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34歳でゼロからジャズに挑戦。アドリブで挫折しながら創作のことを考えた

2009年から通い続けているジム通いや大好きなサウナに最近行けていない。そんななかほぼ唯一続いている個人活動がジャズだ。

4歳から15歳までエレクトーンを続け、音楽は好きだった。その後、ほとんど音楽活動から離れていたが、30歳になったころ、出版社の編集部のメンバーで組んだバンド活動で久しぶりに鍵盤に触れ、音楽を演奏する楽しみが自分のなかで蘇ってきた。

聞いているのも楽しいが、やるのはもっと楽しい。

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当時、「ブルーノート東京」や「東京ミッドタウン」や「東京JAZZ」などでジャズを聴きに行くことが増えていて、「あれ、これは自分でもやってみたら楽しいんじゃないかな」と思い始めた。

職場から徒歩10分のところに名門であるバークリー音楽院を出たジャズピアニストの先生が教室を開いていた。現役のプロであり、職場からも近い。そして伊集院光のリスナーというのも話が合いそうだと思った。

そこから月に1回60分のジャズレッスン通いが始まった。

しかし、そこからは苦難の連続だった。

覚えることが多すぎる。

ジャズではまず、12個のキーの主要コード進行を身体に染み込ませる必要がある。それぞれ基本版に加えてアレンジ版(こちらのほうを普通は使う)を入れるとゆうに50種類はある。さらにメジャー(長調)とマイナー(短調)があるので、100種類以上だ。

これをスパルタのように先生が「Cマイナーの2-5-1、Bフォーム、テンションあり」と言ったら瞬間的に弾かないといけない。

そして、つぎに待ち受けているのが、スケール。つまりキーごとの音階だ。それを12キーで10種類以上覚える。

たとえばCの基本スケールはドレミファソラシドだが(Cイオニアンと言われる)、どれかの音がシャープやフラットに変化するかたちがある。それぞれ名前が「ドリアン」「ミクソリリディアン」「オルタード」「コンディミ」…など呪文のようだ。

軽い気持ちで始めたが、なんという拷問なのだろうか!

アドリブはもっと過酷だった


そして基礎練習だけの日々が半年以上経ち、ついに待ちに待っていた実際の曲に挑戦することになった。そこで気づいた。

アドリブが全然弾けないのだ。

全然。

毎月のレッスンのための基礎練習はつらかったが、反復していてだんだん上達するのは面白い。英文法を覚えるような勉強なので、反復のイメージもつきやすかった。でも、自由に弾くアドリブの練習になるととたんに手がとまってしまった。

そこで「自由に演奏する」ということのとてつもない難しさを知った。ジャズは自由に弾いているように見えて、その裏にはたくさんの理論や日々の蓄積による引き出しがある。拷問のような基礎練習はそれを身体に染み込ませるためだ。

でも、いざ、それを使おうとすると本当に難しい。

正解がなく、未完成のアドリブは自分でも弾いていて恥ずかしいし、先生の前で披露するのはもっと恥ずかしい。せめてお手本(楽譜)があればいいののに、というジャズの精神から真逆のところを考えてしまうこともある。

ふと立ち止まって考えると、でも創作ってこういうことなんだ

正解がないからこそ面白いし、自分がつくる側にいることが面白い。大好きなチック・コリアやビル・エヴァンスのようなフレーズは到底奏でられないけど、自分がつくるアドリブは世界に一つの存在だ。それこそ創作らしさだ。

そう思うと、未熟で恥ずかしいアドリブの練習も、だんだん手が動くようになってきた。

また、続けることじたいを大事にしたいと思った。

一生ものの趣味にして、20、30年後、そして老後にもずっと楽しめるものにしたいと思って、「いま忙しいんだからちょっと休めば?」と家族に言われながらも自分のペースで続けている。

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(現在はオンラインレッスン。たまに子供が乱入するとこうなる)

いま、noteディレクターとして「創作をはじめて、つづけてもらう」ための活動をしている。

noteに入社して、自分も創作する側であるという意識を始めて持った。それまでは編集者としてみんなの創作をサポートしたり、届けることを行っていたが、自分も何かを創作している。得意ではないかもしれないけれども、自分がなりたい存在に向けて努力することは楽しい。

何度もやめようと思ったが、当分この「創作」は続けられそうだ。

*この記事は「noteのみんな Advent Calendar 2021」の11日目として書きました!


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