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再勉生活! こんなところに《監視》無しで送り込んだら、たいへんなことになってしまう!

会社の「海外留学候補者」となり、行き先をイリノイ大学(University of Illinois at Urbana-Champaign)材料学科(Department of Materials Science & Engineering)に決めました。

そんな時、上司が米国フロリダ州で行われた学術会議に出張しました。帰国後、私を呼んでこう言います。
「君の留学だけどね、ひとつ問題がある」
部署の担当役員は非常に厳格な人で、2年ほど前に技術習得のために派遣された研究員は単身赴任でした。

「ましてや、学位取得のための留学だ。おそらく、女房子供を連れて行って勉強なんかできるか! ── そう言うだろう」
それは、大いにありうることでした。

「オレはね、むしろその逆で、家族と一緒に行かなきゃ研究にも専念できないと思っている。だけどほら、役員はとてもstrictな人だからな ── どうやって切り出そうかと思っていたんだ」

上司は今回の出張で、フロリダ大学の先生を訪ねたという。
「ちょうど昼休みになったんだ。そしたらさ、校舎から一斉に学生が出てくるんだ。ほら、フロリダだろ、女の子はほとんど水着みたいな恰好でさ、胸なんかもう、ぶるんぶるんでさ! ── オレはその時思ったよ、……こんな所に君をひとりで送り込んだら、たいへんなことになってしまう! 奥さんを監視に付けなきゃならん! 役員にはそう言って説得する! 彼も君のことはよくわかってる ── たぶん、大丈夫だ」

何がよくわかってるのか、心配ではありましたが、とりあえず頭を下げました。

直属の上司が厳格役員を説得してくれたようで、私はこの会社で初めての「看守付き」、── いやいや、「家族帯同」での海外派遣社員となりました。

並行して所属希望する研究室の教授とも話を進め、正式な願書を大学院あてに出しました。要件は、
・卒業した大学の成績表(学部は冴えなかったので、大学院修士の成績も添えた)
・自己推薦状と他者推薦状3通(卒業研究室の恩師、直属上司、その上の役員)
TOEFLの成績(この時までに合格点を取っていた)

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話が前後しますが、進学先をイリノイ大学に絞る前、GRE(Graduate Record Examination)という、北米の大学院共通試験結果で入学の足切りを行う大学も候補に入れており、念のためその試験も受けました。

当時のGRE一般試験は、Quantitative(数学)、Verbal(英語)、Analytical(論理)の3科目でした。この試験は、米国人も外国人も、そして理系も文系も同じ問題です。
Quantitativeは高校数学レベルであり、理科系の大学卒業者にとっては易しく、時間にも余裕がありました。Analyticalは「頭の体操」を複雑化したようなクイズでかなり難しく、時間は切迫します。
そして、Verbalはこの世の地獄でした。

TOEFLは、あくまでも米国の大学に入学希望する《非・英語国民》が、授業を理解する能力を持つかどうかを見る試験です。TOEICも《非・英語国民》の英語能力を点数化する試験です。
しかし、GRE受験者の大多数は英語を母国語とし、おそらく半数以上は文系人間である、その集団の中での能力差が判るものでなければならない。長い文章題にわけのわからない単語が並び、時間は全く足りません。

当時、語学指導を受けていた米国人(MBAを持っていた)でさえ、問題集を見て、
「オーマイガッシュ、俺はこれまでの人生でこんな単語は見たことがない!」
と何度か叫んだくらいです。

国内(ICU)でGREを受けた私は、試験終了と共に疲れ果て、比喩でなく、ICUの教室で《行き倒れ》になりそうでした。

GREに向けた受験勉強の中で私は、
《日常生活ではほとんど、あるいはまったく使わない》多くの単語を学ぶに至りました。
この《苦行》から得たものは、留学中、たまに頭の中の《不要単語集》から語彙を持ち出して、
「おう、お前はそんな難しい言葉をよく知ってるな!」
と米国人学生に(怪訝そうに)感心されることだけでした。

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イリノイ大学大学院から入学許可通知が届き、会社からもいくつか条件が提示されました。
最も重要なことは、3年間の留学は、
《特別休暇》扱い
ということでした。
冠婚葬祭で数日有給休暇をいただくのと同じです。
私は入社前に結婚していたので、他の同期のように「結婚休暇」がもらえないことを、
(なんだか損した気分だなあ……)
と思っていたので、
(うーむ。3年間の結婚休暇というわけか!)
と感動しました。
他の企業では、社費留学も海外勤務に準じた扱いにしているところが多かったのですが、とにかく、制度自体も「走らせながら議論している」状態でした。

帰国後は5年間会社を辞めず働く、という誓約書にもサインしました。

続いて、妻が会社に呼ばれました。
「看守」にもよく言い聞かせておく、というわけでしょう。
子供たちも会社に連れてきていい、と言うことだったので連れてきましたがしつけのできていない5歳と3歳は人事の応接でソファの背によじ登ったりして騒ぎ、途中で女性課員にお菓子で吊られ連れ出されました。

そんなこんなのドタバタの中で、一家四人、渡米する日が来るのです。

この続きは……

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