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写真展「OBLIVION」 | SHUNICHI ODA

「想像の芸術」としての写真、新しい写真表現は何か問いかける。 NITESHA KYOTO にて、写真展「OBLIVION」が開催

写真展「OBLIVION」を、2021 年 9 月 3 日〜11 月 22日、NITESHA KYOTO で開催します。本写真展は、2020 年に緊急事態宣言下、東京の夜の街を撮影した写真集 『Night Order』を発表し、2021 年には、世の中の「正解」を疑い、「タブー」に挑戦する POP-UP アートフェア 「Gallery of Taboo」をプロデュースした写真家小田駿一の初めての単独個展として開催されます。今回、発表される 写真作品は全て屋久島で撮影された写真群です。

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STATEMENT

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COMMENTARY / 解説

#1 記憶を映しとるからこそ、伝えられる希望

写真を本質的な機能の一つに、「記録」があります。その「記録」が「記憶」に置き換わるためには、「記憶」を持つ人の主観性が必要になります。

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写真を発表するということは、ある種の「記録」を発表するということであり、私の主観性が潜んだ「記憶」を発表するということでもあります。

発表するに足る、鑑賞者に対して伝えるべき「記憶」 はなんなのか?
私と鑑賞者の間に共通項をもち、鑑賞者の心を動かす「記憶」とは?

そんな問いを頭に浮かべながら、日々写真を撮影していました。そんな時、たまたま仕事で訪れた屋久島。初めて訪れたのに、どこか懐かしく、落ち着いた気持ちになれました。

一方で、突然の雨や、急峻な山間部には頭を悩まされました。圧倒的な自然に対峙した時に、私に去来したのは「恐れ」というよりは、もっと暖かい「落ち着き」だったり、も っと平坦な「諦め」だったり。そして、それは時に言葉には表せない美しさに出会わせてくれる「感謝」であったりもしました。

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そんな時にふと、先ほどの問いが頭をよぎりました。僕がふと感じているこの感覚は、実は多くの人も同じように感じ ているのかもしれないなぁと。

だからこそ、屋久島という土地はこれだけ多くの人を惹きつけるのかもしれないなと。私だけが感じていると思った「記憶」は、悠久の時を超えた自然が宿る屋久島を媒介とすることで、他の人々とどこかで共通底を持った「共記憶」とも言えるかたちに昇華できるかもしれないと思いました。

屋久島の自然に向き合い、私自身が惹かれる理由を突き詰めていると、やっぱり日本に古くから住んで来て我々は自然の豊かさに生かされて来たのかもしれない。

いつもは無自覚で、忘却の彼方にある自分と自然の関係性。でも、確かにこの豊かな自然は悠久の時をかけて、私たちの性質を形作っているのだろうと。

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森林が豊かだからこそ、日本には綺麗で豊富な水があります。その水は、日本で稲作を可能にしました。争わなくても、助け合うことでより豊かになれることを私たちの祖先に教えてくれたんだろうと思います。砂に覆われた砂漠では こうは行かないでしょう。日本に住む人々が、戦争や自然災害から協調と共助を持って立ち上がってこれたのは、自然が教えてくれた「調和の心」があったからなのかもしれません。

2021 年、世界は新型コロナウイルスの感染拡大に頭を悩ませています。私自身も、そして多くの方も未来が見通せず、不安な気持ちでいるのではないでしょうか。不確実な未来の希望を無責任に叫ぶわけでも、現在の不完全さを憂うわけでもなく、私たちが今日まで生かされて来た所以をもう一度過去に立ち戻り、振り返ってみてもいいのではないかと思います。悠久の過去に刻まれた記憶が私たちを生かしているのだから。 忘却の彼方に、希望があるのかもしれません。

#2 「想像の芸術」としての写真
アナログメディアの新しい表現の可能性

これだけ情報通信技術が進展した今、情報量では動画に比べ劣る写真に未来はあるのだろうか?今はあるかもしれないが、10 年後、20 年後、100 年後にも未来はあると言えるのだろうか?

この問いは、写真家になった時から私を悩まると同時に、想像意欲を刺激してくれる命題でした。そして、その問いに対する私のいまの答えは、「写真には未来はある」です。

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同じような問いは、俳句や詩にもいえるかもしれません。情報量という意味では、映像メディアには写真同様、太刀打ちできません。それでも、俳句や詩にはその形態だからこその美しさや味わい深さがあると思います。私なりに、その魅力を言葉にすると「想像の余白」ではないかと思うのです。

五・七・五という極めて限られた言葉で構成された芸術だからこそ、多分に想像の余地があります。この句はどこで読まれたのか?どんな音が聞こえたのか?対象はどんな形 だったのか?想像しようと思うと、無限に想像が膨らみます。ある種の曖昧性が魅力を増しているとも言えるのかもしれません。



表側のコンセプトとの連動では、「OBLIVION」というタイトルと連動する写真の「記憶化」を象徴する加工でもあり、裏側のコンセプトでは「曖昧化・印象化」を施すことによる写真表現の拡張を考えてみました。

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写真も、ある瞬間を、ある画角で切り取ります。止まることがない現実をある瞬間で切り取るという「非現実性=瞬間性の魔法」は写真の大きな魅力です。

そして、ある画角で切り取られるという情報の限定性も「想像の余白」を鑑賞者に与え、一層その魅力を引き立てます。ただ、その嘗てから存在する魅力だけにいつまでも縋っていてもいいのか?という釈然としない気持ちも心のどこかにありました。

今回の作品群は、あえて現実にある場所の図像を「曖昧化・印象化」しています。それは、写真がもつ写実性を大切にしながらも、嘗て写実絵画全盛の時代に、印象派が新しい表現として出てきたように、写真の写実性に対する挑戦であり、新しい提案でもあります。

「曖昧化・印象化」された写真だからこそ、より写真の魅力である「想像の余白」が広げられるのではないだろうかという試みです。細かいディテールに拘泥するのではなく、写真に潜む意図に思いを巡らす入り口の鍵のようなものです。

また、この提案は時間を写真に織り込むという意味も込められています。ブレや、にじみがある表現は数秒〜数分の時の移ろいを表現しています。あくまで限定された時間ではあるのだけれども、「一瞬」という瞬間を拡張する試みでもあります。

展示に関して / About EXHIBITION

写真展「OBLIVION」 | SHUNICHI ODA
会場 : NITESHA KYOTO(京都府京都市上京区下木下町144−4)
会期 : 2021 年 9 月 3 日〜11 月 22 日
開館時間 : 13:00〜18:00
開放日 Open Day : 9/3ー9/5、9/17ー9/19、10/15ー10/17、11/20ー11/22
(作家在廊/予約不要) 上記の日程以外は予約制となります。
観覧料 : 無料

Profile / プロフィール

小田駿一 / SHUNICHI ODA (www.shunichi-oda.com )

1990 年生まれ。2012 年に渡英し独学で写真を学ぶ。 2017 年独立。2019 年に symphonic 所属。 人物を中心に、雑誌・広告と幅広く撮影。

アートワークとしては、2020 年に緊急事態宣言下、東京の夜の街を撮影した「Night Order」シリーズを発表。2021 年 には、「GalleryofTaboo」を主催し、新作の「OTONA性 - 百面相化する自己意識の果てに」を発表した。社会との繋 がりの中から着想を得て、人の心と行動を動かす「Socio-Photography」を志向する。

フォトグラファーの小田駿一です。頂きましたサポートは、写真家としての作品制作費として使わせて頂きます。