ミクロとマクロを重畳する名画「タイタニック」
「シン・タイタニック」の時代に今さら「タイタニック」かよ、と石を投げないでください。
昔書いた映画エッセイ(今回はかなり短いですが)に、この手の実話スペクタクルのキモ!を書き留めていたので、残しておきたい、と思ったのです。
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評判になっている「タイタニック」を見に行きたい、と中学2年の娘が言うので、GWもどこへも連れて行かなかったし、と多少の反省をして、久しぶりにシネプラザまで出かけることになった。小学校6年の次女には少し早いかとも思ったが、くっついて来た。
客の多くはカップルで、私のような子供連れはいない。
3時間、という時間がまったく長く感じないほど引き込まれた、── さすがによくできた映画だった。
昔「Uボート」を見た時に、マクロな戦争の中にミクロな人間(の心理)を見事に描いている、と感心したが、「タイタニック」はやはり、マクロな沈没事件と重ね合わせてミクロな人間のロマンスを見せてくれる。
特に、マクロな部分ではCGと特撮と組み合わさった迫力あるシーンで、そして、ミクロな部分では生き残った女性の回想という仕掛けを使って、共に映画という芸術をとことん楽しませてくれる。
僕は涙腺が弱いので、最後の回想的想像シーンでは泣いてしまった。
娘たちは「感動した」と言ってはいたが、泣くほどではないようで、それは彼女たちが(かつて僕自身がそうであったように)、まだ自分たちの時間は永遠にある、と思っているからだろう。
僕は、過ぎ去った時間は戻らない、という当たり前のことを強く意識し出した十年ほど前から、過ぎてしまった少年時代や青春の回想を含む映画(「Stand By Me」とか「Fried Green Tomatoes」)を見ると、やたら泣けてしまって困るのだ。
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このエッセイの最後に引用されている、
「Stand By Me」と「Fried Green Tomatoes」
どちらも心を揺さぶられたのは憶えています。でも、前者のストーリーは記憶にあるが、後者はどの部分でどう「揺さぶられたのか」具体的に憶えていない。
……まあ、憶えてなくてもいいんですが。
やはり、映画を観た直後の感想メモって重要なのかも……。
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