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防災士コーチの note【本当の共感的態度とその支援とは①】

旧年中は皆様にはお世話になりました。本年もよろしくお願いします。
という年明けから、めでたくないニュースが続いた2024年。

震央エリアも150キロに及ぶ広大なエリアとあって、防災士としてもウォッチしながらの三が日というスタートになりました。

☆マクロの支援とミクロの支援を両立させること

そして、東日本大震災でも起こったことがまた繰り返されているなと感じました。というのも、戦略的、大きな視点から考えれば*「72時間の壁」対策が最優先になるからです。ですので、政府や大手メディアからはこの72時間に挑む自衛隊や警察、消防、海保等の活動を最優先させるためのリリースが行われます。

*72時間の壁の根拠は、阪神・淡路大震災の生存率データと人間が水を飲まずに過ごせる限界日数から指針とされています。
 
一方で、この72時間は、難を逃れた避難者にとっても貴重な72時間であることには変わりません。ましてやネットインフラの整備された今の時代。避難した個人個人の発信が現状、窮状を訴えれば、その発信は Sympathy の連鎖となって、誰かの感情を動かし、その力になろう、支援をしようという活動につながっていきます。そして、この動きは停めようがない。まずその事実を受容する必要があるでしょう。

☆情報の二項対立にしない対策こそが必要

こうしたミクロの活動が極めて早い段階から発生することに対しては、行政サイドや大手メディア報道からネガティヴなPRが発生しやすい傾向があります。今回の場合でも渋滞要因として取り上げる等、邪魔者レッテルを貼り、対立構造やネット自警団による監視行為を加速化させているように見受けます。
 
しかし一方で、避難者達の物心両面に対し「心理的安全性」を確保できなかったことは行政府の落ち度でもあるわけです。東日本大震災において災害時のガソリン、灯油の不足が予測されておらず「防災計画の想定外」として開き直ったこと等は顕著な事例ですが、以降の災害でも同様なケースが繰り返されてきたことでもあり、こうなることを織り込んだ戦略プランがそもそも必要であったことは明らかです。

【見落としてはならないのは、現在のアクションプログラム流行の背景の一つにある地域防災計画の機能不全である。(中略)ほとんどの自治体にとって主要業務の一つである地域防災計画をどうするのかという議論は一方で真剣に考え直す必要があるだろう。地域防災計画はある意味形骸化しつつある。多くの自治体では法定計画だから地域防災計画を策定しているというのが実態である】(「地域防災計画にみる防災行政の課題」より)

☆PRにおけるリーダーシップ

かくして、これまでの大規模災害では、アフタートークで必ず心象ギャップが生まれています。それは「こんなに頑張ったのに・」という行政サイドとそれに対する「顔が見えなかった。リーダーシップを感じなかった」という市民サイドのフィードバック。この温度感の違いです。
 
この2024年では今のところ、総理官邸や石川県知事室の発信が弱すぎる(皆無?なので国民からは役人が有事に正月堪能してんじゃねえよくらいのメッセージにもなりうるレベル)と感じています。2日の羽田空港の案件もあって手が回らないといったこともあるでしょうが、こうした有事が重なったケースでの脆弱さも露呈しているという状況になってしまうかもしれません。
 
僕自身でも、東日本大震災時には5月~6月に宮城県南三陸町の行政からの依頼で全町外避難所と町内数カ所という約70カ所をほぼ単独で回り続け(仙台でハブ拠点となっていた宮城県復興支援センターさんのサポートはありがたかった)、その現状とニーズをまとめ、支援をつなぎ続けた・という経験があります。
 
当時はやはり、多くの避難所から「孤立」「放置」といった言葉が出てきました。行政(地域)から見捨てられているといった心証を皆さんが率直に伝えてくれたことは、今も鮮明に記憶しています。行政サイドにはこうした実情を伝え、物を渡すではない心のケア。コミュニケーション、つながりに関する課題の対策や提案もしましたが、残念ながら実現化しませんでした。決定権のある方からは「人がいない、時間がないからあなたに頼んでる(今となっては無償ボランティアではありえないレベル)」「情報は FAX 送ってるんだから問題ない」といった公務員っぽい自己正当化ワードもあり、こうした民達の感情を見ないことにした結果として「町に帰らない」という選択が加速化し、今に至ったともいえます。
 
これは中越震災の際にも後に当時の小千谷市長が市民から上記のようなフィードバックを受け、自分たちが不眠不休でやったことが伝わっていない、市民に感じられていないということから「広報の失敗」を語られていたことと同様で、今回もまた同じようになることでしょう。
 
普段から弱いとされている行政広報は、国県含む全自治体で見直すべきポイントだと考えますし、今からでも発信のリーダーシップ。平時に補助金ではなく、こういう時にこそ大手代理店にきちんとその運営を委託しても・とすら思います。

☆「Sympathy」ではなく「Empathy」で

Sympathy。日本人が共感と語りやすいこのワードは、英語では同情、憐みのような感情に伴って使われます。悪く言えば表面的な理解で、感情マウントをしている状態といえます。弱きを助けることは自己の幸福感も増大させますので、この感情から行動を行う人々が少なからず生まれます。地方創生系でもそうですが、この感情は自己利益と混ざりやすく、自己承認や期待した結果、成果がもたらされない場合にはむしろ押し売り、押し付けになり、こうした被災した人々に対してむしろ「害」とすらなるケースもままあるわけです。
 
Empathy は相手の状況、背景とその感情理解に努め、適切な対応を試みようとする集中、態度、行動を支援する感情の状態です。関係性は横であり、上下ではありません。PFA(サイコロジカル・ファースト・エイド)の基本ポジションとも言えますが、被災した人々にとってこちらの感情・行動が必要とされている。支援、応援をしてもらえたと感じられる状態です。
 
これまでの行政サイドにおける誤りは、前記の広報の手段に加えて、このポジションを誤っているからということもまた指摘出来ます。つまり、被災者を隔離し、与え(物を)、管理制限する(自由を奪う)という上下関係のフレームを作り、その主体性を奪うところから間違っているということ。こうした避難というステージにおいても、被災者の中にある主体性、現状を変化させ、未来を担う一因となる可能性を織り込んで empathy ある対話をしていくこと。していく存在が心理的安全性の面でも不可欠であるということを始めると良いでしょう。
 
では、次回に続きます!


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