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#01 夜明け前が一番暗い【片づけのプロへの道のり】

2010年1月に開業届を出してはや10年ちょっとが過ぎた。

同じ頃に資格を取って志を同じにした仲間たちが、一人また一人と次のステージへと活躍の場を移していく中、私はしぶとく同じ場所で踏ん張りつづけている。

起業した人のうち、10年後には8割9割の人が廃業するとかしないとか。10年続けられたことはちょっとくらいは胸を張ってもいいかもしれない。

需要はないかもしれないが、とある片付け屋のここまでを振り返ってみたいと思う。まずは「整理収納アドバイザー」という資格を知るまでの話。

前職

今の仕事をする前は建築模型を作っていた。マンションのモデルルームによく飾られているアレだ。

建築模型を作る仕事を始めたのは確か2000年ちょい過ぎくらい。
縁あって建築模型を作る事務所から仕事をもらっていた。ボス一人の小さな事務所だったが、私のほかにも同じように仕事をもらっている仲間が何人かいた。作業場も広くないので、自宅で作業してある程度出来上がったら事務所に持ってって作業するというスタイルで仕事をしていた。

当時、すでに私は結婚していたがまだ子供がいなかった。仲間も私と同じか独身の子のいずれかだった。結婚はしていたが、独身の頃とさほど変わらず仕事に時間を割けていた。

この仕事は業界的にも立場が弱く、納期間近で変更・修正なんてのはしょっちゅう。言うのは簡単だけど、直すのは大変なんだよ。どの業界もヒエラルキーの下は辛いよね。このボスからの仕事じゃなかったけど、納期に間に合わず2晩完徹したこともある。気づくとカッター握ったまま寝てて、一緒に作業してる子が「ヨッシー、起きて!」と声をかけてくれた。よく怪我しなかったと思う。

そんなわけで納期がタイトでそれなりにハードではあったけれど、ものづくりの仕事は達成感があった。納品が終わって一段落するとみんなでよく出かけたりもした。大洗の魚市場に行って魚を買ったりとか。大江戸温泉にもたしか行ったような。ほかにもあった気がするけど思い出したのがこの2つ。少人数ならではのアットホームな仕事場で楽しかった。そういえば、網走にも旅行に行ったっけ。


一人目出産

2003年に一人目が生まれた。

子供が生まれても続けられるのが在宅でできる仕事の良さだ。子供が生まれる前はそう思っていた。保育園も空きが出るまでは自宅で面倒を見ながら仕事をしようと思っていた。

甘かった。

自宅で育児をしながら仕事できると思ってたのも甘かったし、そのうち保育園に空きが出て入所できると思っていたのも甘かった。子育てしながら仕事できるなら保育園に入る必要ないよね?とみなされるのだ。完全なリサーチ不足だ。

公立の保育園に入れるのはあきらめ、自宅のそばに評判の良い私立の保育園があったので、そこに預けることにした。1歳までは自宅で子育てをしながら仕事をするというスタイル。1歳からは保育園に預けながら仕事を続けた。詳細は割愛するが、ワーキングマザーが受ける洗礼は一通り受けた。

今、客観的に振り返ると、子育てしながら仕事をする母はなんであんなに悪いことをしているかのような感覚に陥ってしまうんだろう。毎日がすみませんごめんなさい申し訳ございませんの連続だ。ストレスが溜まるのも無理はない。

***

子が2歳になる頃だっただろうか。私は突発性難聴になった。

幸い軽症だったのでしばらくの安静でよくなったが、このことは今後の働き方を考えるきっかけとなった。突発性難聴の原因の1つがストレスや過労、睡眠不足だからだ。

前述の通り模型作りはまあまあハードな仕事で、今回は軽症ですんだけどこの先続けられるんだろうかという不安があった。子の病気など突発的なアクシデントの穴埋めは睡眠時間を削るしかない。ボスが若くして老眼になった話を聞き、「老眼になったらこの仕事はキツイよなぁ……」と漠然と思っていたのもある。

肉体的な悩みだけではない。いくら睡眠時間を削ったところで限界がある。ボスも私のカバーをするのでけっこう大変だったんだろう。どの仕事のタイミングだったかはもう忘れてしまったけれど、「これ以上ヨッシーのフォローは難しい」とボスに言われたこともあった。これ以上、人に迷惑をかけたくない。

居心地の良い職場だったが、「あまり長くはいられないかもしれないなぁ」と思った。


次の妊娠出産

2006年、二人目を妊娠していることがわかった。いや、正確には二人目と三人目だ。双子だったのだ。

一人でも子育てしながら在宅で今の仕事をし続けることに不安を感じるようになっていたのに、双子が生まれたら今の仕事は無理なんじゃないか。

そう思うのには、ほかにも理由があった。環境の問題だ。

模型作りはカッターやピンセットなどまあまあ危険なものを使う。接着剤や塗料といった薬品類もある。紙切れなど細かいゴミも多い。怪我や誤飲が心配だ。その上、もし目を離した隙に作ったものを壊されでもしたら……。想像しただけでも恐ろしい。

