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オリンピックに花束を

東京オリンピック2020は、
「呪われたオリンピック」だった。

まだ過去形にはなっていないのだけど、
招致から開催に到るまでの7年間で、
既に「呪われたオリンピックだった」と、
過去形にして語って良いほどの「実績」をたたき出している。

これは明らかな「WR(ワールド・レコード)」だ。
だってそうでしょ。

ロゴマーク問題、
競技場問題、
暑さ対策問題、
東京湾の汚れ問題、
東京の夏はスポーツに適している発言からの、
謎の帽子型日傘(小池百合子自身は絶対にかぶらない)。
ビルのすべてのドアを開け放ちエアコンの冷気を放出し、
朝顔を人々に植えさせ暑さをしのぐという、
「国家総動員体制」。

そして記憶にあたらしい森会長の女性蔑視発言、
ワクチンを間に合わせるという大見得からの、
ワクチン不足問題。
ボランティア辞退からの、
政権に近い人材派遣会社パソナの9割中抜き求人。
女性を豚にたとえる「オリンピッグ」発言、
「コロナに打ち勝った証」と言うための(2or4年でなく)1年延期決断、
そして、小山田圭吾の「いじめ自慢」からの辞任。
ちなみに招致のための裏金疑惑は今も捜査中です。
そして当初2,000億円でやると言っていたのが、
今すでに3兆円使われている。
これらは税金だ。
すべての国民が等しく3万円、
東京オリンピック2020のために血税を支払ったのだ。
僕の世帯なら3万円×4人で12万円、
東京オリンピックに「血を吸われた」わけだ。

多少なりとも、僕にも怒る権利はあるだろう。
世帯を代表して12万円分ぐらいは、
怒らせてくださいよ。

とにかく東京オリンピック2020は、
何から何まで駄目なオリンピックだった。
過去形にした理由は上記に説明した。
東京オリンピック2020に関して、
何かうまくいったことがあったか?
と逆に聞きたい。

これに答えられる人がいるのなら、
どうか個人的に連絡が欲しい。
論争がしたいのではない。
純粋に、何か上手くいったことがあったのなら、
僕はそれを知りたいのだ。
僕が知らないだけで、
さすがに何か一つぐらい、
うまくいったことがあったのかもしれないから。
是非とも教えてもらいたい。

プチ鹿島という「時事芸人」の人のYouTube番組を、
僕は愛聴している。
この「オリンピックという大惨事」もしくは、
「オリンピックという悲喜劇」は、
安倍首相が招致のときに、
「福島(原発)はアンダーコントロール」と言ったときから、
すべてが始まった、と彼は言っていた。

小さい頃、
パジャマのボタンを自分でしめられるようになると、
嬉しくて自分で毎日ボタンを留めた。
ゴレンジャーとかマジンガーZとか、
その手の安っぽいプリントがされた昭和のパジャマだ。
そのボタンは多くの場合掛け違えていて、
古い写真では僕のパジャマは段違いになっている。

どこで間違いが始まったのか?

最初のひとつのボタンだ。
その最初のひとつのボタンが、
「アンダーコントロール発言」だった、
と鹿島さんは言った。

つまり最初に嘘から始まっているから、
その後のすべてのボタンで、
嘘を糊塗するための次の嘘が必要になる。
不正のつじつまを合わせるための不正が必要になる。

万事がこんな感じで、
「東京オリンピック2020というインパール作戦」は、
進んで行ったのではないかと僕は類推するし、
おそらくさほど間違っていないだろう。

そしてインパール作戦が最終的に、
沖縄沖での「戦艦大和の沈没」という、
「事実上の3,000人の集団自決」という形で、
さらには8月6日、9日の、
2つの原爆という形で、
破局を迎えるまで、
暴走機関車と化した旧日本軍の「インパールメンタリティ」は、
止まることができなかった。

今回のオリンピックで、
ゾンビのようにインパールメンタリティが復活した。

その口火を切ったのが、
インパール時代に旧日本軍の物資供給の要だった、
岸信介を祖父に持つ安倍晋三だったというのは、
ふるえるほど奇妙な一致だ。

このゾンビインパールメンタリティの正体って何なんだろう?
と僕はこの1年、ずっと考えている。

先のプチ鹿島さんは、
「昭和おじさんスキーム」という言葉で、
これを表現している。

これは週刊文春が報じた、
「オリンピッグ発言」で降板した佐々木宏氏と、
チームにいた山崎氏ら、
「昭和おじさんチーム」が、
前任者の女性プロデューサーにした仕打ちなどから分かる。
森会長の会見の所作を見れば分かる。
小山田圭吾の絶望的な想像力のなさを見れば分かる。

