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#1 アレンデールと酒飲み女

2020年5月現在

世界中が引きこもりで溢れかえっている。原因はいじめでも就職難でもない。チャラいパリピが飲むビールと同名のウイルスが世界を侵略しているからだ。

私もそれにより引きこもりになった1人だ。沖縄でお笑い芸人として活動していた私は、3月いっぱいで事務所の契約を解消し、4月1日から夢と希望とバイトの履歴書を持って東京に進出する予定だった。それなのにすぐ人から人へと乗り移るチャラいウイルスはそれを奪ったのである。非常に腹が立つ。もはやパリピにも腹が立つ。パーティではなくパーリーという事にめちゃくちゃ腹が立つ。

さて、話は逸れたが私はニートとなってしまった。我々のような地下芸人はライブが出来なければやることが何もなくなってしまう。二酸化炭素を吐き出し地球温暖化を進めているだけの人間になってしまう。そんな暇を持て余していた私に助言をくれたのがシェアハウスのルームメイト(牝)だった。


彼女は私より1つ年上でとても仲が良い。そして私が尊敬する人の1人だ。1年前、彼女は沖縄で偉大な権力を持つことのできる「泡盛の女王」の最終選考に残ったものの、あと僅かのところで敗れ去ってしまった。敗退原因が「県外出身者だったから」なのか、「緊張のあまりスピーチ中に両手をぐるぐる回したから」なのか、「シンプルに顔」なのかは分からない。だが、その後も「泡盛の魅力をたくさんの人に伝えたい」という夢を叶えるために日々泡盛について勉強している。

まあカッコよく言ってみたが要するに今のところはただの酒飲み女である。そんな彼女が私にnoteでコラムを書いてみないか?と助言してくれた。本人は1度だけ記事を書き、その後更新もしてないのに言ってきた。


note。コラム。今までの芸人人生で書いた事がない。確かに大学の卒論の時にWikipediaの内容をコピペしただけの文章を教授に見せたら「研究内容のわりに文章力はある」と褒められた。教授が言うのだから文章力はあるはずだ。ただ、芸人だから面白い事を書くだろうというハードルを超える自信はない。このハードルを設置して読んでいる人がいるなら言いたい。芸歴5年目で全く売れていない理由を4秒ほど考えたら面白い記事を書けない理由が明確になるはずだ。今すぐハードルの高さをくるぶしあたりまで低くしてくれ。


まあでも、何もしないよりは書いた方がいいと思う。ただ何もせず二酸化炭素を出すくらいなら数人でも見てくれる人のいるコラムを書く方がエコだ。地球や環境の為にもnoteを書こうと決めた。



という事で初めての記事。私という人間を自己紹介がてら書いていこうかと思う。

新垣駿(本名)

あらかきしゅん(芸名)

読谷山笑馬(高座名)

嘉手苅ふとし(偽名)

学校の運動場をスコップで掘ると紅芋が出てくることで有名な読谷村の出身でお笑い芸人兼落語家として沖縄で活動している。デビューは2016年で現在芸歴5年目だ。有名な同期は「四千頭身」「ポケモンGO」「君の名は」あたりである。ピコ太郎も同期だと思っていたが調べてみたところデビューが2011年だったので5年も先輩だった。ピコ太郎ごめんな。そんなお笑い第7世代である僕だが、現在の肩書きは「お笑い芸人」「落語家」もしくは「ニート」のどちらかである。事務所も辞めたので「ニート」が最もピンとくる。

ただそんな肩書きだと人を惹きつけるものを全く感じない。もちろん、15年くらい前には「おっす!オラ、ニート」の台詞でガリガリガリクソン氏が一世を風靡した(個人的価値観)ことはあったが今の世の中はコロナニートが溢れている。そこで人を惹きつけるには圧倒的なニートになる必要があるので難易度は琉球ブルーオーシャンズのNPB参入とほぼ同じくらいである。



