見出し画像

戦略のない、心任せのnote活動。

大学を出て、就職して、何年も何年も仕事がうまくいかなくて、私生活もストレスばかりで、どうにかライターとして人並みになれて、結婚して、子どもが生まれて、目まぐるしい毎日に忙殺されて、家族が寝静まった後に酒を飲むだけの日々のなかで、なぜか急にnoteを始めた。

どういうわけか癖になって毎日投稿してしまう。書くのが楽しい。いろいろな人の文章を読みに行くのも楽しい。

noteは何の目的もなく、思いつきで始めた。

プロフィール欄に、ライターの地位向上を目的としていますと書いたけど、それはライター活動のテーマであって、noteでやり遂げようとしているわけじゃない。

強いて言えば、私は書いていい場所を増やしたかったんだと思う。自由に何でも書いていい場所。営業やクライアントの顔色を気にせずに、好きに書ける場所。

なんとなく整理できた。私のnoteは、たくさん書くことが目的だ。

何か書いていないと落ち着かないから、誰にも読まれなくても、書いて書いて書きまくりたい。

この気持ち、なんだか懐かしいなって考えてみたら、答えが見つかった。mixiをやってた頃と同じだ。

大学に通っていた頃、毎日一生懸命にmixiで日記を書いていた。かれこれ15年くらい前のこと。

誕生日の友達に駅のホームでタバコをプレゼントしたこと。バイト帰りの早朝に原付の単独事故に居合わせたこと。彼女とディズニーに行った帰り道に犬のフンを踏んだこと。

言葉じゃなくて文章にしたくて、その時の気持ちをできるだけ細部まで届けたくて、毎日毎日どうでもいい出来事を、書いて書いて書きまくっていた。

コメントをもらえたら、必ず一人ひとりに違う文章で返した。

さっきは誰にも読まれなくていいとか書いたけど、やっぱり文章を受け止めてくれる人がいるのは最高に嬉しい。

納得のいく文章を書けたときの爽快感が好きだった。その文章を見てもらうのが好きだった。

現代文が好きだった。古文も漢文も好きだった。小学校から高校まで、国語だけは誰にも負けないように頑張ってきた。お風呂では漢検の勉強を毎日していた。異常に国語が好きだった。

そんな私は、TwitterやInstagramには一切ハマらなかった。たぶん、文章のスペースが足りないからだ。

キャッチーなフレーズじゃなくて、写真じゃなくて、ハッシュタグじゃなくて、私は文章で伝えたい。

いや、たぶんTwitterもInstagramも文章は書ける。でも私の書きたい文章は長くて、その枠からはみ出してしまう。

大好きだったmixiをやめたのは就職したから。文章を書くのとは全然違う仕事に就いて、覚えることがいっぱいで、日記を書いている余裕がなかった。

プログラマーとか、コンサルタントとかやったけど、仕事をしている自分と本当の自分は別人だってずっと思っていた。なんでうまく働けないんだろうってずっと疑問だった。

仕事は全部長続きしなくて、ボロボロになって、これがダメなら私はこの社会で何にもできることがないよ、っていう最後の頼みでライターになった。

なんで最初からライターを目指さなかったのかわからない。大学受験に失敗して、文学部に入れなかったことで拗らせていたのかもしれない。突飛なことをして周りを驚かせたい、という性分も関係していたんだと思う。

そんな私がnoteを書いていて思うのは、mixiを一生懸命に更新していたあの頃から、自分は何も成長していないということ。

悪い意味じゃなくて、あの頃の、文章を書くことを楽しむ純粋な気持ちがまだ残ってるんだと、少しだけ自分を取り戻せた気がした。

noteを始めてから、「次は何を書こう」と毎日を楽しみにしている自分がいる。明日も仕事があるのに、夜遅くまで下書きをいじくっている自分がいる。

国語が大好きだったあの頃、そしてmixiでただ書くことを楽しんでいたあの頃が、私という人間の核なんだと、原点なんだと気づかせてくれた。

ただひたすらに「書くのが好きだから」という理由だけでnoteを書き続けてみよう。

戦略も何もない。もしかしたら、貴重な時間を無駄にするだけかもしれない。

でも、その先に何があるのか誰にもわからないでしょ。だから私は考えないことにした。

今日も書くよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?