映画「怪物」を観た
テレビの仕事を始めたときに一番言われたのは、
「わかりやすく」ということでした。
「誰にでも分かるように」と。
「視聴者は馬鹿なので」と平気で言う放送局員もいました。
もちろん人に伝える職業ですから、
どうしたらその話を真剣に聞いてくれるか?
語る言葉は選びますし、話す順序も考えます。
しかし、誰にでも分かる作品などあり得ない。
それは言葉や映像、
もっと言うとコミュニケーションを過信しているのだと思います。
難しくてわかりにくいことを
5分で説明してくれるのがテレビだと思われている方も多いと思いますが、
実は簡単だと思われている事象の背後に隠れている
複雑さを描いてこそテレビだという価値観も一方で存在するわけです。
だって世界は複雑なんですから。
その複雑さを無かったことにして
「わかりやすさ」だけを求め客に媚びた結果
(すべてとは言いませんが)映画もテレビも幼稚化したのだと思います。
そして現実から逃避した。
「早くこの味が分かるようになれよ」
と大人がこどもを高みへと導くような態度は、
作り手としては傲慢であるといつしか言われるようになりました。
しかし、ではどちらの態度が
よりコミュニケーションというものと
真面目に向き合おうとしているでしょうか?
「誰か一人の人間を思い浮かべながら作れ」。
これもデビュー当時、先輩に言われた一言です。
視聴者などと言う曖昧な対象へ向かって作ったって結局誰にも届かない。
母親でも恋人でも良いから
「ひとりの人に語りかけるように作れ」と。
つまり、作品を表現ではなく対話として捉えろ、
とその人は言いたかったのでしょう。
―――是枝裕和(『歩くような速さで』より)
▼▼▼豊橋の路線バス▼▼▼
先週、愛知県に行ってきた。
豊橋市にも3日間滞在した。
2002年~2008年の6年間住んでいた街であり、
僕の父が中学生のころ佐賀から移住した街であり、
僕の父と母が出会った高校(時習館高校)がある街であり、
今も僕の戸籍がある街だ。
僕が20代のころの教会のユース(中高生会)のメンバーで、
今は豊橋市内の中高一貫校の中学2年生の学年主任をしている友人が、
異文化交流をテーマとした授業の1コマに講師として呼んでくれたので、
前後に教会関係を含むいろんな用事をくっつけて5日間滞在した。
中学二年生への講演は授業で2コマ、
10:50~12:50の2時間だったので、
そのあと夜の予定まで身体が空いた。
僕は体力がないのでホテルで横になるのも良いかなーと思ってたし、
あと、YouTubeやPodcastの録画をするのもありかな、
とか考えていたのだが、
あるアイデアが浮上してきた。
それは、夜までの時間に、
映画を観るというアイデアだった。
ちょうど観たい映画が公開中だった。
是枝裕和監督の最新作『怪物』だ。
豊橋は全国の中核地方都市の類に漏れず、
公共交通機関が発達していない。
じっさい、駅前から講演先の学校までのバスがあり、
それで学校に向かったのだが、
なんと、整理券を取り、
降りる時に現金で支払うというシステムだった。
交通系ICが使えない。
しかも、たとえば料金が390円だとすると、
500円玉や1,000円札を入れると、
110円、610円といったおつりが出るのではない。
いちど500円玉を両替し、
390円きっかりを整理券とともに放り込むというシステムなのだ。
このことに驚いている人間がいる、
ということに驚いている読者もいるのだろうか。
その辺の皮膚感覚がよく分からない。
僕は「東京マウンティング」とか、
「都会マウンティング」をしたいのではない。
僕のことを知る人なら分かると思うが、
都会マウンティングするような類いの人間を僕は最も軽蔑するし、
自分がナチュラルにそんなことをする人間になるぐらいなら、
舌を噛んで死んだ方がマシだと思っている。
僕は田舎を誇りに思っているのだ。
だからこの豊橋のバスの「時間が止まった状態」に、
驚いているというのがそういう風に受け取られて欲しくない。
そうじゃない。
じっさい、レトロな会計に僕は感激するきらいがあり、
今年の春、近所のレトロな豆腐屋で、
おばあちゃんに現金を渡すとレジではなくソロバンが登場し、
