GRが変えてくれた時間と風景と、わたし
ふと、つい数年前のことを思い出しました。
家に帰れるのは週に1、2回、ただひたすらにデスクに座って過ごす毎日。
何を食べても、何を見ても、何を読んでも、なんとも思わない。いつの間にかすっかり不感症な人間に成り果てていました。
そんな社畜生活を終え、ずいぶんと人間らしい生活を送れるようになった頃、気づいたことがあったんです。
「あれ……世の中って、こんな美しいんだ」
東京のビル群も、郊外の住宅街も、路傍の草花も、颯爽と歩く女性の姿も、なんかきれいだな、と。そのとき、悟りました。毎日見てきた街なのに、毎日何も見えていなかったんだ、って。
カメラを始めたのは、それからです。
――自分は、きっとまだ見えていないから、もっと見えるようになりたい。
そう想ったのがきっかけでした。
今、GRというカメラを使い始めて1年ほど。毎日当たり前のようにカメラを持ち歩き、街のスナップを撮っていますが、これまで撮った写真を見返していて、そういえば……と、カメラを始めたきっかけを思い出しました。
■自分なりの目線で写真を撮りたい
写真を始めるにあたって、最初にフルサイズのカメラを買いました。いつも見てる街も、遠出して訪れた知らない街も、自分なりの目線で切り撮ることができるスナップの楽しさに、あっという間に虜になりました。
レンズを買って、フィルターも三脚もストラップも……いろいろ機材も買い足し、この場所はこのレンズで、ここではNDフィルターをつけて……頻繁にセッティングを変えたりもしながら、しばらくカメラライフを楽しんでいました。
それはそれで十分に楽しかったですし、もちろん今だってフルサイズのカメラを持ち出すこともあります。
ただ、カメラを始めたきっかけだった「自分は、きっとまだ見えていないから、もっと見えるようになりたい」という動機からは、少しばかりズレているようにも思えたのです。
うまく言えませんが、“自分なりの目線で撮りたい”だったはずが、ただ“きれいに撮りたい”になっていた、ような気がしています。
もっとシンプルに写真を撮りたいと思い、手にしたのが「RICOH GRⅢ」でした。
■GRが変えてくれたこと
小さい、軽い、早い……GRは、すべての要素がシンプルです。いいなと思ってシャッターを切るまでのアクションを、とても自然にこなすことができます。そんなGRだからこそ撮れた気がしている写真をいくつかセレクトさせていただきました。
このGRというカメラは私の日々の充実を支えてくれる大切な存在です。出会ってから、街を歩く時間も、見える街の風景も、街を往く私自身も、すっかり変わりました。
これからもGR片手に、もっと見えないものが見えるようになりたいな、とつくづく思います。
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