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夏から逃げろ


健康であれば、わたしたちは器官の存在を知らない。
それをわたしたちに啓示するのは病気であり、
その重要性と脆さを、
器官へのわたしたちの依存ともども理解させるのも病気である。
ここには何かしら冷酷なものがある。
器官のことなど忘れようとしても無駄であり、
病気がそうはさせないのだ。 
      ――シオラン『時間への失墜』


▼▼▼夏に殺される▼▼▼


「夏日」と言われる日が増えてきた。
僕が最も恐れる季節「夏」がやってきた。
僕は夏に勝てない。
夏に殺される。

「このままでは夏に殺されてしまう」
と思っている。

2016年に鬱は寛解したが、
その後記憶する限りで、
2017年、2019年、2021年、2022年に再発している。
毎回、2~3か月、脳みそが動きを止め、
感情が動かなくなり、
絶望の中で地獄を味わうことになる。
仕事にも家庭生活にも甚大な影響が出る。
2016年以降の僕の鬱は「適応障害の鬱」とはまったく違い、
「仕事楽しい。筋トレ楽しい。家庭生活も幸せ」
という状態から、ある日突然、脳が止まる。
そして止まった状態が2か月ほど続き、
ある日突然脳が動き始める。
脳が止まっている間は絶望以外の感情を感じなくなり、
朝起きてコーヒーを入れることも重労働に感じるようになり、
本を一行も読めず、水の中にいるように意識が混濁する。
「ある日突然」というのが怖くて、
ほとんど予兆なく訪れる。
死に神の宣告のように。
発症した日と寛解した日を、
手帳に書けるぐらいに僕の鬱の再発は、
「バイナル(0か1の二進法)」に起きる。
中間というものがあまりないのだ。
聞くところによると痛風とかの発作も、
ある日突然なるそうなので、
それに似ている。

そしてこの2~3か月が始まる「再発の日」、
つまり死に神の宣告の日が、
8月後半~9月に集中している。

昨年心療内科に行った時もお医者さんと話したのだが、
おそらくこの時期には理由がある。
それは「夏の暑さ」だ。
僕の鬱の再発はバイナル、
つまり「閾値」があるわけだが、
その閾値というのは、
枯山水の「ししおどし」みたいなもので、
竹に水が一定量たまった時点で「カコン」といくようになっている。

感覚として、東京の真夏日が僕の、
「鬱のししおどし」に水をためていっているように思われる。
その水は6月後半から貯まり始め、
7月にけっこう貯まり、
お盆を過ぎたあたりで閾値を超えて、
ししおどしが「カコン」といく。
引き金が引かれる。
死に神が宣告に来る。
鬱がある日突然発症する。

そういう「仕掛け」になっていると僕には思われる。
おそらく自律神経が深く関係している。
あまりにも暑いと僕は体調が全般的に悪くなり、
脳が煮えていくような感覚を抱く。
それが蓄積すると、地獄が始まるのだ。

季節性の鬱というのは、
基本的には冬に発症するものが多いといわれる。
日照時間が少なくなるので、
メラトニンやらビタミンDやらがうまく作れなくなり、
脳内のセロトニンが影響を受けて発症すると説明されている。
北欧で冬に自殺者が増えるのはおそらくこれで説明できる。

でも僕の季節性鬱は非定型で、
夏の暑さをトリガーとする。
あまり多くはないが、
知り合いのインドの宣教師のお母さんは、
デリーの暑さで鬱になり、
涼しい州に引っ越したことで治ったというから、
別にめちゃくちゃ珍しいわけではなさそうだ。


▼▼▼避難する▼▼▼


さて。
6月後半に入り、
高温多湿という怪物が襲ってきた。
昨年僕は病院で先生にひとつ相談していた。
転地療養的な感じで、
2023年の夏に、東京から脱出することを考えていると。
僕の鬱を心配してくれる北海道の友人が「夏はこっちに来たら?」と、
数年前から言ってくれていた。

