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キノウとアシタ(森の童話;2400文字)

 その頃、《時の森》には不思議な生き物が2匹住んでいて、ここを通る旅人たちにひどく恐れられていました。

 1匹は高い樹の上に巣を作っていて、鳥のような翼を持っていました。夜になると森の中を自由に飛び回り、野宿をしている旅人がいると、焚火の匂いを嗅ぎ付けて、そっと近くに降りてきます。そして、眠っている旅人の頭の中をじっと覗き込むのです。
 その時、旅人が何か自分の将来についての夢を見ていたりしたら大変です。この生き物は細いくちばしを旅人の夢の中に突っ込み、夢を全て吸い取ってしまうのでした。未来の夢が大好物のこの生き物は、《アシタ》という名前でした。

 もう1匹は森の地中深くに住み着いており、旅人の足音を聞き付けると巨大なモグラのように穴を掘り、これを追って移動します。やがて旅人の足音が止み、穏やかな寝息が聞こえ始めるともっこり地上に現れ、やはり眠り込んでいる旅人の夢の中を覗き込むのです。
 この生き物は過去の夢が大好きで、過ぎ去った昔や懐しい子供の頃の想い出を夢に見ていると、旅人の頭を抱え込むようにして夢を食べてしまうのでした。この生き物は《キノウ》と呼ばれていました。

 隣の国へ行くために、どうしてもその森を通らねばならない人々は、森に入るまでに十分睡眠を取り、道中はできるだけ眠らないようにしました。
 しかし、森はとても大きく、横切るのに少なくとも3日はかかりました。3日3晩眠らずに旅を続けるのは大変な事です。その間にうっかり眠り込んでしまったら、たいていは《アシタ》《キノウ》のどちらかに夢を食べられてしまうのでした。
 《アシタ》に夢を吸い取られてしまった人間は、未来についての想像力をすっかりなくしてしまいます。だから、それから後は、ただ無目的に生きていかねばなりませんでした。
 一方、《キノウ》に夢を食べられてしまった者は、片っ端から過去の記憶が消えていくので、想い出も経験も友人も全て失い、赤ん坊のようになってしまうのでした。

 ある時、一人の若者がその森を通りかかりました。若者は一日森を歩き、大きな樫の樹の根元で野宿することにしました。
 彼は《アシタ》《キノウ》についての噂は聞いていましたが、眠ることを恐れてはいませんでした。なぜなら、彼はいつでも自分が見たい夢を見ることができるからでした。
「要するに、未来でもなく、過去でもない夢を見ればいいんだ」
 彼は少し考えました。しかし、未来と過去のどちらとも関わりのない夢というのは難しいものです。考えているうちに、鳥の羽ばたくような音が近くに聞こえました。目の前の地面がムクムクと盛り上がるのも見えました。
「あれこれ気に病むより、寝るとするか」
 若者が樫の根を枕に眠り始めると間もなく、その傍らに《アシタ》《キノウ》がやって来ました。

 《アシタ》は3日前に貧しい行商人の夢を吸い取って以来、何も口にしていませんでした。それは、行商人が金鉱を発見して大富豪になる、という絢爛けんらんたる夢でした。
「今日もあんな御馳走にありつきたいもんだ」
 《アシタ》はくちばしをかっと開いた後、若者の頭の中をじっと見つめました。

 《キノウ》が夢を食べたのは、もう5日も前の事でした。それは、戦場から逃れてきた兵士が見た、楽しかった少年時代の想い出でした。
「甘い甘い、幸福な夢だったな。それにしても腹がへった」
 《キノウ》は舌なめずりをしながら、若者の夢を覗き込みました。

 夢の中で若者は、翌日からの森の旅について村の娘と話していました。
『ねえあんた、よした方がいいんじゃない。知ってるでしょ? あの森には恐ろしい怪物がいるのよ。あたし、これまでに、頭がおかしくなった旅の人を何人も見たわ』
『大丈夫さ。僕には考えがあるんだ』

 《アシタ》は羽をふるわせ、うれしそうに笑いました。
「明日の夢を見ている。俺のものだ」
 《アシタ》が夢にくちばしを突っ込もうとすると、《キノウ》に押しのけられました。
「いや待て。これはこいつが昨日、翌日のことを考えているわけだ。だから、昨日の夢だ。俺がもらう」
 《アシタ》《キノウ》は言い争いを始めました。

 すると、夢の中で若者は言いました。
『昨日の明日っていうのはいつの事かわかるかい?』
『そりゃ、今日でしょう?』
『その通り。だから、この夢は《今日》の夢なんだ。《アシタ》にも《キノウ》にも食べられない』
『ふうん。あんたって、頭いいのね』
 夢の中で娘が感心しました。
 夢の外では《アシタ》《キノウ》ががっかりうなだれました。

 若者は、夢の中で得意そうに言いました。
『それにしても、頭が悪いのは《キノウ》の奴さ。明日だって2日待てば昨日になるんだ。明日の夢を《アシタ》に食べさせずに、旅人の頭の中で2日寝かせておいて、昨日の夢になったところで食べればいいんだ』

 なるほど、と思った《キノウ》は、《アシタ》のことが急に邪魔になり、《アシタ》の羽をつかんでむしり取ろうとしました。《アシタ》は怒って、鋭いくちばしで《キノウ》の体を突きました。しばらくの間激しく2匹は戦い、ついに《キノウ》の体は腐葉土の上で動かなくなりました。

 勝った《アシタ》が若者の夢の中を覗き込むと、今度はこんな事を言っていました。
『頭が悪いといえば、《アシタ》だってそうさ。昨日といったって、一昨日おとといから見れば明日なんだから、旅人が森に入る前に捕まえれば、たいていの夢はまだ未来のままさ』

 確かにその通りだ、と《アシタ》も思いました。そして森に入る前の旅人の夢を食べるために飛び立って行きました。けれど、森の外へ飛び出した《アシタ》の体は、すぐ地上に落ちてしまいました。この不思議な生き物は、森から出ると生きていくことができなかったのです。

「ああ、よく眠った」
 朝の木漏れ日を浴びて目覚めた若者は、起き上がって背伸びをすると、また森を歩き始めました。


〈初出:2021年2月23日〉

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