202005017_ようやく読了『真説・佐山サトル』

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 こちらもよ〜〜〜うやく読了、2018年刊の『真説・佐山サトル』。
 2018年に刊行されて買った本を読み終えるのに2年かかってるし、本当は読了したの9日前なのに、感想をnoteに書くのにも8日かかってるし、この遅読・遅筆は重症だ。

 しかし! 抜群に面白かった。
 田崎健太氏といえば『真説・長州力』も相当なリキ作だったけど、こちら読む側の対象への思い入れが違う分、やっぱり佐山本の方が面白かった。

 長州はあくまでプロレス内プロレス(おっと死語か)の人だし、長州が環境を変えるきっかけはいつでもカネだし、いろんな意味で大人な長州が語る「カネとプロレス」の話は、実にこの人らしくって、趣深かった。
 その一方で佐山は、虎の仮面をさっさと脱ぎ捨てると同時に、プロレスの枠すらも軽々と飛び越え、以降は(「殺すぞ」と可愛い教え子をぶっ叩きながら)理想の格闘技に邁進する日々。しかし佐山は、多くの理想主義者のご多分に漏れず、カネにはまったく無頓着。
 第1次UWFを去ることになったのも、前田日明たちに「自分らは興行で食っていかなくちゃいけないのに、あの人だけジムの収入で安定してる」とやっかまれたのがきっかけだし、つまるところ問題はカネ。
 プロレスを卒業して創りあげた新格闘技・シューティング(修斗)を去ることになったのも、初期の興行が成功せず溜まりに溜まった負債がきっかけだし、借金返済のために再度プロレスにすがりつくことになって教え子たちの反発食ったのもダメ押しだったし、これもつまるところ問題はカネ。

 カネに対する嗅覚が敏感で、順調に権力者として巨大化していった(WJで頓挫して、以降面白滑舌おじさんとして今に至るけど)長州と、理想だけで突っ走って、その都度不得手なカネの問題でつまづき続ける佐山は、何から何までが、まったくもって対照的だ。
 個人的にはやっぱり、プロレス内プロレスのビジネスに長けた長州より、プロレスの枠をぶち壊しながら愚直な冒険を続けた佐山に、どうしても惹かれてしまう。

 ここで蛇足な話をちょっとしたくなったので、どうかご容赦を。
 田村潔司 vs. 船木誠勝の煽りVで「今の総合格闘技を創ったのはUWF」と前田は葉巻をくゆらせながら言っていたけど、はたして今日の総合格闘技は、本当に前田の言う通りUWFありきで発展していったのか、それともシューティング(修斗)ありきで発展していったのか。
「卵が先か鶏が先か」みたいな話だけど、一部のプロレスラーとプロレスファンを巻き込んでビッグバンを起こしたPRIDEは、Uインターのデカくなりすぎた鬼っ子というべき存在だったし、競技性・公平性よりも興行のダイナミズムを優先する姿勢は、後継のRIZINまでしっかり継承されているし、やはり日本におけるPRIDE史観の総合格闘技は、UWFありきで発展していったのは紛れもないところに思う。
 一方の海外、UFCは、米国の巨大なボクシングコミッションの圧力に抗しながら生き残るために、残虐性を排除して競技化をはかっていった。その際に大いに参考にしたのが修斗の方法論だったわけで、UFCの現在の隆盛には、修斗の貢献が大だったといえる。
 要するに、UWFありきで発展したのが、日本のPRIDE→DREAM→RIZINで、修斗ありきで発展したのが、海外のUFCってことになるんだろう。
 個人的には、プロレス村と格闘技村の棲み分けなんて、もうとっくに済んでるんだから、日本のメガリングも、そろそろ競技性に大きく舵を切ってもいいんじゃないかと思うんだけど……。

 あれ、いつの間にか『真説・佐山サトル』よりも『1984年のUWF』や『2000年の桜庭和志』の続きみたいな話になってしまったぞ。
 袂を分かつ悲しい運命にあった佐山(シューティング)と前田(UWF)のことを考えていたら、大きく話がそれてしまったようだ。
 では最後に、個人的な願望を一つ。
 ご本人は同じことを何百回も言われて飽き飽きしているだろうけど、やはり田崎氏には真打ち『真説・前田日明』をやっていただきたい。
 前田本の決定版がいつまでも塩澤幸登氏のまんまじゃ、あまりにもあんまりだもん(苦笑)。

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