要するに「肩書き」は凄く大事だ。



「肩書きなんて必要ない」と知り合いにこの前言われたが私は大事にしている。特に我々芸人は自分自身が商品であるのでその商品の売り文句があると取り扱い方が変わっていく。実際、私は3月まで「現役大学生芸人」という肩書きを使った事により学生を売りにした仕事をちょくちょく頂いていた。大学の学園祭や学生主催イベント、高校生が多く出演するイベントなどで司会をやらせていただいた。こう言ったイベントは次回、また次回と何度も連続でお仕事をいただける事が多い。仕組みは簡単で、年が近いという親近感によって「芸人」ではなく「友達の友達」のような感覚で察してくれる。こっちもそれに応えて仲良くなる。飲みにいく。友達になる。「来年の学園祭も使ってくれ」と友達として頼む。すると翌年の実行委員に対して先輩としての大きな圧力をかけてくれる事により出演が決まる。この繰り返しである。私はパワハラで飯を食っている。


この大事にしている「肩書き」だが、小中高生の間は自己紹介の時にそれがない。なので肩書きの代わりに使うものが「趣味・特技」だった気がする。これにより肩書きが決まるとなると自己紹介は相当難しい。ちなみに今の趣味は「飲酒」、特技は「アルコール摂取」だ。


小中高生は毎年4月、大勢の「知り合いかも?」のリストの中から数人、「友達になる」をタップし、まだ見ぬ「いつめん」を作成するチャンスが来る。そのチャンスがクラス替えから間髪を入れずに「自己紹介」という名で開かれる「趣味特技発表会」である。自分がどう思われるかがこの持ち時間1分ほどの漫談によってある程度決まる。僅か数名だけが良い出来で友達を増やす。私は1度も成功した記憶がない。

足が速くてスポーツマンだった私が趣味や特技をスポーツで固めてしまった事がある。男子は面白みを感じずにスルー。女子にはガサツに見られて全員揃ってハーデン並みのバックステップで一歩距離を置かれる。翌年、スポーツマンだけど真面目な部分があると思われようと趣味を読書にした。しかしその頃の愛読書といえばAKB48の前田敦子の写真集くらいだったから話にならない。キャラ付けなんでできっこなかった。



「ありのままの姿を見せる」



僕の大好きな姉妹の姉の方がそんな事を言っていた。彼女は自分の殻に長年閉じこもった結果、家出をした。そしてありのままの姿となり華麗なモデル歩きをしながら手のひらから大寒波を出していた。薄着で過ごし、「少しも寒くない」と言っていたが私には当初、やせ我慢に見えた。でも彼女は本当にありのままを貫き通していた。自分を見せて自分を信じる。これほどカッコいい女性はいない。ありのままを追いかけた果てに今は1人で島で過ごしておりパートナーもいない。雪だるまや妹とも離れ離れ。でも彼女はそれで良いらしい。


「ありのままの姿」よりも「相手のニーズに合わせる」方が成功率は非常に高い。自己紹介もそうだし、4年間のお笑い人生でもそうやってウケて来た。肩書きだってニーズに合わせたから仕事を貰えてきた。自分が「本当に面白い」と思ったボケやツッコミはそんなにウケた試しがない。逆に客のニーズに合わせただけのボケやツッコミはめちゃくちゃウケる。だからニーズに合わせることは絶対に間違いじゃない。そう信じてやってきた。でもたまには私だってありのままの表現がしたくなる。でも「本寸法の笑い」のレッテルを貼られた芸人あらかきしゅんはそれをしない方が良いと言われた。芸人にも客にも。


今ならニーズを考えないありのままの表現をしてもいい気がする。客のニーズだけを続けた4年間と今は状況が違う。芸人でもない、落語家でもない。ただのニート。だから今しかできない「ありのまま」でこのコラムを書いていきたい。伝わりやすい例え、ウケやすいフレーズ。そんなの一切考えずに自分の頭の中にあるフレーズや考えをほぼ純度100%で出していきたい。ここまで読んでて気付いた方もいるはず。このコラム、「読みやすくしよう」「伝わりやすくしよう」「笑やすいものにしよう」それを一切考えずに自分の頭の中をレリゴーしている。でもこれによって他の人と自分の頭の中が違うのかを知る事ができる。自分の面白さと他の人の思う面白さの差も把握できる。だからこのまま書き続ける。



長くなってしまった。



最後に、ありのままの良さを教えてくれた「アナと雪の女王」アレンデール王国のエルサ姉さん。そして始めるきっかけをくれた「アワとモリの女王」ももち姉さん。本当に感謝いたします。


......最後の最後にしょうもないオヤジギャグを言ってしまった。このギャグをエルサ姉さんが見たらどう思うのかな。あのエルサ姉さんでもこう言うんじゃないかな?


「さすがに少し寒いわ」って。


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