【所感】1
空の天井が開いた。
夏の間、私たちを覆っていた透明の膜がすっかり無くなったようで、空が少し高くなった。
落ち葉の匂いを運んでくる風は驚くほど澄んでいて、思わず空の奥を眺めた。
また冬がやって来るのだ。
いつからか夏は特別なものではなくなったので、仕事ばかりしていた。
秋に産まれた私は誕生日すらも特別ではなくなり、ハーゲンダッツだけは食らって、ただ寝てしまった。
十五夜すら見忘れてしまった。
多分今年はクリスマスも正月もこんな調子だと予想できる。
こんな風につまらなく大人になるだなんて思わなかった。
しかし大人のきもちが今の私にはよく分かる。
とにかく時間と金が欲しいのだ。
それ以外は後回しなのだ。
随分広くなった空と色づいた木々を見るとき、私は私生活と比較する。
こうも美しい世で、なぜ私は時間と金に追われるのでしょうか。
まるで相応しくないと思う。
現代人が風情を失った理由など明白なのだ。
我々は即物的に生きる他ない。
風情などにうつつを抜かしていては、商いもままならないのが現代である。
もっとも、風情すらもビジネスにするのが現代人の鏡とも言えるかもしれない。
こんな風に音楽も美術も景色も商売たる現代に、私はいよいようんざりしている。
私は金が嫌いだ。
不要なのではない。
金は文化を破壊するから嫌いなのだ。
金がこの世にある限り、この美しい景色も商材たり得る。
現に琵琶湖でフェンスを立てたように、もう花火は万人の夏空の景色ではなくなりつつあるのだ。
それは、海沿いに背の高い有料道路を敷く九十九里のように意地汚い。
金が文化を破壊することは、資本主義社会の掟なのだと思う。
こんなことを言っても、私は共産主義者ではない。
文化崇拝者と言った方が適切である。
文化が理屈に負けるべきでないと願っているのかもしれない。
これはもはや人生観そのものだ。
感情的な人は嫌いだが、同時に私はひろゆきも嫌いなのだ。
昔メンタリストなどと自称していた人はひろゆきの10倍は嫌いだ。
などと主張しながらも、こんな風にあたかも理論家のように文を書き連ねることは、とても大人っぽい。
私もだんだんつまらなくなってきた。
落ち葉の匂いに冬を気配を知り、やや感傷的な私は、多分他の同僚よりはつまらなくはない。
というように自尊心を保つくらいしか、大人ごときに出来ることはない。
何故なら時間も金もないからだ。
だからできる限り多く、楽に、人々から金を巻き上げなければならないのだ。
みんなの花火をフェンスで囲うなどして。
もうこれ以上、つまらなくなりたくない。
私もこの世も。
呆れるほど青い秋の空を眺めて、こんなつまらない所感が溢れた。
みんなの空の天井がようやく開いたからだ。
どうぞご無事で、クールダウン。
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