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「馬毛島」をめぐる市長と市民の苦悶――軍事基地建設で揺れる鹿児島県西之表市で《前編》

 この地で今、起きていることをほとんどの国民が知らずにいるのは、どう考えてもおかしいと思う。「基地」をめぐり、沖縄同様のニッポンの現実が、ここから見えているのだ。「鉄砲伝来」で知られる鹿児島県・種子島。その沖合にある馬毛島――。その島がほぼ丸ごと、自衛隊とアメリカ軍が共同使用する巨大軍事基地にされようとしている。2023年1月12日、防衛省は基地の島での本体工事に着手した。一方、基地反対を掲げて当選した市長は計画への賛否を明確に表明せず、反対派の市民らは厳しく批判。昨年末には市民有志が「公約違反」としてリコール署名運動も行っている。「有事」の危機が煽られ、「防衛力強化」の名のもとに南西諸島で進む軍備増強は、島の人々と地域社会に何をもたらしているのか。 

 1、賛否を問われ・・・

 1月11日、種子島の西之表市役所と鹿児島市の県庁を防衛省の担当幹部らが訪れた。八板俊輔(やいた・しゅんすけ)・西之表市長と塩田康一知事に対し、12日に公告する馬毛島での基地建設や訓練実施に関する環境影響評価(アセスメント)の評価書の内容、基地建設の本体工事着手の日程などを伝えるためだ。

 同省幹部との会談後、八板市長は記者団から改めて基地建設への賛否を問われたが、この日も明言はしなかった。

 「申し上げている通り、まだそういう段階ではないと思っております」  

 「環境アセス以外にも市民の不安とか、あるいは期待とかいうものがありますけれども、それの(判断)材料というのはまだこれから引き出すべき余地が残っておりますので、そういうことを踏まえて申し上げたいと思います」

防衛省幹部との会談後、記者団の質問に答える八板俊輔市長(NHKニュースより)

 翌12日、防衛省は環境影響評価書を公告したうえで、すぐに馬毛島での本体工事に着手。同日午後、西之表市や東京の首相官邸前では、着工に抗議する市民らの集会が行われた。

 馬毛島での基地建設問題が浮上して16年。事態は新たな段階を迎えた。全国的には大きなニュースにはならないが、この国の「民主主義」そのものが問われるような状況が南の島で続いている。 

 2か月ほど前にさかのぼろう。

 2、住民説明会で

 鹿児島港から高速船に乗って1時間半。島影が見えてくる。馬毛島は種子島の西約10キロの位置。周囲16・5キロの小さな島で全体に平たいが、高さ70メートルほどの「岳之腰」(たけのこし)が突き出ている。かつて島の大半を所有していた開発業者の白いビルも見える。馬毛島を右手に見ながら、ほどなく船は種子島・西之表港に到着する。 

洋上から見た馬毛島。左の小山が岳之腰、右手の建物は開発業者の社屋=鹿児島県西之表市
防衛省ホームページより

 11月20日、東京に比べればまだ暖かだ。この日午後6時、西之表市の市民会館で、市当局による馬毛島基地建設についての「住民説明会」があった。前日に続いて2日目。会場には市民70人ほどが集まり、壇上中央に八板俊輔市長、両脇には副市長ら幹部が座る。

 八板市長が挨拶を述べる。

 「基地建設の予算が閣議決定され、3月に国会で承認され、本体工事着手への準備が進められています。一方で、住民の不安や期待に対する国の対応は十分とは言えず、残念ながら安心・安全に関する諸課題がなお解決されておりません。市民の不安解消には至っておらず、現時点で『同意、不同意』が言える状況にはないということを9月議会で説明しました。そのような状況で、最も優先すべき私の使命は、市民の安心・安全の確保と不安解消に全力を尽くすことだと考えております」

住民説明会で挨拶する八板俊輔市長=2022年11月20日、西之表市民会館

会場の市民から質問の手が挙がる。

「本当に市長は基地を止めようと思っているのか。私たちは、市長が基地建設に同意できないとおっしゃったので応援してきました。市民の期待を裏切らない態度表明をしていただきたい」

