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【人生の災いを防ぐ秘法】

「超越気功協会」では多種多様なセミナーが開催されています。
その根本にあるのは、Dr.Shuの持つ基本哲学がベースとなり、これまでの約30年近くに渡る活動の中で、無限と言っていいほどの人生をよりよく柔軟にかつ力強く生き抜くためのメソッドの数々が展開されています。そしてそれは、他の誰も真似ができない、超オリジナルなものです。

この日行われたのは、
【「災害を防ぐ霊術」人生の災いをよける秘法】
というテーマのセミナーです。そこに出てきたのは、誰もが人生で起きる可能性のある「人生の災い」。そしてそれは、災いの主としての存在が9種類に分類されていました。

【災いの主 】動物霊、地縛霊、怨恨霊(生霊も入る)、土地家屋霊 災害霊、騒動霊、反逆霊、魔王、大魔王

これらに取り憑かれると、体のどこにどのような症状が出るのか?
心や精神に、どのような影響を及ぼすか?などを詳細に学びます。

ではどうしたらいいのか? ここが非常に大事なところです。
誰かに何かに多大なお金を払って他人任せで依存したところで、
改善するどころか、逆に人生が破滅に追い込まれてしまうことは、
昨今の事件においても明らかなことです。

私たちは誰もが「己心の魔」と戦っている
責めるものはいない
すべては自分の心の陰だから

さて、セミナーの終盤に一つの疑問を抱きました。
この「災いの主」たちというのはなぜゆえ存在するのか?

善悪を超える生き方とは?
災いの主の存在の意味とは?

質問に答える、Dr.Shuの広く深い人生哲学に触れていただけましたら幸いです。Shu officeより

Question
災いの主の存在の意味は何ですか?
天使と悪魔がいたならなぜ悪魔がいるのですか?
その意味は私たちが善悪の意識を乗り越えるためでしょうか?
「誠実さで生きる」ということに気がつくためでしょうか?

Answer
怨恨霊というのは誰かに裁かれて怨恨霊になります。私たちが裁く、裁かないという基準を持っている限りは災いの霊が挑んできます。

怨恨霊というのはそんな簡単にお祓いして上がるようなものではありません。それには実に深い深い人生観が必要です。

何が善で何が悪なのかについて、ニーチェの「善悪の彼岸」という哲学があります。いずれ我々は善悪を超えるだろうと思います。

歴史というのはお互いに相手を悪と見傚した時に戦争や犯罪が起きています。だから人間はいずれ善悪を超えなければいけない。そのために、「災いの主」というのが存在します。

善悪を超えた哲学をいかに持てるか。
私たちはそのために「人生観を磨いて生きる」必要があります。

僕は五歳の頃から目に見えない世界とやりとりしていますが、
凶悪な事件に巻き込まれて死んだ人たちがたくさんいます。
その人たちが霊界でどうしているかというと絶叫しているのです。
「死にたくなかった!」

実は叫ぶことによって、生命の扉が開かれるのです。
「私は他人に無残に殺されるような魂ではないということが殺されて初めてわかりました。もう一度生まれ変わって人間の生命をもっと大切にしたい。
「私の魂は尊いのだ!」と叫んでいます。

宇宙の扉は実に厳粛にできています。イエスキリストの「求めよされば与えられん」ですが、命がけで求めなければ開かない扉が多いのです、人生然りです。

人生の扉というのは、ある意味、鉄でできています。不条理な出来事や人間関係というのは私たちに「叫べ!求めろ!叩け!」と教えています。

それによって初めて人生の鉄の扉が開かれます。

難病も末期ガンも「死にたくない!」と本気で叫んで助かった人たちは無数にいます。それは現に自分が陥っている「絶望と死の恐怖の只中の中」で、
それを受け入れ精神が撃沈するのではなく、雄々しく挑んでいくのです。
「私はこんな運命ではない!」その時に鉄の扉が開きます。

私たちは命がけで天に向かって叫ばなければいけないのです。

運命が過酷だととらえるのではなく、それほど人間の魂が偉大だということです。

私たちは宇宙に直結しています。宇宙に直結している我々生命体のすべての力を使って思いっきり叫んだ時に扉が開くのです。

地球はそういう星です。叩いて開かない扉はありません。
ただし叩くなら命がけで叩くことです。そうしたら必ず道が開きます。
そのために地獄の魔王などの「災いの主」の存在があるのです。

試練というのは一人ひとりにとってはマックスの重さだろうと思います。
なぜ天は私をこんなに苦しめるのだろうか。
誰もがみな被害者意識になっても当たり前くらいの重さを生まれる前に抱えて生まれてきます。

私は幸か不幸か生まれる前に記憶を全部持っています。
産道をくぐる瞬間も覚えています。

地球という星は闇が多いのですが、この闇を◯%引き受けますと誓って生まれてきます。生まれた途端こんなはずではなかったと嘆く、しかしそれほど人間の魂は偉大のです。

だから夢を諦めてはいけません。
これが私の基本哲学です。

それは一人ひとりが抱えている闇です。
一人ひとりが抱えている十字架です。


どんな大金持ちも権力者も、おそらくプーチンも、ものすごく苦しんでいると思います。その業の苦しみの中で。
そして一人ひとりがキリストのように天に向かって叫ぶのです。

十字架に磔になったキリストは弟子にこう言いました。
哀れなのはお前の方だ。前途に広がる闇を知らないお前が哀れである。
人はみな闇を抱えている。いつか私と同じようにこの十字架を抱える。
その時は叫びなさい。

それはお釈迦様も同じです。
自分は幸福ではなかったのに世界中を幸福にするために、お釈迦様は死ぬまで法を説き続けました。お釈迦様も闇を抱えていました。

偉大な人というのは愛情に恵まれていない人が多いのです。
だからこそ世界を救いたいと思う。みんな十字架を抱えています。

お釈迦様が言ったのは、悟りを開く前に魔道といって魔王が襲ってきたが、それはすべて己れの心の陰であった。

モーゼは、「魔と戦う」と言いましたがそれは己れの魔です。

己れの中の「己心の魔」です。

最後は自分の心の陰だから責めるものがいなくなります。
ここまで突き詰めていくと謎が解けていきます。

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