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アースダイバー  中沢新一  講談社


 私は、「自分は神である」という説を唱えているのだ。

 その1。私は神だ。いつが朝でいつが夜かは私が決める。よって、人からは私が朝寝て昼寝て夜も寝ているように見えたとしても、それは見る人が間違っている。

 その2。私は神だ。どっちが東でどっちが西かは私が決める。よって、地図を見ながら目的地に向かったのに意図した場所にたどり着かなかったら、それは地図が間違っている。

「こんな本あるよ」と息子が「アースダイバー」を貸してくれた。パラパラめくる。東京の古代地図と現代の写真がちりばめられている。まるで「ブラタモリ」のような雰囲気。私はこの本のことをまったく知らなかった。

 「よく売れたらしい」と息子が言う。奥付をみる。第1刷発行が2005年5月30日、手元にある本が第9刷で2005年12月1日発行。たしかにこれだけ短期間で9刷なんだから売れてるね。

 驚くことに、息子は我々の家の自分の部屋の書棚にこの本を置いているだけでなく、自分の家にも一冊持っていたのだ。「なんでそこまで」と問うと、「自分は東京生まれ東京育ちだから。」

 そうだよなあ、息子は東京信濃町の慶応病院生まれだ。息子の父親は九州出身、母親は千葉県出身。あのクリスマスパーティがなければ、息子はいなかったね。

 「アースダイバー」は、縄文時代の地図と照らし合わせながら中沢新一が現代の東京を歩き回る本だ。海進、海退、そして人工的な水路掘削、流路変更、埋め立てなどで東京は土地そのものが激変しているのだ。


★第1章 ウォーミングアップ  東京鳥瞰

 東京という都市は皇居を中心としてドーナツの真ん中に穴が開いている状態だと書いてある。皇居があるのだから何もないわけではないのだが、資本主義的利益に資するものがないという意味では確かに穴である。縄文集落も円環状で真ん中には広場があるきりで何もなかったと書かれている。

 もともと日本人の思想は「中心になるものは何もない」っていうことだと思う。長らく日本の中心として取り扱われてきた天皇だって突き詰めればその人というより「何もない場」だろうし。

 分かりやすい例として、絵画を挙げてみる。西洋絵画には一点消失の遠近法がある。伝統的日本画にはない。日本画では一枚の絵の中で視点が動くのである。その動きっぷりはセザンヌの比ではない。これも、「中心になるものはない」の表れだと言えないだろうか。

 神様だって一神じゃなくて八百万の神だし。そして、以前、何かのことで冷泉家の女性が「神様を格付けするなんてとんでもない」って激怒した話を聞いた。八百万の平等な神様たち。ずっと日本の歴史の中核にいた家柄の人はこういう考え方なんだって、私は深く感銘を受けたのだった。


★第2章 湿った土地と乾いた土地  新宿~四谷

 東京の地下鉄中野坂上駅を出て坂を少し下ると、右側にあるのが多宝山成願寺(じょうがんじ)。数メートルの高さの竹垣の中で、白隠さんの絵とそっくりな達磨さんがぎょろりと目玉を剥いて睨んでいる。私はそこの書院で行われていた禅会に配偶者とともに通っていたことがあった。息子に車で送り届けてもらったこともある。

 成願寺を開創したのが、中野長者と呼ばれた室町時代の大富豪、鈴木九郎である。アースダイバー第2章のうち新宿に関する記述の大部分がこの鈴木九郎に割かれている。鈴木九郎は新宿開発の礎を作った人物だ。

 鈴木九郎には金にまつわる伝説がある。この伝説には水と大蛇と黄金がからまる。そして中沢新一はこの3つからワーグナーを連想したのだった。

 私、成願寺での禅会からの人のつながりで、あるドイツ人に会ったことがある。もちろん私にはドイツ語はギリシャ語並みに分からなかったが、この人がババリア地方に住んでいることは分かった。そうか、ババリアか。それならば、と私は「3,4」と体で拍子を示してワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー序曲」の出だし部分のメロディを歌った。当然、彼も追随した。こうして会話ができないババリア人との親密な雰囲気が作られた。

 それから四谷。四谷と言えば、上智大学と四谷怪談である。上智大学の土手の桜も綺麗だが地下鉄四ツ谷駅のホームの上智大学と反対側にある桜は「ずっと見ていたいから電車来ないでほしい」と願ってしまう美しさだ。

 中沢新一が取り上げたのは四谷怪談のほう。アースダイバーでは、高台である「乾いた土地」と、昔は海だったような下にある「湿った土地」の入り組みから生じる対立や交流が大きなテーマをなしている。