 そう問うたのは迫川浩英さん。「馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会」の事務局次長を務める。連絡会は2年前の市長選で八板氏を支持していた。

 市長は答える。「私は常に公約を意識して行動しておりまして、現実の動きに対応するために最善の方法を探しながら対応しているということであります」

 会場からはさらに厳しい声が相次ぐ。

 「本当に公約通り(基地建設に)同意しないのか。それとも防衛省に沿った判断をするのか。『再編交付金』を受け取るということは、防衛省の『危険物』を受け入れることでは? まことに失礼な言い方だが、荷が重いと言うなら速やかに辞任をお願いしたい」

 「馬毛島の文化的価値は何ものにも替えがたい。それを分かっておられるのに、主体性のない従属的な『行政手続き』を行うという。重大性が分かっていない」

 批判の声に会場からは拍手。多くは2021年の市長選で八板氏を支持した市民と思われる。その人々から厳しい意見が出るのには、この問題をめぐる22年2月ごろからの市と市長の対応が、支持者にとっては納得し難いものだったからだ。

説明会で八板市長に質問する市民ら=2022年11月20日、西之表市民会館

 そのことを説明する前に、まず、八板市長と本稿の筆者である私の関係を明らかにしておくべきだと思う。西之表市出身の八板氏は、地元の小中学校、鹿児島市の高校から早稲田大学に進み、卒業後、朝日新聞社に入社。主に社会部で35年間、新聞記者を勤めた。

 実はその間、私も同じ新聞社に記者として勤務し、在籍期間は20年以上重なっている。1990年、西部本社社会部で直属の部下としてサツ回り(事件記者)を担当したのを皮切りに、沖縄の米軍基地問題などで、ともに取材をしてきた。

 えらぶらず、仕事は丁寧。情に厚く、部下思い。記者時代を通して信頼してきた先輩の一人である。「市長」などと呼ぶよりも「八板さん」と呼んだ方がずっとしっくりくる。

 それ故に、故郷の島に帰って市長になった八板さんが、目の前で市民からの批判の礫を一身に浴びる姿には、胸をしめつけられ、いたたまれない気持ちになる。その心情を明らかにしたうえで極力冷静に、今この島で起きていることを伝えたいと思う。

 馬毛島の基地建設計画については、2021年8月31日にnoteで公開した「島々を日米同盟の『盾』にする軍事要塞化計画――鹿児島県・馬毛島で何が起きているのか」でも書いている。
https://note.com/shunichi_k/n/n11dd493db938

 まずは経緯の概略から振り返ろう。

 3、「馬毛島基地」建設とは

 馬毛島にアメリカ軍の訓練用基地を建設する計画をメディアが報道したのは2007年のことだ。西之表市など周辺の自治体は反対の声を上げ、防衛省にも申し入れたが、同省は当初、馬毛島への訓練移転の話は一切ない、などと否定していた。ところが、当時の民主党が政権にあった2011年、事態は急変する。

 東日本大震災から3か月後の6月、「日米安全保障協議委員会」がアメリカで開催される。両国の外務・防衛担当閣僚が出席する安全保障政策の会議で「2+2」(ツープラスツー)と呼ばれる。この会合で発表された文書に次のような文言があった。

 「日本政府は、新たな自衛隊の施設のため、馬毛島が検討対象となる旨地元に説明することとしている」

 周辺の自治体は衝撃を受ける。日本政府は地元の意向を無視して、アメリカと勝手に約束してしまったのだ。

 続く文章には、その「施設」が「通常の訓練等のために使用され、併せて米軍の空母艦載機離発着訓練の恒久的な施設として使用されることになる」と明記されていた。「空母艦載機離発着訓練」とは、滑走路を空母の飛行甲板に見立てた発着訓練だ。「FCLP」と呼ばれる。つまりアメリカ軍機が定期的にやってきて発着を行うというのである。

