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聖書は屋外の本


自然のもつ他者性との出会いは、
神というより偉大な他者との出会いまでの
秘跡(sacrament)になります。
  ―――――リチャード・ボウカム『聖書とエコロジー』


▼▼▼小さな庭▼▼▼


僕の部屋は小さな庭に面している。

「庭」。

こんなものを再びもつ日が来ようとは。

僕は生まれたときから今に至るまで、
一度も「持ち家」というものに住んだことがない。
父は普通のサラリーマンだったが、
両親はきょうだい3人を大学にやるため、
家の購入を犠牲にすると、
早い段階で決めていたそうだ。
だからいつも「社宅」だった。
社宅の家賃ってすごくて、
1万円とか2万円とかなんですよね。
父の時代とか、1万円以下だったかもしれない。

だけどそのかわりすこぶる古いことが多く、
岡山に住んでいた時、
極寒の2月のある日、
ニュースで「今日の最低気温は2度です」
と言ってて、部屋の温度計を見たら2度だった。

この壁はいったい何のためにあるんだ、と思った。

ゴキブリは夏は毎日でたし、
定期的に15センチの長さのムカデが出没した。
ゴキブリは「うわっ」ぐらいだが、
ムカデと目が合うと心臓が止まるかと思う。

山の中に社宅はあったから、
ムカデからすると、
「俺の通り道に家なんて建ててんじゃねぇ」
って話なのだろう。

話を戻すと、
18まで僕はずっと点々と社宅に住み、
大学では家賃3万7千円のアパートに住み、
社会人になって20年、
何度引っ越したかもう忘れたが、
ずーっと賃貸の家に住んでいる。
妻もまた「神様に呼ばれたらいつでも移動できるように」
と、持ち家を持つ人生は嫌だと言っているのもあり、
結婚してからも賃貸に住み続けてきた。
そして僕の収入と職業を考えれば、
今後も持ち家に住むことは未来永劫ないだろう(多分)。
ローンなど通るはずもないし、
あと、さっき言った理由で、
持ち家を買うという「意志」もないから。

アブラハムと同じで、
この地上は「仮の住まい」なのだということを忘れぬためにも、
僕はこういう生き方を選んだ。
妻がたまたまそういう人だったのでなく、
僕がそう生きていたから、
そう生きたいと思う女性と出会ったのだろう。
妻は宣教師になることを考えていたぐらいだから。
アブラハムは家を出て旅立つと、
そこでサラに出会うのだ。
(創世記の物語ではこの順序じゃないけど、
 比喩的にね。念のため。)

賃貸に文句はないのだが、
「地面とはお別れ」なところは、
正直悲しかった。
でも、1年前に引っ越した今の賃貸は、
賃貸は賃貸でも、
「かつて大家さんだった人が住んでた二階建ての1階部分」
という、変わった物件で、
ゆえに小さな庭がついている。

僕の部屋のカーテンを開けると、
その庭が見える。

朝、その庭の木に、
ウグイスが止まって歌っている。
東京に住んでいても、
こんなささやかな自然に触れると、
ほんの束の間、息ができる気がする。


▼▼▼聖書は屋外の書▼▼▼


メルマガシーズン3までは、
毎年年末に、
「陣内が今年読んだ本ベスト10」と、
「陣内が今年見た映画ベスト10」という記事を、
3週間ぐらいにわたって発表していた。

僕は年間300冊の本を読み、
100本以上の映画を観るから、
そのなかのベスト10はけっこう面白くて、
これを参考に本を読んだり映画を観たり、
っていう人にも出会ったことがある。

でも、シーズン4では書き方を変えたいので、
ベスト10はやりません。
どうしても聞きたい人は個人的に聞いてください。
こっそり教えて上げます。

でも、今年読んだ本のベスト1を、
ここで発表したいと思います。

それでは言います。

私の今年読んだ本、ベスト1は、

、、、

、、、

ドゥルルルルル、、、

、、、、

バンッ!!