田宮伊右衛門とお岩さんは人柄もすぐれたオシドリ夫婦だったらしい。乾いた土地で仲睦まじく暮らした幸せな夫婦。それを200年後の湿った土地に住む鶴屋南北が嫉妬した。かくしてお岩さんはあんなお岩さんということにされてしまった。


★第3章 死と森  渋谷~明治神宮

 中沢新一は、森は累代の天皇にとって「ハレ」の場であったと述べている。

 日本人にとってのハレ(晴)とケ(褻)という言い方は、何かにつけて、これでもかというくらい持ち出される。しかし、私には疑問があった。確かに「ハレ」については、晴れ着、晴れ舞台などの言葉があるが、「ケ」を日常的なこと、あるいは忌むべきものとして使っている例はどこにあるのか。

 調べてみた。ハレとケという区分を主張したのは柳田国男だった。ケ(褻)の用例には褻着(けぎ:普段着)とか褻稲(けしね:自家用穀物)などがあるという。褻着とか褻稲って普通の日本人が広く使っていた言葉じゃないよね。常用語としては字の画数が多すぎるし。それなのに「褻」を一般化された概念として持ち出すのは無理がないだろうか。素直に「汚れ」とかなんとかじゃダメなんだろうか。

 私が明治神宮に行くにはJR原宿駅が便利である。かつて、原宿駅前には竹の子族がいた。ロックンロール族もいた。ロックンロール族の男たちはリーゼント、黒い革ジャンで腰にキーをジャラジャラぶら下げ、磨き上げた革靴をキュッキュッ鳴らしながら飽きもせず延々と同じ動きを繰り返していた。

 私と息子は一時期、同じ先生からバイオリンを習っていた。この先生はピアノの先生の娘であり、その妹ともども、子供時代から将来は音楽家になるべく厳しく育てられた。ところが、彼女は日曜日になると家族の目を盗んで原宿に出かけ、ロックンロール族になっていたのだった。バリバリのクラシック女がロックンロール族。面白いね。

 竹下通りだの裏原だの、原宿といえば若者というイメージしかないけれど、1971年、原宿でナウマン象の化石が発掘されている。原宿はそういう場所だ。


★第4章 タナトスの塔  東京タワー

中沢新一は言う。江戸時代の江戸の町の中心はどこだったか。それは江戸城ではない。富士山だ。人々は富士山を眺めて、あるいは富士山に眺められて暮らし、六根清浄と唱えながら富士山に登り、真新しい自分に生まれ変わって降りてきていた。現代の東京タワーは果たして富士山に代わる存在たり得るか?

ところで、東京タワーにはかつて蝋人形館があって、東京タワーに昇ったあとは蝋人形館を通らないと娑婆に出られない仕掛けになっていた。2013年に閉館されたけど(アースダイバーの発刊よりも後)。

不思議なことに、国や場所を問わず、蝋人形館には拷問シーンがつきもののようである。そして、東京タワーの蝋人形館だけでなく東京ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドにも拷問されているかなりリアルな人形があった。

リアルな人形があるところ拷問シーンがあるっていうことは、お約束としてそれが求められており、東京タワーやディズニーランドにお気楽にやって来たごくごくノーマルな一般人に提供してもエンターテインメントとして成立するっていうことだろう。加虐、被虐を求め、楽しむのは誰でもが持つ人間のサガって言えるかもしれん。

三島由紀夫が東大900番教室で1000人からの全共闘学生を相手にする討論会に挑んだ折、彼はこう言った。「最高のエロスは縛られた女だ」。その理由も言っていたのだが、はっきりと思い出せない。確か、相手から能動的にこちらとのかかわりを求めてくる存在じゃないっていうことが重要要素だと言っていたような気がする。

東京タワーという建造物にタナトス(死の衝動)を見た中沢新一の感覚。きっと、拷問のエロス感覚と相通じるものがあるね。


★第5章 湯と水  麻布~赤坂

 中沢新一という男、拷問どころか東京の温泉や地下鉄にもエロチシズムを感じる男だった。アースダイバーには下記のように記述されている。

 東京の温泉についてはこうだ。

中沢新一は麻布十番温泉に向かいながら次のように思っていた。なお、麻布十番温泉は2008年に廃業してしまった。

 「六本木駅をすぎて、地下鉄の電車が麻布十番駅に近づくにつれて、ぼくの胸は幻想に高鳴る。ぼくの乗っているワゴンのすぐ脇を、地下のマグマに触れて高熱を得た地下水が、暗い岩の割れ目をぬってドクドクと流れている。という幻想だ。もちろんこれは幻想にすぎない。麻布十番温泉は沸かし鉱泉にすぎないからだ。しかし『東京の温泉』という概念じたいが、そもそもエロチックなものだから、こういう幻想がわき上がってくるのもいたしかたないだろう」。