 西之表市の長野力市長(当時)は、馬毛島周辺の中種子町、南種子町(いずれも種子島)、屋久島町(屋久島、口永良部島)の1市3町の反対運動の先頭に立ち、2年後の市長選では圧倒的な支持を集め、3選を果たす。「騒音や事故による影響がある。交付金も、訓練移転で発生する産業も一時的」と言って反対を貫いた。

 2017年の西之表市長選には基地建設に賛否を掲げる計6人の候補が立ち、再選挙の結果、基地建設反対を表明した八板氏が初当選を果たした。

 その間、防衛省と地権者側とは価格交渉で難航し、一時は立ち消えの話まで出たが、2019年、最終的に国が約160億円で買い取ることで合意が成立する。
 

 4、「受忍限度を超える」騒音が

 では、防衛省が馬毛島につくり上げようとしている基地とは、どのようなものなのか。

 「2+2」での合意の翌月、2011年7月に防衛省から地元への最初の説明が行われた。資料には、馬毛島をどう使うか、について①大規模災害における展開・活動②離島侵攻対処訓練――を挙げたうえで、「FCLP」については、こう書かれている。

 「空母出港前に必要な訓練であり、空母艦載機が空母に安全に着陸できるようパイロットの練度を維持するため、飛行場の滑走路の一部を空母に見立てて実施する着陸訓練。FCLPのうち、夜間に実施される訓練をNLP(Night Landing Practice:夜間着陸訓練)という」

 少し説明すると、海軍航空隊の航空機は、地上の飛行場を発着する空軍機とは違い、洋上に浮かぶ空母の狭い飛行甲板に着艦しなくてはならない。着艦後何らかのトラブルが起きた場合、すぐにエンジンを全開させて再発艦を試みる必要がある。そのために出港前、あらかじめ陸上の航空基地でそのための訓練を行う。「タッチアンドゴー」と呼ばれるもので、いったん滑走路に着地してから、すぐにエンジンをふかして飛び上がり、それを延々と繰り返す。

 なかでもタッチアンドゴーを深夜に行うNLP(夜間着陸訓練)の騒音は、並大抵ではない。米海軍厚木基地(神奈川県綾瀬、大和両市)には、かつて横須賀基地(同県横須賀市)を母港とするアメリカ海軍第7艦隊の航空隊が駐留していた。そこでは周辺住民が何度も訴訟を起こし、判決は、受忍限度を超えるとして国に賠償金の支払いを命じている。 

防衛省資料より

 厚木基地は沖縄の普天間飛行場と同様、住宅密集地の中にある。あまりに騒音がひどいため、1991年からは周囲に有人島のない小笠原諸島・硫黄島の自衛隊基地で実施されていた。だが、「在日米軍再編」の一環で、2017~8年、艦載機部隊が厚木から山口県岩国市の岩国基地に移転。そこから硫黄島までは約1400キロの距離があり、中間に滑走路もないため、米軍側から代替地を強く求められていた。岩国から馬毛島までなら3分の1以下の約400キロで、緊急時に降りられる飛行場もその間にあるというわけだ。

防衛省資料より

 2020年の説明資料では、2本の滑走路や港湾施設を建設し、島のほぼ全域が基地で覆われることが明らかに。自衛隊については12通りの訓練を列記。最新鋭ステルス戦闘機F35Bの短距離離陸・垂直着陸を含めた離着陸訓練、V22オスプレイなどを利用した部隊の展開訓練、空挺部隊の降下訓練、海では離島での戦闘を想定し、ホバークラフト艇を使用しての着上陸訓練――など。島の東岸部に建設する計画の港湾施設には、海上自衛隊の護衛艦「いずも」「かが」(1万9950トン)の入港が可能になるとみられている。両艦は事実上の空母に改修される予定で、ステルス戦闘機F35Bが搭載される。

 陸海空自衛隊と米軍の訓練機能が集結した例のない軍事要塞が、小さな島に建設されようとしているのだ。

 もうひとつ重要の部分を、防衛省は説明していない。鹿児島・奄美大島から沖縄・先島諸島にかけて現在、自衛隊のミサイル部隊配備が進んでいるが、馬毛島基地はそれらとも連動し、南西諸島全体を対中国の「防壁」に仕立て上げる計画の一角とみられている。つまり武力衝突が起きれば住民を巻き込んで自衛隊がアメリカ軍の「援護射撃」をするための軍事施設の一部であって、決して種子島などの離島を防衛するものではない。それどころか、万一、戦争になれば島々は相手からの攻撃対象になり得るのだ。
 
