見出し画像

デザインの本質「デザインのデザイン」

こんにちは、ナカムラです。今回は「デザインのデザイン」という書籍を紹介したいと思います。

著者の原研哉さんは、日本デザインセンターの代表取締役であり、無印良品のボードメンバーとしてアートディレクションを統括しておられる、日本が世界に誇るデザイナーの一人です。

最近ではXiaomiのロゴリニューアルを手掛けるなど、現役バリバリ、世界の最前線で活躍されています。

そんな原さんのデザイン論が収録されているのがこの「デザインのデザイン」。少し難しい話も含みますが、発見が多く、事例も豊富で一本のドキュメンタリーを見終えたような読後感があります。

今回は触りとして、1~3章の中からトピックスを抜粋して紹介します。

1)デザインとは何か?

「デザイン」と聞くと、イラストレーションのような視覚的な表現手法をイメージしやすいですが、本書ではより広義なものを指します。コミュニケーションデザインや空間デザイン、製品デザインなども含む包括的な意味をもちます。

その上で「デザインとは何か?」という問いに対し、様々な角度から答えていこうとする試みがこの本の主旨になっています。

実は冒頭に、その答えらしき記述があるんですよね。

デザインとは、ものづくりやコミュニケーションを通して自分たちの生きる世界をいきいきと認識することであり、優れた認識や発見は、生きて生活を営む人間としての喜びや誇りをもたらしてくれるはずだ。

正直、唐突すぎて分からない…。ので、そもそもどんな背景でデザインが生まれたのか?というところから考えてみたいと思います。

デザインの起源
デザインの起源は、産業革命の時代に遡ります。当時、機械生産の品質は非常に低く、とても美しいとは言えない製品が世の中に溢れたのだとか。その産業の不成熟に対して、美意識の高い一部の人々が反発して生まれたのが「デザイン」という思想だそうです。

文中の言葉を抜粋すると、根っこにあるのは、

芸術とは異なる感受性、すなわち「最適なものや環境を生み出す喜びやそれを生活の中に用いる喜び」

という感覚。現代で言えば「Apple Pencilを使った時の、筆圧に応じてペンの太さが変わる心地よさ」みたいなものでしょうか。

これがデザインの根源と言えそうです。

アートとデザイン
先ほどの引用で「芸術とは異なる感受性」というアートとの対比があったので、少しクローズアップしてみます。本書では、アートとデザインを以下のように対比しています。

アート…個人的な意志表明。発生の根源は個人であり当人のみぞ知る。
デザイン…問題解決のプロセス。発生の根源は社会であり共有されている。

より分かりやすいように、本文をそのまま引用すると…

デザインは基本的には個人の自己表出が動機ではなく、その発端は社会の側にある。社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、それを解決していくプロセスにデザインの本質がある。――そのプロセスの中に、人類が共感できる価値観や精神性が生み出され、それを共有する中に感動が発生するというのがデザインの魅力なのだ。

つまり、不便とか不満といった共通課題を発見し、それを解決する時の物事の捉え方や、解決の方法に発見や驚きがあると、人の心が動くということですね。「その手があったかー!」というあの感覚です。

日常を未知化する創造性
また、デザインは何かを生み出すことを前提としているので、創造性が不可欠です。この創造性についても面白い記述があるので紹介させて下さい。

新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。

本書では「芯が四角いトイレットペーパー」が例として紹介されています。「トイレットペーパーの芯は丸い」というのは常識として認識されていますが、そこに再発見をしているわけですね。

画像1

・紙を引き出すとゆるい抵抗が生じ、必要以上に紙が供給されない。
・必然的に「省資源」というメッセージ性をもって機能する。
・運搬やストック時は従来の丸型より省スペース。

これらの発見こそがデザインの賜物であり、日常を未知化する創造性ということですね。

長くなりましたが、ここまでの内容を振り返ると冒頭の「デザイン」の説明が理解できると思います。

デザインとは、ものづくりやコミュニケーションを通して自分たちの生きる世界をいきいきと認識することであり、優れた認識や発見は、生きて生活を営む人間としての喜びや誇りをもたらしてくれるはずだ。

すなわち、

芯が四角いトイレットペーパーのように、当たり前に認識していることの視点を変えて新しい発見をすることや、社会が抱える問題に対する解決策を見つけ出すことこそ、”優れた認識や発見”であり、それは新鮮な刺激や問題の解決というベネフィットを与えてくれる。それが我々生活者の喜びとなり、そんな世界を生み出す担い手には誇りが生まれるはずだ。

ということなのだと思います。

2)デザイナーという仕事

さて、そんなデザインの担い手たるデザイナーの仕事とは何なのか。「デザインを実行すること」と言ってしまえばそれまでですが…原さんはより解像度の高い解説をされています。

デザイナーの仕事には、それを受け取る「受け手」が存在します。そしてそれは基本的に人間です。この受け手の受容性について知ることが、デザイナーの仕事を知る第一歩になります。

本書には、こんな記述があります。

人間は、極めてセンシュアスな受容器官の束である

めちゃくちゃ意訳すると「人間には五感があるって言うけど、全然五つに収まらなくない?」ということです。

例えば、

・指先でかすかに触れる感覚と骨や腱が感じる刺激は同じ「触覚」か?
・口いっぱいに頬張った時の感覚と舌先で舐めた時の感覚は同じ「味覚」か?

というように、実はとても繊細で複雑な感覚を受容しているよね、ということです。

そしてこう続きます。

と同時に、敏感な記憶の再生装置をそなえたイメージの生成器官である。

つまり、人間は外部からの刺激を受容するだけでなく、それらをきっかけに過去の感覚の記憶を呼び起こしてさらに複雑になるよね、ということです。

これが「デザイナーのフィールドである」と原さんは語ります。

こうした様々な感覚やイメージを受容する受け手の脳内に、それらの刺激を駆使して”情報の建築”を行うことがデザイナーの仕事であると言うのです。

例を取ってみましょう。この考え方を鮮明に表している原さんのお仕事に、長野オリンピックの開会式・閉会式のプログラムデザインがあります。

画像2

注目いただきたいのが、表紙の文字です。

「このプログラムを冬のオリンピックの記憶をとどめるメディアとして、忘れがたい印象を持つものに仕上げる」

これが当時の原さんの狙いでした。

改めて表紙を見ると、すべてデボス(型を押し付けて凹ませる技法)で表現されています。白くふっくらとした、降り積もった雪のような質感で、凹ませると氷のように半透明に透ける効果が出る紙を開発したのだそうです。

これによって、プログラムを手にとった人の「雪を踏む記憶を呼び覚ます」ことを狙ったのだとか。

鳥肌立ちますよね。

これがデザイナーの仕事、「情報の建築」です。

3)最後に

私の部署は「コミュニケーションデザイン部」という名称でして、そこには、いわゆるCMやグラフィックなどの表現に閉じず、”手段を問わず企業と生活者のコミュニケーションをデザインする存在であれ”という想いを込めています。

本書を読んで、「デザイン」という言葉をよりくっきりと認識できるようになった気がします。しばらくは「デザイン」に対する解像度を高めるようなインプットを繰り返して、「コミュニケーションデザイン」という言葉をより鮮明にしていきたいと思います。

以上、デザインの本質「デザインのデザイン」でした。最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m

ナカムラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?