パチパチやったうえで10円玉のおつりが来た時は、
感激のあまりその日一日幸せだったぐらいだ。
スマホを持たない僕は、キャッシュレス決済がクール、
なんていう価値観は1ナノも持ち合わせていない。
でも、バスで「現金のみ、おつりなし」っていうのは、
けっこう驚いたんだよね。
それも、人ひとり歩いていない山村部とかではなく、
豊橋のけっこう街中を巡回するバスで。
それでも苦情が来ないということの意味も僕には分かる。
これに苦情を言うタイプの人は、
豊橋ではとっくに最新式の自動車で快適に生活している。
それだけの話なのだ。
豊橋で公共交通機関暮らしの人というのは、
健康上の理由や度重なる違反で運転免許が取り消された人か、
誰かをひき殺すのが怖くて賢明にも免許返納した高齢者か、
法律上の理由で免許が取れない未成年に限られる。
未成年者や特殊な事情の人しかバスに乗らないから、
そのシステムのままでも特段苦情の声が大きくなることがない、
というだけの話なのだ。
そもそもこの人口減少・少子化の時代に、
地方都市の公共交通機関なんて、
基本的に採算は合っていない。
ボランティアでやってくれてるみたいなものだ。
文句を言う方がおかしい。
「運行を続けてくださり、
ありがとうございます!!!」
と、遠ざかるバスを最敬礼で送り出すべきだ。
でも打ち明けなければならないことがある。
くだんのバスに乗り、
降りる時、僕は危うく「無賃乗車」しそうになった。
いや、もっと正確に言えば0.1秒だが、無賃乗車した。
最初にICカード→降りる時は後ろから、
っていう東京のバスの作法が身体に染みついているので、
僕は後ろのドアからお金を払わず目的地のバス停に降り立ったのだ。
地上に降り立った僕に車掌さんが運転席から、
「お客さん、前から降りてくださーい」
とアナウンスしたときヒヤッとした。
手が後ろに回るのではないか。
慌てた僕はもういちどバスに乗り、
車掌さんの横の機械にスイカを当てる。
「ICカードは使えないんです。ごめんなさい」
料金と整理券の番号を赤い文字の「表」で確認した。
「整理券番号1だから、今290円ってことね」
500円玉を投入しようとすると、
「すみません、おつりは出ないんです」
その500円玉を両替し、
掌の上で290円を数え、
そして整理券とともにガシャンと投入した。
1分以上時間をロスした。
車掌さん、まったくイライラしていない。
僕と一緒にバスにいた乗客(2人)、
まったくイライラしていない。
田舎、最高じゃねーか。
東京ならば(そもそもシステム上起こりえないが)
もし同じことが起きたら、
車掌さんからは嫌みの一つも言われ、
乗客の何人かから舌打ちが聞こえることだろう。
田舎、最高じゃねーか。
▼▼▼ユナイテッドシネマ豊橋▼▼▼
何の話?
そう。映画の話だ。
豊橋は公共交通機関があまり発達していないので、
駅→学校→映画館→駅、
という「三角移動」ができない。
駅→学校→駅→映画館→駅 になる。
駅というバスの拠点を通らなければ映画館に行けないのだ。
あと、豊橋は駅前に映画館がない。
駅から車で10分ぐらいの、
ユナイテッドシネマが豊橋唯一の映画館なのだ。
そんな話を友人にすると、
「じゃあ俊君、僕が映画館まで送っていこうか?
その時間授業ないし」
と言ってくれた。
最高じゃねーか。
友人の車で学校からユナイテッドシネマまで行き、
到着したのが14時。
映画の上映は14時50分から。
映画が終了するのが17時過ぎで、
17時20分に映画館のあるホテルから豊橋駅西口まで、
無料のシャトルバスがある。
(このシャトルバスの存在を知るのは、
豊橋に住んでいるローカル民だけだ)
ピタゴラスイッチかのように、
時間のパズルが完璧にかみ合った。
僕には珍しく。
僕は身体が弱く段取りが悪く、
もたもたしていて忘れ物が多いので、
ピタゴラスイッチが破綻し、
計画が台無しになり、
すべてが裏目に出て、
目的も果たせず、なぜか雨に濡れ、なぜかモノをなくし、
「こんなはずじゃなかった」と、
泣きながら家に帰ることが多いのだ。
「こんなんなら出かけなければ良かった」
こんなにうまくいくなんて、
神様、もう僕は死ぬのですか?