南西諸島で進められるミサイル要塞化については、「対中国の『ミサイル要塞』にされていく南西諸島――国民を「捨て石」にする戦争を繰り返してはならない」(2021年4月19日掲載)を参考にしていただきたい。
https://note.com/shunichi_k/n/n361ad090e7cf> 

 5、自然と文化の「原風景」

 防衛省が目をつけた「馬毛島」とは、どのような島なのか。

 面積8・2平方キロメートル。周辺は豊かな漁場があり、トビウオ漁が盛んで「宝の島」とも呼ばれた。1950年代に入植が始まり、サトウキビ栽培や酪農が行われ、最盛期には500人以上が居住。小中学校や製糖所も建てられ、一時期は栄えた。だが島での生活は厳しく、60年代には人口減少が始まる。その後、リゾート開発や国家石油備蓄基地の立地話が出るが、やがて無人のまま放置される。

 95年に「立石建設」(本社・東京、後に「タストン・エアポート」に改名)という会社がリゾート開発を目指すがうまくいかず、貨物専用のハブ空港にする計画で大規模な造成工事を行い、乱開発の跡は今も残っている。

種子島より見た馬毛島=2022年11月5日、西之表市

 西之表市西岸より見た島影に愛着を持つ人は多く、中央付近の「岳之腰」を「西之表市の富士山」と言う人もいるほどだ。

 そして馬毛島を特徴づけるのが、ニホンジカの亜種のマゲシカが生息していることだ。狭い島の中で独自の生態系を維持し、非常に貴重な存在だという。

馬毛島に棲むマゲシカ(川村貴志さん撮影)

 さらに、西之表市が、市史編纂のため22年10~11月に行った文化財調査によって、旧石器時代の3万3000~3万年前の石器とみられる遺物が発見された。12月には鹿児島県教委が文化財保護法に基づいて「周知の埋蔵文化財包蔵地」に決定し、「八重石遺跡」と命名した。場所は島の中心部で防衛省の計画では基地区域内にあたり、周辺で滑走路などの整備が予定される。今後、県教委が遺跡に影響を与えると判断すれば、強制力はないものの、発掘調査を勧告できる。

 風景、自然、文化、歴史――。いろんな意味で種子島の人々にとって貴重な存在の島である。だが防衛省の計画では、「岳之腰」は削り取られる。ほぼ全島が基地化されれば、自然も文化遺産も破壊されることは目に見えている。

 短歌を一首紹介したい。

 嬉しき日辛かりし日もそこに在り 馬毛島はわが同胞の島

 『馬毛島漂流』(石風社、2015年)という書籍に収められた歌だ。島の現地踏査を踏まえ、写真を交えて歴史や自然などを綴ったルポルタージュで、著者は現市長の八板俊輔氏である。

 島内の風景写真に添えられた20首の自作の短歌に始まり、全編にわたって馬毛島への思いがにじむ。島での取材から帰る際に迎えの漁船と連絡がとれなくなり、カヤックを漕ぎ、種子島までの海峡を命がけで渡ったことも記されている。

 「人々は朝、昼、夕、馬毛島を眺めながら、海の青に慰められ、緑濃き森に勇気づけられ、なだらかな岳之腰にしんみりします。馬毛島は心に刻まれた原風景なのです」(同書「あとがき」より)

 現役記者時代の2011年には、馬毛島の乱開発と自然破壊に警鐘を鳴らす記事も書いている。

 八板氏が初当選を果たした2017年の西之表市長選挙は、6人が立候補する混戦だった。最大の焦点である馬毛島基地建設に関しては、2人が賛成、八板氏ら4人が反対を主張。1月の投票では法定得票数に達する候補者がおらず、3月に再選挙が行われ、4人が立候補。3割を超える得票率で八板氏が当選した。

