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白石島レポ3 〜島の人々・コミュニティ〜

白石島を訪れて感じたことは、島民同士の距離がとても近いことだった。島民は400人ほどということで、多くの島民同士が顔見知りなのであろう。至る所で井戸端会議が開催され、夜になると飲み屋に人が集まりお酒を飲み交わしている。

こういう場所で、井戸端会議

島全体が一つの家族であり、一つのコミュニティを形成しているという側面を間近で見た気がした。

そして、島の人々は初めて島に来た私たちにもフランクに温かく接してくれた。まるでおばぁちゃんの家に帰ってきたかのような感覚を覚えた。今回訪れた私の友人が島の移住者であり、島のコミュニティの一員であるが故に、島の外から来た私に対しても最初から距離近く接してくたという面も、もしかするとあるかもしれない。

趣味で本格派ラーメンを作り、島のみんなに振舞っていたおじちゃんから我々もお裾分け頂いたり(お金は払っています!)、燻製焼いているおじちゃんからお裾分け頂いたり(ビールでお返しました!)、とれたての魚を捌いて地元でしか食べられないようなご飯を作ってくださったり(本当に美味しかった・・・)

名前は忘れた、市場に出回ってなさそうな魚

お題はいいよ(安くするよ)くらいな感じで、どんどん分け与えてくれる世界観なのだ。感謝してもしきれない。

お互いのgiveで成り立っている部分が大きいようだ。


・・・
ここからは余談である。

「島の人は温かかった」ということは間違いないが、離島や地域のコミュニティという側面で捉えてみると、その感想だけにはとどまらない、もっと興味深いものがありそうな気がするのです。

私は東京の東村山市という郊外の出身であり、平成生まれの核家族の育ちである。数軒隣のご近所付き合いこそあれど、地域コミュニティに属しているというほどの感覚はなかった。そのため、住民(島民)同士の繋がり、地域との繋がりというものを体感として持ち合わせいない。それ故に、私にとっては、他人ではあるが家族のようにお互いが繋がりあっている島のコミュニティというものが不思議で興味深い世界観なのだ。

地域コミュニティというのは、多かれ少なかれ、コミュニティの外と中の”境界”を作り出す。島というのはその地理的特性上、海によって物理的に境界が存在する。境界の中で、決して人数が多くはない住民が暮らしを営んでいこうとする時、相互に助け合ったり、情報を交換しあったりすることが必要であり、その過程で密度の高い繋がりが生まれコミュニティが形成されるのではないかと思うのです。だから、形成されたコミュニティには、そのコミュニティ独自の文化やしきたり、価値観を共有していることが多い。

もしコミュニティの”外”の人間が、本当の意味でコミュニティの”中”に入ってく上では、そのコミュニティの根底にある価値観まで共有しあった人間であることを、コミュニティの中にいる人から認知されることは必須なのだろうと思う。そしてそれはそう簡単に叶うものではない気がする。

何か結論じみたことを書くつもりはないが、離島や地域のキラキラした部分だけをみてその地をわかった気になるべきではないなという感覚を抱いた。表面的な部分だけではなく、そこに根ざしている価値観や、正の側面や負の側面を含め、コミュニティ全体を理解してみたいものだ。

〜続く(かも)〜

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