本多俊一:写真とアートと時々動画
展示施工の妙。個人出展レベルでどこまでやったら良いのか問題。一周まわって結局ストレートなほうが良いのではないか、という話:Kyotographie で観たもの(次の日)
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展示施工の妙。個人出展レベルでどこまでやったら良いのか問題。一周まわって結局ストレートなほうが良いのではないか、という話:Kyotographie で観たもの(次の日)

本多俊一:写真とアートと時々動画

この記事までの前述話はこちらら
01: Kyotographie に穴の空いた靴下は履いて行ってはいけないこと
https://note.com/shunichihonda/n/n939a37481873

02: みえすぎる時代に : Kyotographie で観たもの(初日)
https://note.com/shunichihonda/n/nde2b3afe3a18

とりあえず最初の日はMUGAさんのところから夕暮れに市役所前で展開されているという公式オープニングセレモニーにチラッと。

赤がキーカラーなのでこうなる。ちょっと重低音響く感(ヤシマ作戦)

とりあえず「行ってみた」感じでひとまず満足。

別件で作業を残していたので、サクッとホテルに向かい本日終了(ここまで一緒にいたlieu lieuのケビン氏はKG+ セレクトに出展している飯田さんらと一緒にオープニングイベントに行ってその後再びMUGAさんと合流して深夜まで呑んでいたらしい。元気。)


翌日になりましてまず赤々舎の姫野さんらが新しく始められた書店・ギャラリーPURPLEへ(というかさっそくKyotographieではないやん、というツッコミは置いていただき)

書店スペースとともに、展示も程よいスペース感からか観覧者との距離感が良かったですね。このときの展示(こけら落とし)は 畠山直哉個展『津波の木』

写真集(あるいは書籍……言葉)と写真・写真家そしてそれを観る人読む人さまざまに混ざり合って思慮が深まる場所になりそうです。

そこから、この日はインフォメーションセンター中心にその近郊から回る感じに。

自分、方向感覚というのがあんまり(あんまり……?)なくて、公式ウェブサイトのマップとgoogleマップがあって本当によかったと思います。紙だけだとどこにたどり着いていることか……

ひとまず行ったところザッとリストアップすると以下の感じ

個人的には、高木直之さんの展示がグラフィックデザインもやっている自分としてはとてもとてもよかったですね。会場(MOGANA)も相変わらずスタイリッシュな空間で、作品のラインとすごくマッチしていたのではないかと。

人感センサーで人が入ると廊下照明が「パパパパパ」って点く

Kyotographieはお寺での展示も多いので靴下が〜とは先の投稿で触れていいますが、文化財など伝統的なロケーションを利用している展示が多いので、展示作品がない箇所もとてもとても、とてもな感じです(とても)。

誉田屋源兵衛の帯とのコラボは圧巻でしたね。ちなみに、毎回ここは「難しい漢字を書くホンダさんだー」と思ってしまうのですが、実際の読みは「こんだ」……こんだでもほんだでも同じ漢字が変換されるという、日本語は本当に難解デス
HOSOO GALLERYでの10/10 現代日本女性写真家たちの祝祭で展示されていた鈴木さんのスタンドの、この結びがあるのが、密かに、すごく良いなと思いました。作品のコンセプトをより深めている感じがしたというか。

最後に時間的に駆け込み的にKG+ SELECTの会場に。

個人的には以前(2020年?)、学校施設を利用していた開催の時のが一番よかったのではないかと思っていますが、今回も熱量は感じました。

東京戻ってきてから、たまたま本田 光さんのepsiteでの展示『うきま』(2022年4月28日(木)~5月11日(水) )で今回のこのKG+ SELECT に出展していた飯田 夏生実さんとバッタリ会えてチラッと展示までの話を聞けた部分も踏まえての話にもなるのですが(そして本多の個人的解釈が大いに含まれます)

つまりのところ選抜されたら「場所は提供されるが、インストールに関しては自分たちでやってね」という。そのスタンス自体は特別なにかネガティブなイメージはなくて、まぁある意味公募展としては普通の話だと思うのですが、会場自体を作り込む運営のディレクションはもうちょっとフォローあっても良かったのではなかったのではないか?と。

というのも、今回のKG+ SELECTに関しての感想、忌憚なく正直に言えば「高校の文化祭っぽい」。

作品の内容が、ではなくて、空間の施工が、というのが主なところです。各作家のプロジェクトは素晴らしいものでしたし、それぞれの作品全体や一枚一枚にすごくパワーを感じました。そういう意味で「熱量は感じた」ということで。

個人的に思ったのはそれら建込みにすごく無理矢理感があったのでは?、というところです。バランスが悪いというか。いろいろ見難い。

けっこう時間もタイトだったらしいのと、そもそものところ予算が付いてない、工事も作家自身(必ずしも本職ではない)感じであるといろんな点で素人感が出てしまうのは非常にもったいない気がしました。

たとえばHOSOO GALLERYも10名の作家のオムニバスであったわけですが、明確に空間設計のプロフェッショナル感があるわけですよ。お金もちゃんとかかっている感じというか。
場所も近いのでHOSOO GALLERY行った後にKG+行ったら急転直下が起きるんじゃないかなと。

