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表現に関するジレンマ

※ Photo by Dewang Gupta on Unsplash

昨今の事件を受け、表現することのリスクを改めて考えている。

何かを表現する、何かを伝える、問題提起をする、考えを表明する。
すると、表現したことに関して矢面に立たされる可能性がある。
表現する人は、表現しない人より、それだけ危険にも晒されるリスクが高まる。

批判されるかも。さらには、攻撃されるかも。そう思うと、発信することが怖くなる。
批判。これは構わない。議論によって考えが深められるならばむしろ歓迎したい場合も多い。怖いのは、理不尽な攻撃、私刑に巻き込まれてる事。

ただ、発信したら攻撃されるかもしれないから、発信しない。というのは、まさにテロの効果であり、攻撃者に屈するようで、これもまた悔しい。

そもそもそんな葛藤は自意識過剰で、自分の発信で誰かの怒りを買うことなどない。とも思いたいが、発信する以上、誰かに届ける意識がある。

何かを伝える、問題提起をする、考えを表明する。
それらに受け手がどう反応があるかはわからない。

予測が出来ないところが、発信の面白さでもある。
そして、伝えたい、表現したい、そういう欲求を抑圧するのはむずかしい。

「記録自体に意味がある。」「自分のアウトプットのため。」と、影響よりも自身の成長にフォーカスを絞ればいいのだろうか。

少なくとも意識的に誰かを傷つけるような表現はしない。
また、意図せずして誰かを傷つけるような表現にならないことを願う。

こんな悶々とした思いを振り払えずに過ごしている。

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