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ものごとは見たまんまじゃない


ものの奥行きを認識できるのは眼が2つあるからである。
つまり二つの異なった角度からものを見ているから、
自分からその物体への距離もわかるし、
その物体そのものの奥行きもわかるのである。
カッシーラは言う。
「人間経験の深さも(……)われわれの見る角度を変えうること、
われわれが現実に対する見解を変更しうることにも依存している」
この「経験の深さ」、もしくは「経験のしかたの深さ」が
心の深さをつくるのではなかろうか。
いいかえれば、ひとの心に、二つ、またはそれ以上の世界が成立し、
それぞれの世界から、各々べつな角度で同じ一つの対象をみるとしたら、
この「心の複眼視」から、
ものの深いみかたと心の奥行きが生まれるのではなかろうか。
        ――――神谷美恵子『生きがいについて』199頁





▼▼▼一番大切にしている「価値」▼▼▼


人にはそれぞれ、一番大切にしている「価値」があると思う。
それは「お金」だとか「人間関係」だとか「家族」だとか、
その「対象」という位相というよりも、
「○○であること」というような、
自分が世界と向き合う「方法」という位相において。

ある人は「誠実であること」
ある人は「正直であること」
ある人は「全力であること」
ある人は「愛情深くあること」
ある人は「強くあること」
ある人は「謙虚であること」
ある人は「個性的であること」
ある人は「好かれること」
ある人は「評判が良いこと」みたいな感じで。

それを知るには、
「あなたって●●だよね」と言われたことを考えたときに、
最も不本意なものを考えるのが近道かもしれないと思う。

大きく強く男らしくあることが至上と考える人は、
小さい、弱い、女々しいと言われるとキレる。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティは、
「チキン(腰抜け)」と言われるとキレる。
そのことによって彼が「勇敢であることが至上」
と考えていることが分かる。

くりぃむしちゅーの上田さんは、
「男気がない」と言われると、
ワサビ寿司も食べるし繁華街で服を脱げるほど、
「男気」という言葉に弱いとラジオで言っていた。
上田さんにとって「男気」が至上の価値なのだ。
ヨーソローな男なのだ。
長渕剛を愛する九州男児。
漢と書いて男なのだ。

さて。

僕にとってそれは何か自分で分かっている。
それは「深さ」だ。

「浅い」ことが何よりも不本意だ。

敢えて口に出して言うことはほとんどないが、
僕は「深くありたい」と常々思っている。
「深さ」が僕の至上の価値だ。

逆に「浅い」ことに対して耐えられない。
自分が「浅かった」。
これが一番嫌なのだ。

去年、親友のきよくんと例によって、
用事もないのに6時間Zoomで話したとき、
「俺たちに共通するほぼ唯一のものは、
 『深さを重要視する』という点だな」
ということで結論を下した。

どこに発表するわけでもないのに、
「そうだな。
 そのとおりだ。
 分かって良かった」
と言って二人で深く納得した。


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