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パラサイト・ペット(短編小説;4,100文字)

「お、小森君じゃないか、もう体調はいいのか?」
 メンタルケアで休職中だった部下が、2か月ぶりに出社した。
「はい、課長。ご迷惑をおかけしました」
「そうか、よかった。しかし、あまり無理するなよ」
 彼には軽い作業を与え、仕事ぶりを見守った。

 復帰から数日が経ち、少しずつ小森の仕事量を増やした。彼は大過なく、課題をこなしていった。
 ただひとつ、気になることがあった。仕事を終えた彼が、何かブツブツ小声で独り言ちている。
 仕事をしながらも、時おり手を休め、右手の指で、左手の甲や腕を撫でている時がある。そして、そんな時はたいてい、少し微笑みながら、口を動かしている。
 まだ本調子じゃないんだ、刺激しない方がいい ── そうは思ったが、どうも気になって仕方がない。しばらく様子をうかがってみると ── 彼はどうやら、自分の腕に話しかけている ── としか思えなかった。

「小森君、どうかした? ……何か話してたみたいだけど」
 思い切って声をかけた。
「ああ、課長。すみません。お仕事の邪魔でしたか?」
「いや、全然問題ないよ。……ただ、どうしたのかな、と思ってさ」
「いえ、何でもありません」
 そう言って仕事に戻る部下に、私も席に戻った。ただその時、小森の机の上にある、サプリのような赤い袋に目をとめた。
 《パラシッチ・プラス》
 袋には、そう書かれていた。

(メンタルケアが必要な部下を刺激することなく、職場復帰を助けてやらなきゃな)
 自分で調べてみることにした。

 ── ネットに情報は少なかった。
 ただ、ペット・ロスで心を病んだ人が、バイオテック・ショート・サーキット社、略称BSC社のサービス、《パラシッチ》によって日常を取り戻した、という記事が散見された。
 《パラシッチ》のおかげで孤独から解放された、というユーザーからの投稿も見た。
 BSC社自体はまったく広告を出しておらず、すべて口コミの評判だった。
「そういえば、あいつも……」
 小森が精神科医の診断書を出したのは、出張中、ひとり暮らしの部屋で飼い猫が亡くなってから間もなくのことだった。
 日帰りの予定だったのでペットホテルに預けずに出たのだが、地震で電車が止まり、2日遅れで帰宅した時は、彼の愛猫は冷たくなっていた、と聞いた。

 BSC社に電話をかけてみた。
「パラシッチについてのお問い合わせですか? 確かに、可愛がっていたペットを亡くされた方には、お心が癒された、と喜んでいただいています。ただ、お客様はそうした方ばかりではありません。いつもペットと一緒にいたい ── 例えば旅行好きの方で、山でも海でも、それこそ海外でも、── どこにでも愛するペットを連れて行きたい、というお客様にも、喜んでいただいております」
「それは、どんなサービスなんですか?」
「実際に体験していただかないとわからないとは思いますが……、ひとことで申し上げると、ペットを体内に飼う ── そんなミラクルを実現するサービスです」
「ええっ!」
 体がぞくり、と震えた。
「それは、……サナダムシのようなものじゃないでしょうね」
「違いますよ。目に見えなければ、ペットとは言えないでしょう」
「でも、……体内なんですよね?」
「体内っていっても、皮膚のすぐ下ですから、動いているのがわかるんです。飼い主の言葉にだって反応するんですよ」
「まさか……」
 そう言いながらも、オフィスでの小森のしぐさを思い出さないわけにはいかなかった。
(あれは、腕の ── 皮膚の下にいる、ペットに話しかけていたのか……?)
 その仕草が気になり、私は結局、BSCのセールス担当者と会うことになった。

「ああ、小森様ですね。ええ、パラシッチをお飼いいただいてます。以前のペットを亡くされた時にはたいへん悲しまれてましたが、今はお元気になられた、とうかがっています」
 セールス担当の女性は、こちらを探るように見て言った。
「どうでしょうか。『百聞は一見にしかず』です。お客様もお試しになってみては?」
「ええ? 冗談じゃないよ」
「大丈夫です。お嫌でしたら、餌をやらなければ、すぐにいなくなります」
「いなくなるって……一体、どうやって」
 いいからいいから、と彼女が示したのは、小森の机に置かれていたものに似た、サプリ様の袋だった。ただし、こちらの色は青、そして、
 《パラシッチ・エッグ》
 と書かれている。
「パラシッチをお飼いになるのは簡単です。この《エッグ》を飲んでいただき、翌日から、こちらの赤い袋の方、餌になる、《パラシッチ・プラス》を1錠ずつ服用していただきます。毎日時間を決めて ── 例えば昼食後に必ず1錠飲んでください」
「毒じゃないよね?」
「大丈夫です。医薬品ではありませんが、補助食品として正式な認可をとっています」
「それで?」
「だいたい、3日目ぐらいに皮膚の一部が少し盛り上がり、パラシッチが卵から孵ったことが確認できます。あとは、名前を付けて、可愛がってあげてください」
「名前? 名前で呼んだら、反応するの?」
「ええ、ご自分で体験してみてください。 お試し期間として、《エッグ》《プラス》1週間分は無料とさせていただきます。もし、お好きでなければ、その後、プラスの服用をやめれば、2日ほどでパラシッチはいなくなります。気に入っていただけたら、《プラス》を追加でご購入いただき、引き続き、お育てください」
「……ふうん」
 少々気味が悪かったが、好奇心には勝てなかった。それに、小森のことがやはり気になった。
(BSCは最近よく聞くバイオ・ベンチャーだ。まさか、詐欺のようなことはないだろう)
「じゃ、その《お試し》ってやつ、やってみようか」
「ありがとうございます」

