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一分将棋

9月12日に開催された、永瀬拓矢王座に藤井聡太竜王名人が挑戦する第71期王座戦第2局は、第1局に続いて両者1分将棋に突入し、ぎりぎりの勝負が続いた。

1分将棋というのは、文字通り、自分の持ち時間(王座戦では各5時間)を使い果たし、後は、相手が指した後1分以内に次の手を指さなければならない。

この対戦、双方1分将棋になったのは111手目からで終局は214手 ── なな、なんと、100手以上も1分以内で指されたことになる。
1分将棋はぎりぎりまで考え、通常55秒から59秒の間ぐらいで指されるので、1時間半以上も立つことなく、将棋盤を挟んでいたことになる。
いや、その前から既に時間は切迫しているので、おそらくは2時間ぐらいはトイレに行けていないはず。

理想を求めてとことん『手を読む』藤井七冠がまだ無冠だった頃、自分だけ長考を繰り返し、大きな時間差のまま終盤戦に突入することがよくあった。
私だけでなく、ファンはみな、我が子のようにハラハラしながら観戦していた。
「なんでもない時(とファンが思っているだけだが)にそんなに長考するなよ!」
「もっと終盤に時間をとっておけよ!」
モニター画面に向かって若き天才を『叱りつける』人は多かったろう。

当時の対戦者、例えば渡辺明九段や木村一基九段などは、残り時間が10分以内となった藤井さんがあわててトイレに立つと、すぐに指して『若武者』の貴重な時間を『削る』ようなあからさまなことはせず、彼が戻って来てから次の手を指したものだ。
(まあ、……生番組で放映されてるし、あまり阿漕あこぎなこともできないよね……)

ところが、3年前の第33期竜王戦決勝トーナメントのこと、藤井(当時)七段と対戦したベテランの丸山忠久九段は、残り数分となった藤井さんがトイレに立って視界から消えた途端、残り時間が豊富にあるにもかかわらず指した。
「ひえーっ!」
丸山九段は温厚な人柄で知られるが、それと対照的な、優勢になっても勝ちを急がず、相手の手を殺す方針を貫く手堅い棋風は、『激辛流』と言われる。
この1手は、丸山九段が盤面以外でも『激辛流』であることを示した。
藤井さんがあわてて戻って来た時には当然、時間はさらに切迫していた。

しかし、将棋ファンの中ではこの『激辛対応』はおおむね好意的だったようで、
「丸ちゃん、藤井君にプロの厳しさを教えたな」
「これで、藤井君もタイム・マネジメントの大切さを知ることになるだろう」
というようなコメントが多かった。

確かにこの一戦、勝者(104万円)と敗者(78万円)の対局料金額差に加えて、さらに高額賞金のステップに進めるかどうかが決まるわけで、プロ棋士だったら、何が何でも勝たねばならないはずだ。
実際、丸山九段は次の対戦でも勝利して121万円、さらに次の準決勝勝利で167万円、そして羽生九段との挑戦者決定三番勝負に進んで460万円の対局料を得た(残念ながら2-1で逆転負け;勝っていれば挑戦者の対局料は1500万円以上に跳ね上がり、竜王のタイトルを取れば4000万円以上と言われる)。

プロ棋士の間では、
《時間責め》
という言葉もあるほどで、自分が残り時間が多く、相手が1分将棋になると、自分の考慮時間に相手も考えるのを防ぐため、指し手が決まっていれば自分も短い消費時間でどんどん指す、という指し方です。
(これが失敗して自滅する場合もありますが……)

さて、将棋中継を見ているとなかなかトイレに行けない《マーフィーの法則》について書きました:

これは、長考中だからと安心してテレビの前から離れる間に限って指される、という話でしたが、双方1分将棋になると、ぐずぐずしていれば数手進んでしまいます。

では、
《棋士は1分将棋でトイレに行けるのだろうか?》

つまり、自分が指して席を立つ。相手はすぐに次の手を指すかもしれない。戻って来たらすぐに指さねばならない ── この条件では、1分以内で、トイレに直行し、###を取り出し、コトを終え、###を格納し、戻って来なくてはなりません。

「よし、実験だ!」

今回の王座戦第2局で、延々と続く双方1分将棋に合わせ、藤井竜王名人が指した瞬間にテレビの前を離れてトイレに駆け込み、コトを済ませて戻る ── 1分弱 ── といっても55秒ぐらいでした。
「これは厳しい!」
特に今回のようなタイトル戦は羽織袴姿で戦います。###を取り出し、格納するにも時間がかかるでしょう。
そのためか、丸山九段並みに『からい』永瀬王座は、ある時期、タイトル戦であってもスーツ姿で対応しました。この『ギリギリの状況』を想定していたのかもしれません。

前述の対丸山九段戦のように、自分だけが1分将棋の場合はほぼ不可能でしょうね。
ただし、双方1分将棋の場合は事情が違います。相手も1分以内に指さねばならない。相手にとっても時間が超・貴重なわけです。自分が指した直後に相手も指す、というのはかなりリスクがある ── 普通の棋士は1分間ぎりぎりまで考えたいところでしょう。
── この場合は合計2分近くあります。

実験の結果、双方1分将棋ならば行けそうだ、と結論しました。
……でも、行かないだろうな。

藤井さんのような若い人はいいけれど、ジジイになってくるとなかなか厳しいかもしれない。

「紙オムツを履いて対局しなくてはならないか……」

そうつぶやいていると、同居人が、
「あんた、今からプロになるつもりなの? ホントにくだらないことを心配するのね! ある意味、感心するわ!」

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