「思想書です。」
「なんのっ!」

、、、あ、ピスタチオの解散が悲しいので、
オマージュしました。

本題に戻ります。
僕の2022年、ベスト書籍、
それは『聖書とエコロジー』という、
聖書学者のリチャード・ボウカムという人が書いた本です。
ちなみにこの本、
今、「ひとりビブリオバトルプレミアム」という、
通常Podcastの有料版で、
分厚く解説していってますので、
よろしければご購入ください。
MP3をダウンロードして、何度も繰り返し聴けます。

▼ひとりビブリオバトルプレミアム『聖書とエコロジー』第1回 販売価格150円
https://note.com/shunjinnai/n/n348befe26a1d

、、、さて。
この『聖書とエコロジー』に、
ウェンデル・ベリーという、
環境活動家/小説家の言葉が紹介されています。
引用しましょう。

〈ウエンデル・ベリーはこう主張します。
「私には、聖書がどれほど屋外の本であるのかが
十分に評価されていないように思える。
ソーローが語っているように、
聖書は空に向かって開かれた本、「屋外の本」なのだ。
聖書は部屋の外で読むのが一番良い。
屋外であればあるほど良い。」〉
(『聖書とエコロジー』179頁)

、、、「聖書は屋外の本」。

本当にそうなんですよね。
詩篇とかヨブ記は言うに及ばず、
福音書だって、イエスは屋外で、
百合の花を指さし、
空飛ぶ鳥を指さし、
野の草を指さし、
「おまえたち、自然がどれだけ天の父に頼っているか、
 自然から学べ」と言ったのだ。

マルコの福音書1章に、
イエスが荒野の試練のとき、
「野生動物がイエスと一緒にいた」
と記されている。
この意味を我々はよく考えた方が良いのだ。

コンクリートで固められた都会で本当に神を感じるのは、
本来相当に難しく不自然な行為であるに違いない。
海なんてまったくない砂漠で
ハワイのフラを感じるのが難しかったり、
極寒のシベリアで沖縄の三線の響きが、
あんまりピンと来ないのと同じく、
大都会で聖書を読むというのは、
その本来の姿から離れていることを忘れちゃいけない、
とウェンデル・ベリーは言いたかったわけだ。

ところが、である。

僕たち現代日本の都市部の生活者は、
「田舎に住む贅沢」をもたない。
いや、田舎に住んでいる人からすると、
「都会に住む贅沢」が俺達にはないんだ、
という話になるのかもしれないが、
これは相互に補完的な話で、
どちらの言い分も正しいのだ。

都会に住んでいる人には、
それなりの事情がある。
本心では田舎に暮らしたくても、
それができないのっぴきならない理由があるのだ。
本社が虎ノ門にあるかもしれないし、
大学の職員だったら勤務する大学が都内にあるかもしれない。
芸術家や作家や表現者は、
情報産業の9割が集まる東京圏・大阪圏が有利だし、
LGBTQ+の人は、
田舎だと人間として扱ってもらえないから都会に住んでるかもしれない。
じっさい、そういう人は多い。
(詳しくは映画『ミッドナイト・スワン』を参照のこと)

とにかく、
都会に住んでいる我々には、
「田舎という贅沢」が享受できない。
ゆえに、神と近く歩むことにおいて、
大きなハンディキャップを負っていると言って良いだろう。
このハンディキャップは質的なものであり量的なものじゃないから、
聖書を1日2時間読んだり、
毎日3時間部屋にこもって祈ったところで、
埋まるような「差」ではない。

我々はどうすれば良いのか。

僕は庭にウグイスが鳴くのを聞いて、
神を感じる。
窓から見える四角い青空から、
神を感じる。
毎日食卓に上がる食べものを神に感謝するとき、
それを育てた農家や畜産家に思いを馳せ、
神を感じる。
(北海道の酪農家で人工授精をし、
 豊橋の食肉処理場で働いていた僕は、
 この種の想像力には事欠かない)

なんていうか、
海がない国に住む人が、
湖でサーフィン(のようなもの)をしているような、
いじましいほどにささやかな抵抗なのだが、
まったく何もしないよりマシだろう。

そんなふうに僕は都会をサバイブしている。

でも同時にやはり、
「聖書は屋外の本」だということを、
忘れないように気をつけている。


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参考文献および資料
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・『旧約聖書』創世記12章/ヘブル書11章
・『新訳聖書』マルコによる福音書1章
・『聖書とエコロジー』リチャード・ボウカム
・映画『ミッドナイト・スワン』
・『クリエイティブ都市論』リチャード・フロリダ

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