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みえすぎる時代に : Kyotographie で観たもの(初日)

本多俊一:写真とアートと時々動画

この記事の前述はこちら
https://note.com/shunichihonda/n/n939a37481873

京都には昼くらいに着いて第一声

「暑・・・!」

4月9日。普通にコート着て来たんですけど……さすが京都。太陽からして一筋縄では歓迎しないスタンス。
とりあえず荷物を持ったまま移動するのも大変なので、宿泊先(チェックイン対応時間前ゆえ)一旦スーツケースだけ預けさせてもらうおう、と移動開始。
今回の宿は、どうやら五条の方。電車利用しても18分(駅から徒歩10分)・歩いても19分……けっきょく地下鉄で階段上り下りしたりするなら多少暑くても、まっすぐ地上をサーッと行った方が効率いいんじゃない?って思ってそのままゴロゴロ行ったのですが。

・・

だいぶ後悔しました。

禁煙に成功したらしい。おめでとうございます。(こういう写真を立ち止まっては撮っていたりするから余計に体力を消耗する)

でも京都は新大阪と違って新幹線の駅からそのまま目的のエリアへ出れるというのが良いですね。

今回、最初にまず行ったのがMUGAさんでした(KG+の19番 https://www.kyotographie.jp/kgplus/exhibitions/2022/muga/ )

ご縁あって知り合ったばかりの作家さんではありまして、プロスノーボーダーで会社経営者でもあるという異色の経歴の持ち主。わりと年齢は近い。思考が深すぎてこじらせタイプなので(褒めている)個人的には共感するところが多い作家氏です。

変則的な経歴ルートではありますが、とはいえ制作内容はちゃんとバックグランドと共に「作品たり得るレベル」を構築されています。

こういうのは逆にスポーツ選手だったり経営者としての視点があるからなのかもしれません。ちゃんと作品の先に観客やお客さんがいる、という意識を持たれているように感じます。

「作品たり得る」などと自分が言うには謎の上から目線ですが……

「上手い」とか「面白い」作家さんはたくさんいると思うものの、「それでどうしたいの?」という部分がフワッとしているままの人や(そういう人に限ってステートメントの文量が多い)、アイディアは面白いんだけど、作品の完成度というかアウトプットのクオリティがプロの空気を纏ってない感じというか……
この言い方が自分の中でも、言葉にしにくい、すごく感覚的なもので恐縮なのですが、ある種の「実用レベル」感というか、いろんな場面で「どうもいまひとつ抜きん出てない感じ」ってあると思うのです。デザインとかでもそう。「ここまでが素人仕事、ここからが玄人仕事」みたいな目に見えぬ紙一重のボーダー……伝わりますでしょうかね。。
とはいえ受け取り方は人それぞれなので、個人の感覚によるところがあるので線引難しいし、そのへんの話はまた別の機会へ。

ひとまずMUGAさんはそのあたり考えがちゃんとある作家かと感じています。

もちろん、個人的に「それであればもっとこう……」みたいな部分もあるのですが(それはある意味、誰に限った話ではなく。それこそダミアン・ハースト作品観ても「思うところ」というのはイチ鑑賞者である以上、ありえるのですが)、とはいえそもそものところここまで作ってくるのも並大抵のことではないと思うので現物を実際に見れてよかったです。本人から話も聞けましたし。

作品はピクセル化・・モザイク的な感じで、元にしている素材の意味というか意図もあるのですが、個人的に超訳すると、隠すことがむしろ人間の興味や欲望を刺激している、みたいな。
さらに個人的解釈を加えるとすると、現代の世の中は年々「みえすぎている」からこそ、このアプローチはアートである、と思っています。「みえる」を漢字にしないのはそういうのも含めて。
昔はもっといろんな解像度が低くて、それ故に自然と補完していた世の中だったというか、それが今はいろんな場面で解像感が必要以上に上がってしまって、余計なお世話的に(強制的に)情報を突きつけられていることへのカウンター。

知らなくても良いことと知ってしまったらむしろ消化不良を起こす感じ、とでもいいましょうか。
物事を逆につまらなくしている部分もあると思うのですよね。

挙句の果てに繁茂するデジタル情報はゼロかイチかのデータなのでクリアになればなるほど、ゼロとイチとのギャップにはむしろなにもなくて虚しくなるというか。虚無感が漂ってきます。

人間的にはもっとその隙間にもゆらぎというか、点から点の間に粘っこい接着剤があっていろいろを繫ぎ留めている部分があるからこそ有機的存在というか。

それが作品としてエッジが明確だけど全体は曖昧という相反する状況が共存する状況で表現されているというのはいろいろ語りかける部分があるのではないでしょうか。

作家のInstagramを見ていただいたらなお良いかもしれません。
https://www.instagram.com/muga_4649/

あとこの展示場所も非常に面白い空間で。

喫茶とバーを併設しつつ、ギャラリー展開もしているのですが、縦に長い形でフロア毎に区切られていて、各階へは格子で仕切られている感じで登ったり下りたりする感じなので自ずと視点が変わる感じ、という。29mm相当のスマホカメラでは伝わりきらない……

https://www.instagram.com/cocoto_kyoto/

京都の夕暮れはさすが京都すぎる(語彙)

galerie lieu lieuとして一緒にやっているケビン氏とも合流して、このあと京都市役所前のKyotographieオープニングセレモニーへ……

<続く>

[ひとつまえ→]01: Kyotographie に穴の空いた靴下は履いて行ってはいけないこと
https://note.com/shunichihonda/n/n939a37481873

[ここでお読みいただいたのはこれ→]02: みえすぎる時代に : Kyotographie で観たもの(初日)
https://note.com/shunichihonda/n/nde2b3afe3a18

03: 展示施工の妙。個人出展レベルでどこまでやったら良いのか問題。一周まわって結局ストレートなほうが良いのではないか、という話:Kyotographie で観たもの(次の日)
https://note.com/shunichihonda/n/n2012d03e9ae7

04:思考は歩幅と歩数に比例すること:Kyotographie で観たもの(次の次の日とその次の日)
https://note.com/shunichihonda/n/ncea9dd911173

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本多俊一:写真とアートと時々動画
写真を軸としてグラフィックデザイン…映像などがフィールド。とあるPHaT PHOTO写真教室を経て吉祥寺で写真コミュニティ「吉写」を展開中。ご時世的に物理的(現実の箱)な”拠点を持たないギャラリー” galerie lieu lieu にてアーティストのマネジメントを開始。