのわずか前でもかまわないので「遅れます」予告をしてもらえれば、対策が立てやすいので、大ごとにはなりません(ならないように手配・差配するのも編集者の仕事なので)。ただ、何も連絡がないのは、おそろしい。ただの体調不良? それとも家族に何かあった? メンタル的に原稿が書けなくなった? もしかして私のこと信頼できなくなった? お願い、何でもいいから連絡して! メールに返事をしてくれ、電話に出てくれーーーー!!!
連絡するのが怖い、という気持ちもわかる。ダメなライターと思われるんじゃないか、勝手だと怒られるのではないか、、、でもたいていの編集者は、「えーっ」と第一声を上げたあと、「わかりました。それは大変でしたね。ではこうしましょう・・・・・」と、わりと冷静に、〝その後〟の策に移行します。だって、何度も経験しているから。そしてしつこくくり返しますが、人生にアクシデントは付き物。それはライターさんも編集者もお互い様ってことを、経験から知っているはず!
「遅れます」と連絡を受ける際、「もうちょっと練りたいんです。あと一週間ください。もうひと頑張りさせてください」と言うライターさんもいます。若い頃は、そんなライターさんの思いを意気に感じ、応じていました。
でもいまは、違います。よっぽど本人が納得いかないレベルでなければ、まずは見せてください、と返すことが多いです。
見せられないほど完成度の低い原稿でなければ、ライターさんと編集者両方で、「何が足りないのか?」「どこをふくらますか?」「具体例が十分に盛り込まれているか?」(←これが薄いと、ふわっとした原稿になりやすい)を話し合うほうが、ライターさんひとりで一週間悩むよりも、手っ取り早いからです。
「自分でイマイチだと感じている原稿を渡したら、〝書けないヤツ〟と認定されるのではないか・・・・?」と不安に思う気持ちもわかります。
大丈夫です。編集者は、「このままなんの変更もなく、公開できる」完成原稿を求めているわけではないから。
いや、そんな原稿がサクッと受け取れればラクだなあ夢のようだなあと思いますが、そんなケース、ほぼないです。本人が「カンペキだぜ」と思っていても、何かしら間違いや改善点が見つかるものです。そして最終的には(校了時には)納得いく原稿に仕上がればよいので、それまでに複数回に及ぶやり取りが発生することについては、経験上、覚悟済みなんです。
あえて、あえて言うならば、「そこそこ」でいいんです。
つい最近、20代のライターさんとお話しする機会に恵まれました。その方が書いている文章が大好きで、こちらから声をかけ、実現した「初打ち合わせ」です。
終わったあと、すがすがしい疲労感とともに、「何かやらかしちゃってはいないだろうか?」との不安がジワジワ押し寄せてきました。
私はちゃんと彼(彼女)の言葉に耳を傾け、すくあいげ、そのうえでリアクションを返せていただろうか? もしかしたら、彼(彼女)を発奮させたいがために、また自分を大きく見せたいが為に、自分の意見や考えを強い言葉で述べてしまわなかったか・・・・・?
戦略的に「攻撃」し、優位性を示すための「論点ずらし」をやってはいなかったか・・・・・?
先の東京都知事選でも、このふたつは年齢にかかわらず絶対やってはならない(得策ではない)と学んだばかり。
働き方、仕事相手との付き合い方、どちらもそれなりにアップデートはしたほうがいい。そのうえで、「そこそこ」でよいから「ちゃんと」約束どおりに原稿を編集者に渡してくれる。そしてその後のやり取りを、いまどきの働き方・モラル・コンプラをアップデートしたうえで柔軟に行える。
そんなライターさんが「次もまたお願いしたい」と私が思うライターさんです。そして私自身も、ライターさんに「次も一緒に働きたい」と思ってもらえる編集者でいられるよう、ここに書いたことを、そこそこ・ちゃんと、出来るよう努めたいと思うのです。
文/マルチーズ竹下
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