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論破力はいらない

大学で少し法学をかじっていたためか、若い頃は議論となると相手を論破しようと躍起になっていたが、ことごとく失敗した。議論には勝っても、相手との関係が続かない。人間は感情の生き物だ。論破したその時、自分は気持ちがいいかもしれないが、相手の感情を読むことまで至らなかった。

脳科学者 中野信子氏によると、人間の脳は調和より、論破を好むらしい。おそらく、人間が狩猟をしていた単純経済の中では、論破により、ヒエラルキーを固めることが生存有利につながったのだろう。

しかし、社会経済が複雑になった現代では、ヒエラルキーでマウントをとるよりも、他者との関係構築が欠かせない。

一度きり勝つことが、それほど得ではなくなった。そうなると、互恵関係を築ける能力というのが、相手に打ち勝つ能力よりも大事になってくるわけです。論破よりも、言葉をうまく使って相手を懐柔できることのほうがずっと重要になってきます。

婦人公論.jp   中野信子 エレガントな毒の吐き方

20代後半の頃、あるプロジェクトを進めるため、関係部署と議論をやりあった。議論に勝つことが仕事ができることと勘違いしていた自分は、相手の言い分をことごとく否定してしまった。結果どうなったか?プロジェクトは自分の思いとは異なる方向に進んだ。

こちらの言い分をわかったと思った相手が実は理解していなかった。議論の際に相手の理解を確認するのを全く怠っていたのだ。完全に獲物を追いかけている祖先と同じ頭だった。

相手に何か行動してもらおうというのは、おこがましい。相手がどうするかは結局、相手の判断だ。自分はこう考えるが、あなたは?という姿勢がなければ良い仕事にはならない。

逆もしかり。相手の言い分をそのまま受け取る必要はない。自分は自分で考え、それを伝えれば良い。

そのキャッチボールが良い議論となり、良い結果を生む。イノベーションにつながる。
論破からは何も生まれない。本能に抗えない人たちのエンタメでしかない。