【22/3/6追記】世界史を学ぶのは「背景」と「平等な目線」を知るためである
「世界史を学んで何の為になるんだ」という言葉はよく耳にします。日常的に使用する四則演算や国語や英語のように生活に根差しているという感覚は薄いでしょうし、白衣を着て多くの物を発明する科学のように直接社会に貢献している認識もあまり持たれない傾向にあります。さらには同じ歴史でも、「自分が住んでいる国である日本史を習うのはまだしも何故世界史・・・?」と思う方もいるでしょう。
事実、世界史で習う知識は(現代史はまだしも)日常生活ではまず活用されません。「ペルシア戦争後にアテネが作った軍事同盟は何という名前か」「楊堅が隋を建国したのは西暦何年か」「1648年のウェストファリア条約で独立が承認された国はどこか」。学校の定期テストや受験では覚えておかなくてはならない事でも、多くの一般人は生活の中でこのような知識を活用する場はありません。せいぜいクイズ番組の「超難問」に正解できて、一緒に見ていた家族や友人に少しの間得意顔が出来るくらいでしょう。
ただ、(どの教科にも言える話ですが)こういった明らかに日常で使わないような知識だけをピックアップしたり、世界史という科目を「用語を覚えるだけ」という認識で話すことで、世界史が「要らない」と見えてしまうだけなのです。日常で使わないような知識やスキルはどの科目にも存在します。それでも読み書き計算等に比べたら世界史という科目は実用性は劣るかもしれませんが、科目として世界の歴史を学ぶのにはしっかりとした理由があるのです。それを今回はお話ししたいと思います。
1. 「背景」を知って現代の事象の起源を知る
世界の歴史を学ぶことの一番のメリットは、多くの国・地域の事情を「歴史」という観点から知ることができるという点です。その国がどのような歩みを以って現代まで来たのかを学ぶ過程で、国の風俗・文化・国民性などが分かり、現代の事象の背景が理解できます。どうしてヨーロッパの国々は国際的な影響力が大きいのか、どうしてアメリカは世界の超大国となったのか、どうして中東やアフリカでは争い事が絶えないのか、その理由が見えてきます。もっと言えば、何故この国がいま存在するのか、今の国境はどうやって出来たのか、何故この国とこの国は仲が悪い(良い)のかといった根本的な所も、歴史から知ることができます。
アメリカの黒人差別問題を例に考えてみましょう。今年アメリカではBlack Lives Matter(BLM)運動が大きく盛り上がり、一部が暴徒化し、コロナ禍と相まって大混乱となりました。結果として黒人に対するイメージがより悪化してしまったという見方もありますが、そもそもの発端は白人の警察官が黒人を殺害した事件です。悲しい事件ですが、ここまで運動が過熱化したのはアメリカに残る永遠の病理である黒人差別問題があるからです。黒人は社会的に地位を上げることが容易ではなく、賃金等の待遇も良くなく、生活においても肌の色の違いから差別されることがあると主張し、今なお改善しようと試行錯誤が繰り返されています。
ではこのような社会構造の原点は何なのでしょうか。アメリカに黒人がやってきた契機は、ヨーロッパ諸国によるアフリカ大陸と南北アメリカ大陸を結んだ三角貿易です。そしてこれは遡ること約500年、15世紀から考えなければなりません。ヨーロッパ諸国がアフリカから綿布や銃火器と引き換えに黒人奴隷を手に入れ、その奴隷をアメリカ大陸へ運び、アメリカ大陸で大規模農園(プランテーション)を経営し、作られた作物がヨーロッパへ輸出されるという循環です。この循環の下で生まれたアメリカの社会構造が、今まで続く黒人差別の原点となっています。アメリカの大農園では、黒人奴隷の監視役に白人の貧民出身の移民をあてたことで、アメリカ社会には支配の重層構造が形成されていきました。白人貧困層は白人社会の"被抑圧者"でありながら、黒人に対しては"抑圧者"として振舞っていくのです。そんな農園で作られたコーヒー豆や砂糖はヨーロッパへ輸出され、白人富裕層がコーヒーハウスで優雅に消費するのです。
こうして作られていった社会構造は今でも続く黒人差別をもたらし、第一次世界大戦直後のジャズブームのように一時的に黒人が持て囃された時期もありましたが、1960年代の公民権運動に代表されるようないくつもの「熱戦」がアメリカにはありました。何せ黒人が大統領になっても解決できなかった問題ですので、悲しいお話ですがこれからも残っていってしまうものと思われます。
このように物事の経緯を「歴史を紐解く」という形で見ていくと、現代の複雑な人種問題・民族問題・領土紛争・貿易摩擦・宗教問題などの事象の「起源」「きっかけ」を知る事ができます。2の「平等な目線」にもつながるお話ですが、ニュースのきっかけを掴むことでより賢く冷静な判断ができます。ただ感情に任せて何かに反対したりするのではなく、理論によって武装することができるのです。