 東京の地下鉄についてはこうだ。

 「地下鉄の座席に座って、何食わぬ顔で本を読んでいるようなふりをしながら、ぼくはほとんど性的な興奮にふるえている。自分の肉体の一部が、他の存在の肉体の一部に、じかに触れて周りからやさしく締め付けられているような感覚だ。そう、いまぼくは地下を走るチューブの中にいて、その周りでは地球の熱い血液が脈打っているのである。地下鉄は存在自体がエロチックだ。地上にいて、足下を地下鉄が走り抜けていくのを伝える振動を感じるたびに、ぼくには東京が性的な快感にふるえているように思える。道路脇の排気口から、ときどき熱い吐息がはき出される。その吐息は、路上を歩くたくさんのマリリン・モンローたちのスカートの奥に吹き込まれて、彼女たちの太股に地下の秘め事の余韻を伝えていく。東京はすばらしく性的な身体をしている。」


★第6章 間奏曲  坂と崖下

この章では、雑多なものが細切れに取り上げられている。

金魚、盆栽、へら鮒、庭、路地裏、猫、歌舞伎役者。


★第7章 大学・ファッション・墓地  三田、早稲田、青山

 東京の大学用地は古墳や埋葬地だったところが多いと書かれている。

 古墳といえばまずは前方後円墳である。で、四角いほうが前で丸が後ろっていうのはいったい誰がどうやって決めたのか。なんかおかしくないか?

例えば、古墳の平面図を書いてみるとする。四角が前なんだから、北を上に書く地図のような感覚で、普通は四角を上にして丸が下になるような図を描くだろう。出来上がった図はまるきり曲芸師の玉乗りである。不安定ったらありゃしない。なんかおかしくないか?

 前方後円墳と命名したのは江戸時代の国学者、蒲生君平だそうだ。が、この命名に確たる根拠があったわけではない。各地の古墳に付けられている名前などから、「多分、四角が前だろ。うん、そうしとこ」って決めたらしい。「いいや、そうじゃない」って反論しようにも同様に学問的根拠はなく、それでずるずると今日に至るまで、前方後円墳。

 正解が分からないのをいいことに好き勝手というと、恐竜の皮膚の色が思い浮かぶ。恐竜の骨は残っているが皮膚は残っていないので、どんなだったかは誰にも分からない。なのでテキトーに蛙とか蜥蜴の色とかを無断で使っているだけだ。

 実際はどうだったのか。創建当時の宇治平等院もびっくりという極彩色だったかもしれないし、楳図かずおのまことちゃんハウスのような赤白ボーダーだったかもしれないし、あるいは横腹にIngenⓇっていうロゴ模様があったかも知れぬ。


★第8章 職人の浮島  銀座~新橋

 アースダイバーでは中沢新一の工夫による特殊な地図が使用されている。縄文時代にも乾いた陸だった洪積世地層と縄文時代には海の下だった沖積層地層、それに現代の状況を重ね合わせた地図である。この地図は「アースダイビングマップ」として本に折り込みで付けられている(冒頭の書籍画像参照)。さらに、本文中の各章の最初にも、アースダイビングマップのうちその章で該当する部分のみを切り取った地図が掲載されている。

 この第8章で取り上げられている場所の大きな特徴は、これまでの場所ではいずれも洪積世地層と沖積世地層が入り組んでいたのに対し、ここは沖積世一色だということだ。つまり、銀座は現代の社会経済的には「お高い場所」であるが、地層的には「お低い場所」なのである。銀座は駿河台あたりの低山を掘り崩した土で海を埋め立てて造られた人工の土地だ。

 前にも書いたけれど私は絵心皆無。つまり、おしゃれのセンスがゼロなのだ。それでも何年かに一度、脈絡なくむやみとおしゃれしたくなることはある。そこで高齢者向けのファッション雑誌を買ったところ、鳥打帽(ハンチング)なら誰にでも似合うと書いてあった。「よし!これだ!」。私は本を買って3時間後には銀座にいた。やっぱり高級ファッションは銀座だと思ったからだ。帽子専門店で鳥打帽を買った。

 しかし鳥打帽を買ったは良いが、なんとなく手持無沙汰で、これだけでは恰好がつかぬ。そうだ、ステッキも買おう。しかし、待てよ。ステッキって外国人だからサマになるんだろう。日本人たる私には似合わんと思われる。ではどうすればよいか。日本人だからステッキじゃなくて杖だろうな。日本人らしい杖とはどういう杖か。水戸黄門がついているような杖こそが日本人らしい。で、そういう杖を注文した。

 杖が届いた。鳥打帽をかぶり、黄門杖をついて、すっかりこれまでとは違うダンディのできあがりである。誰かに見せびらかしたいなあと、とりあえずそのへんの喫茶店に入った。どうじゃ!

