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7/28 フレームワークは必要なのか

前は日報の意味合いが強かったから、1日前の日付にしてたけど、最近は思ったことだけ書いてるので、今日からその日の日付にしよう(どうでもいいけどw)

個人的には、あまりフレームワークというのを信用していない。フレームワークや分析などからは、面白いアイデアというのは生まれないと思っている。というか、それが「魔法」であるなら、既に世の中には毎日のように感嘆するような何かが生まれているはずだ。
あらゆる種類の面白いことや素敵なものは、ちょっとした思いつきやアイデア、なんかこうなったらいいなっていう願望から生まれてくると思っている。昨日、本当の自分なんていないっていう話を書いたけど、じゃあ僕らがまとっている自分という「服」を総称して何というか、というとその人の「世界観」という言葉が最もぴったりだとは思う。
そう、面白いものやワクワクすることは「世界観」の中から生まれてくるものなのであって、それは分析することから始まるわけではないのである、と僕は思っている。

ただ、じゃあフレームワークや分析に意味がないか、と言われると、それはそうじゃない。世界観から生まれる「何か」が、本当に自分がやろうとしていることに適しているのか、それが何かを世界にもたらすのか、そういうことを検証する必要が、大人である僕らには必要だ。だからこそ、そういった裏付けを作るために、自分も人も納得して進むために、数値や分析、考えの整理をする上で、フレームワークが必要だと思います。
それと、もし考えなくてはいけない状況にある時。その時に、考える前段階の整理にフレームワークはすごく使えたりします。なので、特に初学者こそフレームワークを使うべきだろう。僕自身も今、フレームワークを活用して考える訓練をしている分野もある。そういうところで、先人の知恵のありがたさを日々実感している。

結局まあ、いつも通り、論理と感性の行き来が必要なのだ。具体と抽象といっても良いし、何でもいいのだけど、この行き来がなければ良いと思える物にはならないと思って、日々訓練訓練です。

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