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金と愛は、そんなにはっきり分離できるものではない;古くて古くない映画「Indecent Proposal」

これは1993年のロバート・レッドフォード主演映画(邦題:幸福の条件)を数年後に観て、社内の映画同好会ニュースレターに書いた記事です。
ネタバレがありますので、ご注意ください。
それにしても邦題がダサい。ダサい上に内容に合わない。
「Indecent」を「卑猥な」「いかがわしい」などと訳しにくいのはわかるが、ならば、
「悩ましき提案」ぐらいにすれば良かったのでは?

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金のない若い夫婦ダイアナ(デミ・ムーア)とデビッド(ウッディ・ハレルソン)が一発勝負を狙ってラスベガスに来るが、結局失敗する。
そのラスベガスでダイアナは億万長者のジョン・ゲージ(ロバート・レッドフォード)の目に止まり、夫婦は彼のパーティー、彼の部屋に招待される。

「金で買えないものはない」
というジョン・ゲージに、若夫婦は、
「愛は金で買えない」
と反発する。そこで、ジョン・ゲージは、
「では、100万ドルでダイアナと一夜を過ごしたい、とお願いしたらどうする?」
《Indecent Proposal》を持ちかけるのである。

夫が設計した家が人手に渡りそうになっている夫婦は当然、大いに悩み、悩んだ末に、妻は、
「一晩我慢するだけだから話に乗ろう」
と言う。そして、夫も、
「後はお互い、そんな事は無かった、と触れないようにすればいいんだ」
と了承する。

しかし、その夜、彼は嫉妬に苦しむ。そして、夫婦の関係は大きく変わり、結局ダイアナはジョン・ゲージの元に去る。

「その事に触れない」という約束を破り、デビッドが怖い顔で妻に問いただすのは、億万長者とのセックスがどうだったか?── である。
“Was it good? Was it good?”
としつこく尋ねる彼に、ついに、
“Yes, it was good”
とほとんど泣き顔で答え、妻は去っていく。

デミ・ムーアの憂いを含んだ美しい顔も、その豊満な肉体も魅力的である。これくらいの「上物」でなければ、何でも手に入る億万長者の心も動かなかったに違いない。

最近(注:この記事を書いた頃)のニュースによれば、中国の武漢市で私企業を経営する30代の資産家が新聞で花嫁を募集したところ、たいへん多くの女性が応募し、面接試験を経て、その中から19歳の女子大生が選ばれたそうである。

「愛は金で買えない」?
世界はそれほど単純ではないのだ。

愛を金で買うことができる場合も、買えない場合もあり、でも、その金額によっては愛を買えるケースが多い ── のかもしれない。

村上春樹の短編集「回転木馬のデッドヒート」の中にある「雨やどり」にも、非常に印象的な文がある。

我々は多かれ少なかれみんな金を払って女を買っているのだ、と。
──<中略>──
だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にありうるのだ。

村上春樹「雨やどり」より

その通りなのだ。金と愛とは、そんなにはっきりと分離できるものではないのである。

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さて、ぼくが昔書いた小説にも、こんな場面がある。

二人がベッドで繰り広げるその行為は、これが夫婦間で唯一、金銭の絡まない共同作業であった。しかし、大蔵省が国民のありとあらゆる活動に税金をかけようと企んでいるのと同様、肇は既に数カ月も前から、ベッドで妻があげる歓喜の声を聞くにつけ、
(これは、俺が典子から金を取れる唯一のサービスではないだろうか)
と考えていた。それは、食事・掃除・洗濯等、家事サービスに毎月多額のサービス料を支払っている彼の、いわば逆襲であった。しかし、典子は典子でセックス奉仕料の新設を目論んでいるのではないかという疑心暗鬼もあり、まだ口に出して言う勇気はなかった。

谷俊彦「木村家の人びと」より

映画「木村家の人びと」の中では、妻典子(桃井かおりサン)が腰に「歩数計!」を装着し、その数字に応じて課金する、という画期的なシステムを編み出していました。

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