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おおばしゅうの「言葉のおすそわけ」第5回

2022年春に過疎発祥の地である島根県益田市から、地元静岡県にUターンし、家業の会社(カネヤ工業)に入社し、営業・広報として働きながら、生き方に関するトークイベントを開いたり、農業を展開したり、静岡での暮らしや跡継ぎ、地域についてのあれこれを発信している おおばしゅうが、心の中で思っていたことや小さな気づき、残しておきたいことを自由に綴ります。

(ヘッダー画像(撮影):おおばしゅう)


自分らしい言葉の育て方。


自分が発した言葉によって、
自分が今こう考えているのかと気付くことがある。

いろんな人に会って話を聞いたり、オンラインで語り合ったり、noteやインタビューを読んだりする中で、この人の言葉いいなと思うことは多々あって、自分には思い付かない、思い付かなかった言葉に嫉妬することがある。

でも、その言葉を自分が発したとしても、果たしてそれは自分の言葉なのだろうか。一時期、誰かの言葉を借りて自分の言葉としていた自分は、あるとき、自分の真の言葉って何なのだろうと考えることがあった。

考えても明確な答えが出ずにnoteを書いていたところ、何も意識せずにnoteに言葉を書き出していた。その言葉、文章って、自分の脳内で浮かんでいる景色、言葉や単語などを形にしたものじゃんと。そこから、文章にする中で出てきた言葉や、発せられた言葉、それを生み出すきっかけとなった情景こそが、自分の真の言葉になるのだと思えるようになって、楽になった。


小説を読んでいて、この場面にこういった言い回しをするのかとハッとさせられることもあるし、フォローしているnoteのクリエイターの文章を読んで、この人の言葉の背景や世界観を覗いてみたいと思うこともある。昔は、自分が納得する言葉を見つけられなくて、他の人が残す言葉に嫉妬することもあったけれど、今は、その感情さえも自分の言葉探しに活かそうと前向きになっている。

そういえば、ラジオのパーソナリテイの人が発した言葉も、
Twitterに書き残された言葉も、お茶をしている席で言われた言葉も、
自分の脳内に浮かんだ言葉も、自分の言葉を育てる要素になってる。

考えや価値観がアップデートするように、自分の言葉もアップデートしていく。そのために、いろんな方面からのインプットという水や肥料を与えながら、アウトプットという果実を実らせていくこと。言葉も、植物と同じ育てていくものだ、と、12月の満月を見ながら思う。


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