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花譜が救った命が此処にある

 ご覧いただきありがとうございます。奏宮です。(Twitterなどで認知してくれている方もいるかと思います) これまで僕はnoteのような発表の場で花譜の話をすることはほぼ皆無だったのですが、初めてのライブ現地観覧を直前に控えたこのタイミングで、一旦ここまでの観測記録を書き残しておこうと思いました。※僕は決して古参ではない上、花譜についてまだまだ知らないことが多すぎます。ここでは考察というような形ではなく、自語りを多少交えた僕視点での話をします。また、時系列に若干の誤りを含んでいるかもしれません。以下文体を改めます。

 記憶によれば、僕が花譜という存在を知ったのは2019年9月。前月1日の1stワンマンライブが大成功を収め、YouTube上で#36「不可解」【オリジナルMV「不可解」Live Ver.】が公開された直後のことだ。

 当時の僕はファミリーホームという形態の、一種の児童養護施設のようなところから高校に通う生活をしていたのだが、周囲の大人との人間関係の破綻や自己嫌悪により、自分の人生をかなり悲観的にとらえていた。自らの命の価値について考え思い詰めることが日に日に増え、この年の夏には何度か自殺が脳裏をよぎった。

 そんな中、週末にカラオケに行った時のことだ。ストレスを発散したくてソロで歌いに行ったのか、はたまた友人に誘われて遊びに行ったのか、それすらも覚えていない。だが、JOYSOUNDのあの広告だけは未だに覚えている。もちろん声やビジュアルに惹かれたというのもあるが、何より自分より年下でまだあどけなさを残した少女が、バーチャルの世界から堂々と歌を発信していること自体が、当時の僕にとっては大きな衝撃だったのだ。

 その日の夜、僕はさっそく花譜について調べ始めた。(僕が生活していたホームでは原則スマホの所有が禁じられていて、ネットの利用時間も限定されていた)ひとまず聴いてみたのは「心臓と絡繰」「夜が降りやむ前に」の2曲。こんな歌い方をするのか……!心の奥底を殴られたような気分だった。(もちろん良い意味で)それからというもの、彼女の歌は脳内を駆け巡り続けた。自然と自殺について考えることも無くなった。

 気付けば、花譜の歌が生き甲斐になっていた…

 こうして彼女の歌に惹かれていったのは、新世代ボカロPと謳われるカンザキイオリの作詞作曲によるところも大きい。それを強く実感することとなった楽曲が、#33「命に嫌われている(PrayerVer.)」である。

 「ーそれでも僕らは必死に生きて 命を必死に抱えて生きて 殺して あがいて 笑って 抱えて……

生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。

 初めて聴いたとき、ラストのこのフレーズに僕は思わず涙した。(すっかり感情が希薄になった僕がプラスの感情を伴って泣くことができたのは、18年余り生きてきた中でこの時だけなのだ)花譜にあんな風に生きろと言われたら、もう生きていくしか無いじゃないか。本気でそう思わせてくれた。

この時に僕自身で決めたことが2つある。Ⅰ.当分の間は、花譜の歌を聴くことができる限り、決して自ら死を選ばない。Ⅱ.ファミリーホームを退所して、絶対に花譜のライブを現地で観測する。これを人生においての第一目標とする…

 こうして花譜のファンとして観測を開始して、もう1年9か月が経つ。彼女の成長、活動規模の拡大はとどまるところを知らない。(2021年6月11日午前4時の時点で、YouTubeのチャンネル登録者数は52万4000人を超えている)この2年弱の間にも、花譜は数多くの感動と衝撃、そして僕にとっての生き甲斐を与え続けてくれた。本当に感謝してもしきれない。

 僕はというと、確かに大学に合格しファミリーホームを退所、念願の一人暮らしを勝ち取ることができた。それらの変化は一見すると成功のようにも思えるが、僕自身は決してそうは思えない。(このあたりの自分の話は場を改めて書くことにしたい)自分で言うのもおかしな話だが、生きていくことの大変さは、昔も今もそれほど変わらないもの。しかし、そこに生き甲斐が有るか否かの違いは、確実に自分の運命を左右していただろうと思う。僕は紛れもなく、花譜によって救われた存在なのだ。

 最後に、花譜のアーティストとしての魅力について少しだけ書いておきたい。例えば、彼女の新曲が発表されたときにTwitter上で感想を呟こうとしても、なかなか上手く言葉にできないという経験が僕には何度もある。彼女の魅力や感動を書き表そうと試みても、言語という枠組みに固定されてしまうと正確に伝えることができないように思えてしまうのだ。似たような経験を持つ観測者は多いのではないか。以前までの僕はそれをもどかしく感じていたのだ。しかし今では、言葉に形容し難い声質や雰囲気、世界観こそが、やはり彼女の唯一無二の特徴なのだと考えている。今後はこれらの観測上の価値観を根底に、花譜について語っていきたい。最後まで読んでいただきありがとうございました。




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