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コーチの社会分析 Note【私たちは敗戦(太平洋戦争)から何を学んだのか?】

昨日は終戦の日でしたね。
 
「私は少し歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た。この先もそうなんだろうか?」(銀河英雄伝説 ヤン・ウェンリー)
 
ロシアがウクライナに侵攻し、台湾もまたその危機が指摘されてきています。私たちは先の太平洋戦争から何を学び、何を継承していくのでしょうか?

☆歴史を学ぶということは、自分を知ること

自分がどういう価値観を大切にして、様々な状況下でどのような選択をするのか。その神経回路を作っておくことだと僕は考えています。ですので、フィクション、ノンフィクションを問わずに私たちは様々な機会を与えられている。とも言えるでしょう。
 
特に太平洋戦争では、敗北から知るという貴重な機会を英霊の皆さんがつないでくれました。その機会を活かし、学び、継承し、アップデート(成長)させる。そうでなくては、ご先祖様に申し訳が立たないということです。
 
お盆の集まりで対話をするのは、飲んで愚痴を吐きあい、傷をなめあうような時間ではなく、こうした人々の物語に思いを馳せて、共通の体験として未来への一歩にしていく。そんな時間が望ましいと感じています。

☆十代の頃の記憶

今でも覚えているのが、夏休みの課題調査(今でいう探求)で戦艦大和の最後(大和の艦長としては唯一の戦死者となった有賀中将が、今住む上伊那の出身だったことには感慨深いところ)を調べていた時のこと。
 
司令官の伊藤整一中将は、将官として特攻作戦そのものに反対し続けてきた。それなのに、戦艦大和を使った特攻作戦の司令官を、特攻作戦を推進してきた人々に押し付けられてしまう。一億総特攻。国民全員が死んでいく、その先駆けとしてと言われ伊藤司令官は受諾した。作戦開始時に大和やその他の艦に乗艦していた傷病者と古参兵、兵学校卒業直後の少尉候補生の計53名を命令によって退艦させたのは、伊藤司令官らしい命に対するせめてものできることだったと思う。

そして運命の歯車なのか。伊藤司令官の指揮する戦艦大和を中心とした艦隊に対するアメリカ側の司令官スプールアンス。彼は伊藤司令官が米国留学時に親交が深かった友人でもあった。友人の死を確定させる命令を下すことになったスプールアンスの気持ちもいたたまれない。
 
また、伊藤司令官の息子にあたる伊藤叡中尉もパイロット。東シナ海に向かう父の乗る戦艦大和を支援する航空部隊の一人として父を見送り、父の死を告げられた同じ月に、特攻隊員としてその命を散らした。

その後、です。伊藤司令官にこの作戦を押し付け、多くの若者の命を散らした作戦をたてた面々。彼らは戦後もずっと生き残り、なぜか天寿を全うしていた・・りします。
 
これらのことは、当時の僕の中に様々な感情を生みだしました。

☆礼記(大学・呂氏伝)

長として財用を務むる者は、必ず小人に自る。彼を之を善しと爲して、小人を之れ、使いて國家を爲むれば、菑害並びに至り、善者有りと雖も、亦之を如何ともする無し。此は國は利を以て利と爲さず、義を以て利と爲す、を謂うなり。

リーダーは事務的処理などの役割は小人(才に優れるが、徳に欠ける)に与えること。だが、リーダーがその才能ばかりを評価し、人格や個性をみないで国(組織、コミュニティ)をこれら小人に任せてしまうと、天災や人害が次々と起こる。もし、優れた、立派な人がいたとしても、こうした小人の下にいてはどうすることもできない。だから、目先の利(改善)の為に小人に重要なポジションを与えてしまうと、大局的、長期的な利(全体の利益)にならない。義(美しい全体の幸福、目的)こそが利(成果)となります。

☆心を磨く

紀元前。二千年以上も前から、私たち人類はこうした心の動き、考え方、生き方が同じ失敗を繰り返すということを学んできています。ちょうど僕もここ最近は「責任」をテーマにした note も書いてきたこともあり、改めてこうした「生き方」「あり方」には考えさせられる一日になったわけです。

これまでの歴史の中で人は、仕組みや方法をあまた変えようとしてきましたが、いずれも小人が地位や権力を得ることで破綻してきました。よく「資本主義は限界。もう終わり」と科学的な分析や根拠もなく言っている人がいますが、僕の視点からは資本主義が悪いのではなく、小人にそこを与えてしまった失敗を繰り返している。今はその段階に過ぎないと思っています。
 
その意味で個人としては、仕組みではなく自分達に矢印を向けていきたい。心に寄り添い、心を磨く人。「義」のある人であり、義のある人を育むことをより大事にしていきたいと思います。僕が大事にしている「一隅を照らす」という言葉がありますが、まさにその言葉を体現したいということです。
 
そしてまた、この点からは資本主義以上に「教育の在り方」がより大事になってくると考えています。
 
ダニエル・ゴールマンは、幼児が手本とする周囲の大人達との関係性。あるいは社会と感情を学んでいく重要性に触れ、現在の学校に欠けているエビデンスを提示し、補完することを提案しています。今の学校教育こそが「小人ばかりを産みだす機関」になってしまい、ひるがえって長期的な人類全体のマイナスにすらなりかねない。そんな現在地を示しているとも言えるでしょう。
 
ですので、こうした小人達がアレルギー反応を示している「探求学習」や「アクティヴラーニング」といった学びこそが希望です。そこにより多くの人。特に子供達がそこで育まれるように。若者達がよりよい機会、経験、出会いを果たせるように。そんな役割を大人として達成していきたいとも思うのです。

そう。今の時代だからできる「科学」というモノサシと共に。

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