 喫茶店にいた女客が初対面の私をじろじろと無遠慮に眺め、杖を指して不審そうに言ったのだ。「それは何ですか?」

 これが何か分からぬだと? あまりにあほらしくて口をきく気にならぬ。私は英国茶を、いつもなら入れる砂糖も入れずに、一気に飲んでそそくさとその喫茶店を出た。ああ、やだねえ、この町は。モノの価値を理解できぬ町だ。なにより、頭を見ろ。銀座の鳥打帽をかぶってるんだぜ。ちなみに私が住んでいるのは江戸川区小岩。沖積世地層の純粋まじりっけなしの「お低い場所」だ。

 アースダイバーを読んで知った。埋め立てられて海を失った漁師たちは土の上で銀貨の製造にはげむこととなった。銀座の誕生である。当時の日本は銀本位性だ。実用には金より銀だった。そして、銀座の男たちはその技術を悪用し銀貨をこっそり改鋳して銀の含有量を下げ、浮いた儲けで吉原に通い女を買いまくったのだった。銀座ってガラ悪かったんだね。銀座で鳥打帽を買ったのが失敗だったんだ。代官山あたりにしとけばよかった。


★第9章 モダニズムから超モダニズムへ  浅草~上野~秋葉原

旅行けば、駿河の国に茶の香り
流れも清き太田川、若鮎躍るころとなり
松の緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ
娘やりたや、お茶摘みに
ここは名代の火伏の神
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児
昭和の御代まで名を残す、遠州森の石松を
不便ながらも務めます

広沢虎造の浪曲「石松三十石船道中」の出だしである。私は、中学生のころ、浪曲を覚えたくてこの広沢虎造の森の石松のLPを聞きながらひたすらなぞっていた。とにかく忠実にやりたかった。虎造は上記の「遠州森町」のところを語る前に軽く舌打ちをする。その舌打ちを真似る練習をしていて母親に大笑いされたことがある。

秋葉原は森の石松にもでてくる火除けの神様、秋葉権現が祀られていたところだ。だから「アキバハラ」が正しいはずなのだが、なぜか「アキハバラ」になっている。東京人は勝手に濁点をいじくる趣味があるようだ。私の母親の旧姓は「手島」であり、これは本拠地たる九州では「テシマ」なのだが、なぜか東京では「テジマ」にされてしまうのである。

 中沢新一は述べている。「戦後に誕生した新興宗教の教祖のうちの何人かが、ラジオ商を営んでいた」。そうなのか。言われて見れば宗教と電波は共通点があるような、ないような。まあ、どうであろうと、秋葉原がオタクにとってもそうでない人にとってもワンダーランドであることは間違いないだろう。ヒャッキンの店を覗くような楽しさがこの街にはある。


★第10章 東京低地の神話学  下町

 下町については、昼夜の神と東西の神を兼任する私が住んでいる場所、ということで十分ではなかろうか。


★第11章 森番の天皇  皇居

 私の神は自称だが、こちらは本物の神、かつては現人神と言われていた天皇である。

 三島由紀夫が東大900番教室で学生たちと討論したとき、天皇に対する想いを吐露していた。三島由紀夫は学習院高等科を主席で卒業した際、天皇から銀時計を親授された。そのときの直接に天皇に接した感覚が、理論だけではない人間としての体温を通じての感覚が、彼の思想から抜きがたいものとなった。

 日本人がいて、天皇がいて、皇居があって、森がある。

 中沢新一は都市の真ん中に皇居やその周辺に森という「空虚な中心」があることは素晴らしいではないか、という。まったく同意である。第1章「ウォーミングアップ」で書いたように、日本や日本人の中心、そういうものはないのだが、あえて「ある」と言うのなら、「空虚がある」と言えよう。

★エピローグ

 有吉弘行は、あだ名付けの名人である。今はやっていないが、かつては人にあだ名をつけまくっていた。

 彼が付けたあだ名にこういうものがある。
「子供の皮を被った子供」 - 芦田愛菜
「イケメンの皮を被ったオタク」 - 松坂桃李

このデンでゆくと、アースダイバーは「学術的考察の皮を被った哲学的妄想」だ。定規の目盛を読み取るときのような目つきでこの本を読む必要はない。海苔塩味ポテトチップを食べながら読むのが正しい態度である。


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