2. 一方的な悪を生み出さないための「平等な目線」
このように、世界史によって世界の多くの事象の背景を知る事ができます。そしてそれを知る事が、世界に向けて「平等な目線」を持つための第一歩となるのです。
例えば、2001年のアメリカ同時多発テロやISISによる人質事件に関与した所謂「イスラム過激派」という人達がいます。彼らは世界三大宗教であるイスラム教を信仰していますが、その教義を曲解したり悪用することでテロ行為や殺人を正当化してきました。被害を受けた国の政府や国民は「反イスラム」を標榜して排斥運動が起こります。
確かにイスラム過激派組織が起こした悪行は許されざる行為で然るべき制裁は必要ですが、そこから世間の雰囲気やメディアによって「イスラム教=悪」という図式が醸成されてしまうのが問題となります。やがて、イスラム教を信じている人々全員が悪い人、何かしらの悪だくみをしている人という偏見が社会を包んでしまい、大多数の善良なムスリムは嫌な思いをしてしまいます。
ただ、世界の歴史、特にイスラム教を中心とした宗教史を少しでも齧っていれば、少なくともこのような偏見は沸いてこない筈です。イスラム教がどのように生まれ、現在に至るまでどうやって伝播し、発展していったかを知っていれば、一部の過激派だけが残忍で非人道的な行為をしているという結論に至るはずです。それに、キリスト教や仏教といった他の宗教も、過去の長い歴史で見れば現在のイスラム過激派以上に残酷な侵略行為や殺人を行なっているわけで、過激派連中を擁護する訳ではありませんが、一方的な「イスラム教はとにかく排斥すべき存在」という考え方はおかしいということに気がつくと思います。
世界史では、程度はどうあれ世界の政治・宗教・文化などの概要を学ぶことができます。改めて「世界の」というのが大切で、世界史を学ぶ中で数ある国の良い所・悪い所、政治体制の長所・短所、多くの宗教が残した功罪など、どちらか一方に偏ることのない、フラットに世界の事象を評価する目線が養えます。そうした前提で現代社会に世界中で起きている事件や騒動を見ることは、歴史を何も知らないで考えるより遥かに自分の考えに深みが増します。何に対してどんな考えを持つかは人の自由ですが、考えの根拠を強固にしたり、差別や偏見の目で見られる人を1人でも減らすということを、「世界史を学ぶ」という行為で出来ると僕は信じています。「世界に関すること」の知・不知はグローバル社会の今こそ、外国語を学んでコミュニケーションが出来る相手の幅を広げるのと同じくらいに重要なことです。仕事でも旅行でも色々なシーンで世界への目を向ける時に、必ず良い方向に働かせるきっかけに世界史という科目がなってくれると僕は思っています。
【2022年3月6日 追記】
2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻しました。ロシア系住民多いウクライナ東部地域のみならず、首都キエフにもその戦火は起こり、それは世界中で報道され、あらゆる団体の反応や経済制裁が注目されています。僕が何故わざわざ1年以上も前に公開したこの記事にウクライナ情勢を付け加えるかと言えば、今のこの情勢を理解するために正に必要な考え方がこの記事のタイトルにあると信じているからです。
今のウクライナとロシアの関係を理解するには、9世紀にまで遡ります。882年、オレーグの下でキエフ大公国が建国されました。領土としてはウクライナ西部・べラルーシ・ロシア西部にあたります。最盛期に大公だったウラディーミル1世はビザンツ帝国皇帝の妹と結婚し、キリスト教の一派であるギリシア正教を受容します。これにより、現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシにあたる地域はアジアではなくヨーロッパ(東ヨーロッパ)に属することになります。そしてその正教会の中心地、主教のいる地が現在のウクライナの首都キエフになったのです。しかし、この地は13世紀にモンゴルによって蹂躙され、キプチャク=ハン国という別の国へと変わります。モンゴル帝国が瓦解した後は、旧キエフ大公国が領有していた地域の覇権はモスクワ大公国が握るようになり、現在のロシアへとつながっていきます。一方のウクライナ民族はリトアニア=ポーランド王国やロシア帝国といった大国に長い間後塵を拝することになります。ただウクライナ民族が「ウクライナ人」としてのナショナリズムを主張し出すのは19世紀のナポレオン戦争以降となり、それはソビエト連邦構成国の一つとなり、連邦の崩壊という過程を経てより強固なものとなります。