つまり、オリンピックは徹頭徹尾、
「昭和おじさんスキーム」によって牛耳られた。

つまりバブルを知る世代より上の世代。
今の50代中頃より上の世代。
最も上は森会長ら80歳代の世代。

彼らが、
「64年の東京オリンピックの栄光を再び」
という懐古趣味で始めたプロジェクトだったのだ。

これは類推ではない。
この昭和おじさんチームのリーダー格で、
そもそもの招致の言い出しっぺ、
石原慎太郎が証言している。

曰く「64年の東京オリンピックで、
毎日アメリカの旗が表彰台にあるのが気にくわなかった。
そのリベンジをしたかった」
と。

失笑ものだ。

オリンピックの趣旨を彼らは絶望的に理解していない。
昭和おじさんたちは、
「過去の不良自慢エピソードを、
 同窓会で飽きもせず毎年繰り返し語る、
 頭の悪いヤンキーたち」と同じで、
「高度成長期とバブルの日本」こそが、
本来の日本だと思っている。

そして小山田圭吾問題に象徴されるように、
彼らには「弱き者への共感能力」や、
「弱者へのいたわりの視線」が、
絶望的に欠如している。
彼らは愚鈍で無神経でデリカシーがない。

そのような人々が残念ながら、
この国のキャスティングボートを握っていた、
ということを、オリンピックは露呈してくれたわけだ。

そのような世代がどうか、
早く「向こう岸」に行って欲しいと、
僕は心密かに思っているけれど、
あまり大きな声で公言できない。

しかし、
このオリンピックが明らかにしたのは
「昭和おじさんの終わり」だ。

彼らに「価値観のアップデート」も不可能だったし、
自分たちの誇大妄想を諦める勇気もなかったし、
弱者への配慮を獲得することもできなかった、
ということが分かった。
悲しいけれど。

そして、
オリンピックを喜んでテレビで視聴する最後の世代もまた、
この「昭和おじさん世代」なのだろう。

視聴者と主催者の昭和おじさんたちはともに、
あと30年もすればこの地球から退場する。
彼らの「功績」があるとすれば、
それは「戦艦大和を派手に沈没させてくれた」ことだ。
これはオリンピックの失敗を意味する。

これを目の当たりにした若い世代が、
同じ過ちを繰り返さないために、
このあまりに無様な失敗は役立つだろう。
いや、役立てなきゃ、
数多くの「オリンピックのために切り捨てられた弱者」が浮かばれない。

脂ぎったおじさんたちをさらに肥え太らせるために、
若い人のエネルギーはあるわけじゃない。
昭和おじさんがまだ想像もしたことのない未来を作るために、
そのエネルギーは温存しなければならない。

オリンピックに出場する選手には頑張って欲しい。
彼らには花束を贈りたい。
そして、オリンピックという戦艦大和を沈没させた戦犯たちには、
愛と敬意と哀悼の意を込めて、
花束を贈りたい。

そして何より、
誰よりも迷惑し、蹂躙され、踏みにじられた
「オリンピックの精神」に、
僕は花束を贈りたい。

本当に申し訳ないことをした。
僕の血税も使った。
僕は2013年の時点で反対していたけれど、
それは言わない。
選挙でそういった人々を選ぶのを、
僕には止められなかった。
だから僕の責任でもある。

オリンピックよ、
本当にごめん。
君は傷ついていることだろう。

君の魂は浮かばれるだろうか?
1936年にナチスがベルリンオリンピックでしたのと同じぐらい、
(何度も言うが僕自身はこの10年投票したことないけど)
僕たちが「選んだ」自公政権は君のことを尊重せず、
君をただただ、利用しようとした。

このくやしさを、
明るい未来のためのエネルギーにすることぐらいしか、
僕には悲しみから血が流れるのを止める術がない。
ただただ、いまは悲しい。
いつかこのくやしさをバネに、
差別や偏見や権力による抑圧のない、
胸を張れる社会を作ろうじゃないか。
おじさんの強権の前に押し黙るしかない社会を、
終わりにしようじゃないか。

昭和おじさんに花束を。

「明るい未来こそ最大の復讐」だ。
涙を拭いて、前を向こう。

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