と思いながら映画館に入った。
▼▼▼怪物▼▼▼
さて。
この映画館、実は僕にとっては思い出の映画館なのである。
僕は豊橋の牟呂町というところに住んでいたのだが、
このユナイテッドシネマがあるのが藤沢町。
車で7分、原付だとさらに早くて5分で行ける。
当時、レイトショーっていうシステムがあった。
今もあるのかな。
記憶が確かなら、
平日21時以降に始まる映画が1,000円で観られた。
僕は仕事が終わって晩飯を食べ、
その日、聞き屋ボランティアとか、
教会のセルグループとか、
そういった用事がなく、
気になる映画があると、
わりと頻繁に原付にまたがりユナイテッドシネマに行った。
たとえば映画が始まるのが21:05だとすると
20:55ぐらいに家を出た。
余裕で間に合った。
当時は原付を駐められる駐輪場が映画館の真正面にあり、
自動車ならば駐車場から歩くところを、
ダイレクトに横付けできるのも便利だった。
豊橋の平日のレイトショーの映画館は、
たいてい、僕とあと2、3人、
という少人数で、ほぼ貸し切りの状態でいろんな映画を観た。
そこは「僕だけのニュー・シネマ・パラダイス」だった。
1000円で観られるし、簡単に行けるので、
特に心に刺さった映画は2回も3回も観に行った。
3回観た映画はさすがに少ない。
いや1本だけかもしれない。
それが是枝裕和監督の『誰も知らない』だった。
柳楽優弥くんがカンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を獲った映画だ。
あの頃、聞き屋でいつもネグレクトの10代と関わっていたので、
『誰も知らない』は僕の心にぶっささった。
それ以来僕は是枝監督のファンになり、
映画が公開されると基本的に映画館に観に行ったし、
観に行けなくても必ず何らかの方法ですべての作品を観てきた。
その是枝監督の最新作を、
今、あの映画館で観ている、
という状況に僕は酔いしれた。
エモすぎるぜ、この状況は、と。
映画に感動しているのか、
ニューシネマパラダイス的状況にに感動しているのか、
どちらか分からなくなるぐらい、
それはそれはエモい2時間だった。
『怪物』は凄い映画だった。
テンションが上がりすぎて、
調子に乗って頼んだポップコーン「Mサイズ」のデカさに動揺し、
コーラを飲みながら観たゆえか、
開始40分ぐらいでおしっこに行きたくなったので、
尿意と戦いながらの2時間だったが、
凄い映画だった。
学校・性同一性障害・モンスターペアレント・教師の生きづらさ
などなど、現代的なテーマが全部載ってる、
天やの「オールスター天丼」みたいな「全部載せ」作品だ。
いや、是枝監督は『万引き家族』のときから、
ずっと「全部載せ」なのだ。
複数のテーマを同時に走らせ、
それらを共振させるのが異常に上手いのだ。
『怪物』は少なくともあと1回は観ないと、
僕は言語化ができない。
それぐらい多義性・多声性のある作品だった。
バフチンの「ポリフォニー」だ。
いつか言葉にできるようになったら語ろうと思う。
あと、エンドロールで、
「音楽・坂本龍一」
と出た時もぐっときた。
あぁ、そんな情報、ネットで観てたなそういえば。
坂本龍一。
ぐっときた。
あと、安藤サクラの演技は上手すぎるし、
是枝監督の「子どもに自然な演技をさせる力」は、
常軌を逸している。
子どもに演じさせるのが、
世界一上手い監督ではなかろうか。
映画が終わると僕はシャトルバスに飛び乗って無料で豊橋駅西口にたどり着き、
ビジネスホテルで一休みしてから、
夜にはその友人と豊橋駅周辺で美味しいハンバーガーを食べた。
素晴らしい一日だった。
神様、僕はもうすぐ死ぬのですか?
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参考文献および資料
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・『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン
・『歩くような速さで』是枝裕和
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