では何故ロシアは今になってウクライナへの影響力を強め、軍事侵攻にまで動いたのでしょうか。まずは同じルーツを持つ場所としての帰属意識によるものです。この地域のスラブ系国家の端緒とも言えるキエフ大公国の中心地、正教会の中心地だったのが現在のウクライナであるため、その意識は強くあります。あるいは肥沃な土地による穀倉地帯とガス田といった資源を手に入れるため、黒海の航行権を手に入れるためといった地理的要因もあります。そして、NATOの東方拡大を阻止するためでもあります。NATO(北大西洋条約機構)は1949年に、元々はソ連を中心とした共産主義陣営に対抗するためにアメリカを中心として設立された軍事同盟です。冷戦終結後は加盟国はポーランドやバルト三国にまで拡大を続け、旧ソ連構成国であるベラルーシやモルドバ、そしてウクライナまで迫ってきています。プーチンはそれに強い警戒感を覚え、1991年のソ連崩壊時に構成共和国が今後NATOに加盟しないという約束(でっちあげ説あり)が反故にされたと批判しています。以前記者会見の場では「目の前に泥棒が来ているのに鍵をかけることに何が悪いのか?」とも言っていました。
こうして簡単に背景を振り返ってみましたが、現在世界ではロシアに対して様々な反応が示されています。国連では緊急特別総会で非難決議が採択され、経済制裁を実施する国も増え、スポーツの場では反ロシア・ウクライナ支援があらゆる方法で表現されています。一方で国連の非難決議には反対票を投じたり棄権する国があり、あまりに無条件にロシアを批判することに異を唱える勢力も存在します。現在ロシアが行なっている軍事行動は「大国が政治的意図を持って近隣国に侵攻する」という、「それは20世紀で終わった」と思われていた行動を大胆にも行なっており、世界中から非難されるのは当然のことです。しかし、「今のロシアのような行動は少し前にアメリカもやっていただろ」という意見や、歴史的背景を例示してロシアが掲げる大義名分を正当視する意見もあります。正直に言うとどの意見も100%正しいということはありませんし、僕個人の意見をこの場で全面的に表すのも避けることにします。ただ、これだけ世界中を騒がせている軍事侵攻について「何故ロシアはウクライナを狙うのか」「何故ロシアがここまで非難されているのか」「ロシアの行動はどれくらい異常なのか」「ウクライナを巡って各国の利害はどうなっているのか」といった、現在のウクライナを巡る国際情勢を知る上で欠かせない知識を、世界史に求めることができるのです。その上で今の自分には何が出来るのか、自ずと見えてくるはずです。
これは日本国内のことを考える上でも重要なことです。海外での軍事衝突に関しては、取り分け大国が絡むものは時の政権は対応せざるを得ず、国内の政治家も意見を表明し、国会でも議論されます。今回の場合は「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻」ですが、この出来事について深く理解することで、国内政治を見る目も養うことができます。記者会見やTwitterといった場でも多くの政治家が今回の軍事侵攻について話していますが、ロシアに対する態度・考え方、各国との連携の仕方は人によって様々です。国会ではロシア非難決議が賛成多数で可決されましたが、「れいわ新選組」はより具体的な案を求めて反対しました。元内閣総理大臣である鳩山由紀夫氏は「親露」とも取れるTwitterの発言で物議を呼びました。大国の軍事侵攻という重大な出来事に、この人はどう考えているのか。国の安全保障にも深く関わるこのテーマは政治家を選ぶ上で大事なことで、「政権選択」という色が強い国政選挙での投票先も変わってくるかもしれません。
このように、世界の大きな出来事について「背景」と「平等な目線」を持つことは大切なことです。何も知らずにニュースの言っていること、周囲の人々が言っていることに流されて自分の意見を持たないよりは、出来事のあらゆる面で顔を出す「何故」を理解して大局的見地を持った方が良いと私は思います。その「何故」の答えを見出すのに最も有効なフィールドが世界史なのです。全てを理解できるとは限りませんが(歴史や民族問題は一筋縄ではいかないことの方が多いです)、世界の歴史を学ぶことで国際情勢の見る目は確実に深みが増します。それはただ自分が楽しむためのはなく、出来事の根にあるものを理解して、少しでも人々が幸せになれるよう導けるようにしなければならないのです。
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