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200805 環境のコード

ノーガホテルさんのお仕事をさせていただいており、昨日は秋葉原のホテルの試泊にも伺ってきた。
ホテル、とても素敵ですし、何より従業員の皆さんのホスピタリティが素晴らしいので、是非是非Openしたら行ってみて欲しいです。

で、本題は秋葉原の街について。この街の特異性は世界の中でも際立っており、他に圧倒的な差別化となっている。本来の電気街的な性格にプラスしてアニメ・オタク文化の聖地として今も進化し続けており、本当にすごい街だな〜と改めて思った。
そこで瑠璃ちゃん(妻です)の言った「こういう街はビジネスで差別化とか考えては生まれないだろうな〜」という一言が、かなりのパンチライン。
確かにそうだわ。自然発生的に生まれたからこそ、この面白さ。というか、面白い街ってほぼほぼ、そうやって生まれてる気がする。。

ビジネス的な分析やクリエイティブのアイデアによる差別化は、すごく良いなと思う反面、どうしても「正」とみんなが言うような方向性しか出てこないんじゃないか、と思ってしまった。。日々、そう言うことを仕事でも行っているわけで、それが世界を良くすると信じているけど、一方でそうではない人間のディープな部分から生まれる文化が大好きな自分もいる。
きっと、戦略的な差別化から秋葉原のような街は生まれないだろう。そう言うのが生まれる時は、誰かの小さな「いいな」の集積でしか生まれない。だから、戦略とかを学ぶ一方で、自然発生的な小さな「いいな」を無視しないようにしていきたい。

ところで、これを書いてて『勉強の哲学』の中に出てきた「環境のコード」という考え方を思い出した。アイロニカルな「なぜ」を突き詰めていくと、言葉は定義の問題に自ずとなっていくのだけど、その定義の皮をいくら向いても、その先にこれという言葉はない。言葉というのは環境によって決定される用法、つまり環境のコードによって規定されているという考え。
すっごくざっくりいうと、言葉って「ノリ」だよね、って考え方ですね。
この考え方と上の考え方は一緒で、つまり秋葉原という土地の持っている「環境」がそこのコードを生み出しているわけで、それをそれこそ「なぜ」でむいていってフレームとして他の場所に適用したってどだい無理な話なわけですよ。そのコードには、雑多であらゆる種類の人の考え方が入ってきてるわけで、それらから純粋培養したようなコードを取り出しても、誰にも刺さらないわけです。
そういうことを考えると、ロジックとかって難しいのは、どうしても「ノリ」的なものをそのまま受容するのに適してない。だからこそ、クリエイティブのような「ノリ」をそのまま受け取ることがすごく重要なんではないか、と思った次第です。

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