 風邪薬にも似た、カプセル状の《パラシッチ・エッグ》をその場で飲んでみた。
 自宅に帰り、翌日、そして翌々日と、ビタミン剤のような《パラシッチ・プラス》を《服用》した。
 その次、エッグを飲んでから4日目の朝 ── 。

 左腕を何かが這うような気配で目を覚ました。まだうとうとしながら触ってみると、二の腕に小さな盛り上がりがある。
(蚊にでも刺されたか)
 しかし、その盛り上がりは、二の腕から肘の方に、ゆっくりと動いた。
(うおっ!)
 起き上がって腕を見ると、ちょうど《エッグ》カプセルと同じくらいの大きさに皮膚が盛り上がり、前腕を、肘から手首の方に向けて動いていくところだった。
「おい、パラシッチ」
 とりあえず、共通名称で呼んでみた。
 《隆起》はぴくりと止まり、しかし、また同じ方向に動き出した。
(そうか。まず、名前をつけなきゃな)
「おい、ミッチー、こっちにおいで」
 そう呼ぶと、《隆起》は、いや、《ミッチー》は、方向を変え、前腕から上腕に、そして肩に向かって進んできた。
「そのあたりでいいよ」
 上腕の途中で止まった。
「じゃ、今度は、右腕の方に行ってごらん」
 《ミッチー》は、左の脇からゆっくりと胸を横切り、右腕に移動した。
(これはすごいな。小森が《ハマる》はずだ。これなら、会社にだって、出張にだって連れていける)

*****

「ねえねえ、最近、課長の様子、変だと思わない?」
「ええ、自分の席で、腕を撫でながら、なにかブツブツ話してるみたいよね」
「あ、気付いてた? ……それがね、いつもは何言ってるかわからなかったんだけど、今日、チラっと耳に入ってきたの」
「え、なになに?」
「誰にも言わないでよ。……『ミッチー、どうしたんだい』って、ささやいていたの。その後、また小声になって聞こえなくなったんだけど」
ミッチーって、……ひょっとして」
「うん、去年亡くなった課長の奥さん、お葬式に行った時にわかったんだけど、美智子って名前だったわよね?」
「うん、確か、そうよ」

(今日は、《ミッチー》の様子がおかしい。朝から元気がない。あまり動かないし、なんだか、小さく萎んでいっているみたいだ)
 その時、たいへんなことに気付いた。
《プラス》を飲み忘れている!)
 昨日、今日と朝早くから会議続きだったため、2日続けて飲んでいなかったのだ。
《ミッチー》が死んでしまう!)
 私は急いで引き出しから赤い袋を取り出し、《プラス》を1錠、口に入れた。
 《ミッチー》は動かない。
(手遅れなのか? また《ミッチー》を失うのか?)
 《プラス》をもう1錠飲んだ。1日1錠と言われているが、緊急事態だ。
「ミッチー、元気出してくれ!」
 思わず大きな声が出た。部下たちが一斉にこちらを見たが、かまやしない。
 その時、二の腕の《ミッチー》が、少しだけ、動いたような気がした。
「ミッチー、そうだ! よし、待ってろよ!」
 続けて《プラス》を口に入れた。
「おおっ!」
 《ミッチー》が大きく膨らんできたのだ。どうやら、餌を増やせば大きくなるらしい。私はプラスをどんどん口に放り込んだ。
「おっ! おおおおっ!」
 今や《ミッチー》は大きな力こぶのように膨らみ、そして、元気に動き始め、そして、さらに大きく……。
「うっ、わっ! うわわわわわっ‼」

*****

「課長、あんなにお元気だったのに、どうしたんでしょう」
「……突然でしたね」
「ご自分の席で、何か大声で叫んだ後、倒れたんです。みんな、驚いちゃって……」
「……持病でもあったんでしょうか」
「わかりません。ただ、最近、よく腕を撫でながら、なんだか幸せそうに目を細めていることがよくありました。……ちょっと気味が悪かったですけどね」
「こら、君たち、お亡くなりになった人のことをそんな風に言うもんじゃない。ほら、お焼香だ」
「はい、すみません。さ、行きましょ」
「お、小森君。君のことは、彼、ずいぶん親身になって心配していたんだぞ」
「……はい、本当に感謝しています」
「そういえば、君もよく腕を撫でているな」
「……はい。……課長は……ここに」
「え? 何だって……?」

 小森は口の中で何ごとかつぶやいていたが、聞き取れる者はいなかった。

(……課長は……ここに……こうして……ボクの……ボクだけの……2匹めのパラシッチ……)


〈初出:2021年7月28日〉

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