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人を拒否しない空間

映画パラサイトには、次のような台詞がある。

 俺は似合う?
 何が?
 似合ってるか?ここに。

半地下の家に暮らす貧困層の青年が、パラサイトしている富裕層の家で漏らす言葉である。
自らの貧しい境遇と、いま身を置いている洗練された空間とのギャップに戸惑うのだ。

振り返ると、僕がこの空間のデザインにおいて考えたのは、つまりこういった種類の問題であったのだろうと思う。

空間に拒否されてあると感じることがあるだろうか。
たとえば、普段着を着ている自分がふと訪れたレストランやホテルなど、
ラグジュアリーな空間への高揚感と共に感じるのは、自分がここにいていいのかだろうかという異物感である。

あるいは次のようなことが度々ある。
建築の仕事をしていると、現場で職人と打合せをする。彼らは汚れた作業着をきている。なぜなら、彼らは現場で作業をするのだから。
そして、たまに彼らと昼ご飯を食べにいこうとなる。
「すぐそばに良い感じの店がありましたよ。」
と僕が言うと、
彼らはこういうのだ。
「あそこはきれいすぎて、入りずれえんだ。」
そして、代わりに彼らに連れられていく店はちょうど良い具合に雑然としていて、がやがやと活気があり、居心地がよいのだ。

デザインはいかに洗練させられるかという方向に向かうことが多い。だけれど、こういったときに、空間とはどうあれば良いのかと考えさせられる。
人を拒否しないような空間とはなんだろうかと。

内房の飲食店のリノベーションである。
店は工場地帯に程近い地域にあって、近隣の工場で働く人たちが主な客層である。

店主からの要望はひとつだけで、「綺麗にしたいけど、綺麗になりすぎると困る」というものだった。
店主曰く、綺麗になりすぎると工場勤務の作業着をきた人たちが来なくなるというのだ。店の先行きを左右する重要な問題だ。

課題は自然と、店主の言う"綺麗"をどう捉え、それをどう表現するか、そして、工場勤務の作業着の人たちを拒否してしまわないような空間とはなにかという点に絞られた。

ここで考えたのは、主に3つである。
1.ひだ
2.無作為
3.不均一さ

1.襞
空間の構成は襞のイメージである。
中心の大テーブルを中心として、それぞれの席がそれを取り囲むかたちで配置されている。そして、それぞれの席が程よく領域をかたちづくる。
大きなワンルームであるのだけれど、それぞれの席につくと、襞の中に落ち着くようなイメージを持った。
また、中央の大きなテーブルも、ある意味では襞である。
ひとりでこの店を訪れた人がここに腰を下ろす。
以前、ひとりでくるお客さんは、4人掛けのテーブルでほかのお客さんと相席になっていたということであったが、
この大テーブルであれば、対面する人とも適切距離を確保でき、落ち着くことができる。

2.無作為
この店の店名には「和風レストラン」という枕詞がついている。デザインをする側からするとそれが頭を悩ませる。和風なのか洋風なのか。
結論から言えば、この店には特定のスタイルを与えないように配慮した。なぜなら、特定のスタイルは、客にスタイルを強要し、あるいは拒否するからだ。
余計なつくり込みをせず、無作為で、店を訪れる客にスタイルを強要しないおおらかさを持った店にしようと努めた。

3.不均一さ
この店は古く創業して40年程になる。店は古びていたが、この古さが居心地の良さを醸し出してるのかもしれないと考えた。
考えてみると、すべてが真新しく均一な空間はなんとなく居心地が悪い。
すべてを新しくするのは簡単だが、店を訪れる客は居心地の悪さを敏感に感じとるだろう。
であるから、既存の家具は出来るだけ残し、店に新しさと古さの同居する状態にした。

予算の問題からも、今回のリノベーションでは、デザイン的な操作を最低限にとどめたものの、古くから続いてきた地域の店としての落ち着きやあたたかみ、そしてどこかし懐かしさ覚えるような店の空気感を表現できたのだはないだろうか。

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