子供が一人だったらまだ目が行き届くが、3人の子を終始目を離さず見きれる自信がない。というかそんなのほぼ不可能だ。

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一人目が生まれたあとは「自宅で作業→事務所へ納品」のスタイルがほとんどだった。

「自宅で作業できる仕事」ということは「事務所とは切り離せる仕事」ということ。具体的に言うと、本体の組み上げに関係するような作業ではなく、マンションの出窓のような細かいパーツをひたすら作る作業だ。ときどき立体駐車場を作らせてもらえることもあったけれど、多くは模型ではなく模型のパーツ作り。正直、都落ちみたいなもので、建築模型を作る醍醐味は薄れる。

時代的にも建築模型がCGに取って代わられるようになり、模型自体の需要が減ってきた。ますます私のところに仕事が回ってこなくなった。

そりゃそうだ。わざわざ私のために在宅仕事を作るくらいなら、事務所でやったほうが効率が良いに違いない。他の人にやってもらうための仕事を作り出すのってけっこう大変だ。

そんなわけでいろんなことが重なって、独立して仕事をやることを真剣に考えるようになった。このまま建築模型業界で独立すべきか。でも一歩がなかなか踏み出せない。なら、ほかの仕事で独立すべきか。

悲しいかな仕事が減ってきたので調べる時間はいくらでもあった。ひまさえあれば「なんかないか」とむさぼるようにネットを検索していた。闇だ。

建築模型を作る前はシステムエンジニアをしていた。ITの知識はそこそこあったので、アフィリエイトで稼ごうかとサイトを作ったりもしてみた。そこそこの小遣い稼ぎはできたけれど、この仕事をずっとやりたいか?と言われたらなんか違う。サイトは作れても、興味がない分野のサイトをメンテナンスし続ける自分がどうしてもイメージできない。

「興味を持って続けられそうな仕事はなにかないだろうか……」と思う毎日が続いた。


出会い

子供が生まれた当時よく見ていたのが、ていねいな日々の暮らしをアップする類のブログ。双子が生まれたあとは自分でもブログを書いていた。ささやかな気分転換だ。

そもそも建築模型の仕事をし始めたのも、家や暮らしに興味があったから。たまたま見たケイコとマナブでやってた「スクール特集」で建築模型を作るスクールがあることを知ったのがきっかけだ。本物の家を作る仕事をするにはハードルが高すぎるけど、手先の器用さにはちょっとばかり自信があったのでミニチュアの家ならいけると思ったのだ。

***

話をブログに戻すと、当時良く見ていたブログで代表的なところでは『空に近い週末』のkakoさん。「断捨離』という言葉を知ったのもkakoさんのブログだったと思う。

もうひとつ好きでよく見ていたのが『OURHOME』のEMIさん。
忘れもしない2009年1月のとある日、EMIさんがこうブログに書いていた。

「整理収納アドバイザーを取得しました」

「整理収納アドバイザー?」
すぐググった。

「なにこれ?片付けの資格なんてあるんだ!!」と驚いた。なんかわからないけど「これだ!」と思った。建築模型のときもそうだったけど、振り返ってみると大事な局面ほど「なんかわからないけど、これだ!」と思う自分が感覚的すぎる。

講座の開催予定をすかさずチェックした。すぐにポチっと申し込んでしまおうかと思ったが、ほとんど仕事をしていない立場としてはそこそこの金額がかかる資格取得講座に勝手に申し込むのはいささか気が引ける。夫の帰宅を待つことにした。

夫の帰宅後、「これこれこういう資格があるんだよ。取りたいんだけど。どう思う?」と前のめり気味に相談してみると、

「取りたいなら取ればいいんじゃない?」

さすが、私の性格をよくわかってる(笑)。
人に相談する時点で、私の場合たいてい結論は決まっている。だから相談という名の確認だったりする。いや、報告というべきか。


資格取得

そんなわけで、2009年の3月に2級講座を受講し、4月に上位資格である整理収納アドバイザー1級講座を受講。
2009年7月に、片づけの仕事の世界に足を踏み入れることとなった。

***

建築模型の仕事が減っていった数年間は先が見えず。けど、その間も子供は保育園に行っていたので、保育料を出産時の保険(切迫早産で入院&帝王切開だったのでまあまあ保険がおりた)から切り崩す日々が続いていた。一般的には「仕事をしない&保育園をやめる」という選択肢もあるんだろうけど自分の中にそれはなかった。仕事はデフォルトだった。

それまでやってた建築模型で独立&起業するかどうかは結構迷っていたのに、「整理収納アドバイザー」という資格を知ってから整理収納アドバイザーを取得、起業するまでの早さと言ったら。今思えば、動くことにためらいがあったのは何か引っかかるところがあったんだろうなぁ。
(これも言語化できない)

ネットばかり見ていた頃は闇だったが、真っ暗な闇の中にいたからこそ明るいときには気づかないほんの些細な光にも気づけたのだと、今は思う。

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ただ、現実を振り返ると資格取得したばかりでお金だけ払って収入がない状態だからマイナススタートだ。まずはしっかり元を取らなければ。


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