ある意味、アンダーグランド感が増してそれはそれでワクワクする、という前向きな感情も起きたといえばそうなのですが……

Kyotographie自体が展示空間を活かしたいわゆるホワイトキューブ型の展示アプローチではないイメージが多々あるので「自分たちもアイディアを盛り込んだことをしなくては!」に囚われすぎてるのかもしれません。

ただ、本質的には「写真として」というのがメインですよね。と。一枚一枚は良いのに全体を俯瞰すると「観にくい」「読みにくい」あげくに作品をとりまく周辺が「安っぽく映る」というのは本末転倒じゃないですかね。

その観点からするとある意味で西村 楓さんの展開は一番ストレートな分、よりまっすぐ(コンセプト的にも?鑑賞者も余計なものを纏わず)向き合えた印象がありました。松村 和彦さんも大胆な施工でありましたが、表現したい部分と工作のバランス(無理な感じがなくて)はよかったのではないかと。写真と言葉が記憶に残り、プロジェクトの内容として真摯に考えさせられるものがありました。

こういうのは、作家自身の中で「他人(一般来場者)が「プロかアマを感じる」ボーダーライン」の線引を体感していて、その上で「自分は(予算的に・労力的に)それを越えることできるか」という判断ができるか、という点に影響されるのですが、実際のところその能力はどこまで作家に必要か……まして施工実務までの工作スキルそのものが果たして本人に必要なのか、と思います。今回のこれに限ったことではなく。
もちろん、「こうしたらこういう形が実現できるよね」という知識はあれば専門職の人と会話できるので、知識や経験値があることは歓迎されることだと思いますが。

普通に空間設計して建てるのだってデザインする人・設計する人・大工する人は別でそれぞれのプロがいて成り立ってますよね。

KG+ほどの規模であれば、そのへんのクオリティコントロールは事務局がもうちょっと介入しても良いのではない?と、と今回のは見てて思いました。今年が初開催ではないですし。入っているのかもしれませんがまったく入ってないように見えました。
KG+ SELECTの企画として製作費の支援はあるとのことですが、個々のセクションとはいえ会場の作り込みに影響する部分すべてを作家一人に完全に任せきるのは厳しいオーダーだと思うのです。

とはいえ、この手の話はなかなかあるあるな現状だとも改めて感じる部分でもあり……
中でも特に資金面が大きな課題になるのは常だと思われますが、そこに作家/作品/プロジェクトなどへのスポンサー獲得するためのなにか施策やマッチングとか……あるいはKyotographieもクラウドファンディングやっているわけですし、ノウハウや拡散パワーを活かしてクラファンプロジェクト立ち上げのサポート(もちろん事務局も展開費用として支援金から何%か確保する)
など、直接的に事務局が出展者に資金提供をするのではなく今だったら間接的にできる手段はいろいろあるのではないかなと思えたりします。

そもそものところ展示会開催における構造的な問題とも言えて、ホントに今回のこれに限った話ではなくて、なかなか手強い部分があると思うのですが、逆に今だからこそ?たとえば最近話題のWeb3.0……DAO的な話もちょうど起きていますし。こういったアートの分野も主催者→出展者→観覧者みたいな中央集権的ではなくもっと分散型になっていくと良いな、と期待します。

自分たちももっとできることを考えていかねば、とも。

ちょっととりとめない感じですが、4000字超えたので、続きはまた別途。

最後に。
今回あれこれ書いたKG+ SELECTに出展している飯田さんは、京都駅ビル7階 東広場北ピロティにて『in the picture: side-B』というKG+ Specialの方にも展開しています。これはすごく壮大な感じでした。

先ほどまでアレコレ書いていたのとちょっと(だいぶ)矛盾するのですが、飯田さんの場合はくろちく万蔵ビルのあの押し込めたごちゃまぜの荒っぽい感じが、ここで大きく開放される!、という見方ができて(なので京都駅の方がside-B)、7階まで登りに登ったところでこの大きな展示が眼前に広がったとき、なんだか救われた気がしたりしました。
これまでの展示でもこのシリーズはいろいろお話も聞いていたので、そういう伏線もありますが……

ともすると逆にラストで感情がひっくり返される映画が如く。

いやはや。展示とはかくも難しいのですね。

帰りの道すがらびっくりするくらい焼けておりました。

<続く>

01: Kyotographie に穴の空いた靴下は履いて行ってはいけないこと
https://note.com/shunichihonda/n/n939a37481873

02: みえすぎる時代に : Kyotographie で観たもの(初日)
https://note.com/shunichihonda/n/nde2b3afe3a18

[ここでお読みいただいたのはこれ→]03: 展示施工の妙。個人出展レベルでどこまでやったら良いのか問題。一周まわって結局ストレートなほうが良いのではないか、という話:Kyotographie で観たもの(次の日)
https://note.com/shunichihonda/n/n2012d03e9ae7

04:思考は歩幅と歩数に比例すること:Kyotographie で観たもの(次の次の日とその次の日)
https://note.com/shunichihonda/n/ncea9dd911173

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本多俊一:写真とアートと時々動画
写真を軸としてグラフィックデザイン…映像などがフィールド。とあるPHaT PHOTO写真教室を経て吉祥寺で写真コミュニティ「吉写」を展開中。ご時世的に物理的(現実の箱)な”拠点を持たないギャラリー” galerie lieu lieu にてアーティストのマネジメントを開始。