コロナ的な兼ね合いもあり時期を見計らっていたが、
ついに今年、それを実行することにした。
8月に3週間、僕は北海道で過ごすことにした。
3週間で足りるのかどうかというのはやってみないと分からない。
効果があるかどうかもやってみないとわからない。
でもやってみなければ、何も分からない。
だったらやらない手はない。
このまま8月後半から2~3か月動けなくなる、
というのが毎年続くと、僕の仕事も家庭も、人生全般も、
維持していくことが困難になる。
というか、僕の精神が持ちこたえない。
鬱は生やさしい病気ではない。
耐えるのにも限界がある。
これが毎年続けば、魂が崩壊してしまう。

そんなわけで、
8月のほとんどを、
僕は北海道で過ごすことにした。
父を失った僕の妻と、
夫を失った僕の義理の母も、
最初の一週間は連れて行くことにした。
子どもたち2人も合わせて、
最初の一週間は5人で行動する。
普通に旅行を楽しむことにする。
それから2週間は、
たぶん北海道で東京と変わらぬ生活をする。
基本的に東京では家にいるわけだから、
北海道でも友人宅で仕事をする日々だ。
コロナはほとんどの業務をオンライン化可能にしてくれたから、
場所を変えても仕事的にとどこおることがほとんどない。
有り難いことだ。
これがうまくいけば将来、
本当に二拠点生活とかをするようになるかもしれない。
僕にとって「鬱が再発しない」というのは、
どんな犠牲を払っても実現しなければならない優先事項だ。
お金がもったいないとか言ってられない。
鬱が毎年再発してたら、
そのダメージは包括的に甚大なのだ。
人生が持続可能でなくなる。
これはマジで。

飛行機のチケットはもう取った。
最後に北海道に行ったのはたしか2018年だったと思うので、
5年ぶりになる。
静かに過ごすつもりではあるが、
彼の地には多くの友人たちが住むので、
再会が楽しみでもある。


▼▼▼逃げるは役にたち、かつ恥でもない▼▼▼

こんなふうにして、
鬱の対策を立てている。
あと、7月には漢方のお医者さんも探そうと思っている。
去年思ったのだが、再発してから薬を飲んでも、
僕の鬱はあまり意味がない。
いくつかの薬を試したが、
鬱症状の改善にはまったく効果がなかった。
僕の場合はそうだった(効く人は効くのでその人は飲みましょう)。
薬の副作用と鬱の症状という、
二つのものと戦うことになるだけだ。

再発しないことが何よりも大切なのだ。
たぶん精神科医や内科医があまり学んでいない作用機序によって、
僕の鬱は起きていると思われ、
自律神経が深く関与している「気象病」の一種だと思われる。
気象病に効くケミカルな薬はなく、
漢方にそういった類いのものが見つかるかもしれない。

見つからないかもしれない。

僕は信心が薄いのか、
東洋だろうが西洋だろうが、
医療に対する身体の感受性は低いほうだと思う。
プラセボ効果っていうのは、
「医者の権威」を強く信じている人ほど大きくなるそうなので、
たぶん僕は信心が薄く不遜なのだ。
だから漢方に期待しているわけではない。
でも、数%の確立で、
ホームラン級に効く薬に出会えたら、
それは儲けものだと思うのだ。
だから、気象病に対応できる漢方のお医者さんに行こうと思ってる。
それがいかなる帰結をもたらすかは分からないが、
とにかく行ってみようと思っている。

何もしなければ何も分からないのは確実なのだから。
僕は鬱とは和解しているが、
座して死を待つつもりもない。
ジタバタしてやる。
諦めが悪いのだ。

鬱とは和解しているが、
夏とは和解していない。
夏とは折り合いが悪く、
特に地球温暖化後による「人新生」になってからの、
日本の都市部の夏とは、
一生、うまくやっていけそうにない。
だから、逃げる。
逃げるは恥だが役にたつ。
「我慢」は美徳ではない。
「我慢」はクソの役にも立たない。
「ガンバリズム」の日本でこれを言うのは気が引けるが、
もう一度言う。

我慢はまったくもって、美徳ではない。
我慢はクソの役にも立たない。

逃げろ。

逃げろ。

あがけ。

ジタバタしろ。

抵抗しろ。

抵抗しても無駄なら、逃げろ。

一目散に逃げろ。

日本の公立教育と世間で教育されている、
「我慢教」に洗脳されていると、
最後には自分と大切な人を殺されちゃう。

逃げろ逃げろ。

なんだこの結論?

おわり。

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参考文献および資料
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・『食べることと出すこと』頭木弘樹


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