 就任後、市役所庁内の部署を横断して馬毛島の活用策を考える検討チームを発足させ、2017年12月には、「馬毛島活用に係る報告書」を発表。宇宙関連事業の展開、自然環境や文化遺産の学術調査に向けた研究施設の設置、そして次世代が馬毛島の自然や文化を学ぶ体験活動の実施、資金を民間から募るトラストの創設――を掲げた。

 さらに市長自ら、島の土地の大半を所有していた開発業者のトップに掛け合って協力を得、翌年には市内の小学生を募って馬毛島に船で渡り、海水浴や魚釣り、遺跡見学などの体験学習を実施。中高生にも広げた。子どもたちの感想には、いつも目の前に見えながら、初めて上陸して歩いて見た光景に感激した気持ちが綴られている。

 「海が透きとおっていて、こんなにもきれいだとは思わなかった」
 「土地が削られ自然が失われている所も見た。ずっと残して欲しいと思った」
 「時間が昔に戻ったような不思議な気持ちになった」
 「ずっとこのままであって欲しいと願っている」
 「自衛隊や米軍基地になり、自然が壊されてしまうことに危機感を感じた」
 「馬毛島の素晴らしい自然を未来に残すため、学んだことを活かしたい」
 「馬毛島の自然と共存していく方法を選んでほしい」
 ・・・。 

 6、「所見」に込めた思い

 しかし、一地方自治体が、軍事基地計画を推し進める国家と渡り合うのは容易いことではない。

 八板氏が当選して翌年の2018年2月、種子島、屋久島の1市3町の首長と議会による「米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会」が解散を余儀なくされた。米軍FCLPの移転候補地に最初に浮上した2007年に結成された組織で、当時の長野力・西之表市長が会長を務め、地域自治体の反対の声を主導。2011年の日米合意後には、全国から22万人分の反対署名を集めていた。だが、中種子、南種子両町議会が相次いで離脱。両町の町長も代わり、「協議会は反対色が強い」として離脱へ。

 西之表市長に就任した八板氏は、協議会の会長職を引き継ぎ、最初の総会でほかのメンバーから考え方を問われ、「協議会は賛否を問うのではなくニュートラルな立場で正確な情報を収集し、住民に伝えていくための組織」と述べたが、両町との開きは埋まらなかったようだ。

 この時の「ニュートラル」の意味について、市長は翌月のインタビューでこう答えている。

 「問題の根幹となっている計画について、国や防衛省の考えがはっきりしていません。何ができて、何に賛成、反対するのか。正確な情報を収集して住民に知らせ、間違いのない判断を下せる環境にしなければなりません。協議会は誘致するため、反対するためにまとまった集まりではありません。ニュートラルな立場でないといけない」(2017年6月17日付・朝日新聞鹿児島版)

 市長個人の考えを改めて問われ、「計画がどんなものか示した上でならわかりますが、賛成か反対かという問いについては、常に戸惑いを感じています<略>自衛隊に来てほしいかという質問なのか、自衛隊とFCLPはセットだがそれでいいか、ということなのか、はっきりさせる必要があります」(同)。

 就任後の八板氏のこうした発言には、基地建設に反対する市民の間では不満の声もあった。反対姿勢が鮮明ではなく、曖昧であるように見えたためだ。だが、日本では地方自治体は国からの予算を受けて運営されている。首長はその考え方や思想に関わらず、自民党の有力政治家に陳情しなければならないという、日本の政治のいびつな現実が付きまとう。その点は市民には理解されにくいところでもある。

八板俊輔氏の著書『馬毛島漂流』と記者時代に書いた馬毛島に関する記事

 2019年11月、防衛省は、馬毛島の土地の大半を所有する開発業者と買収で合意。この問題は急速に動き出す。

 20年9月、八板氏は再選を目指して次の市長選に立候補する考えを表明。そして10月、「馬毛島問題への所見」と題する5ページの文章を発表した。そこに記されたのは、自らの故郷が「軍事基地化」という巨大な塊に遭遇したことで今後起こりうる事態への苦悩、さらにこの国のあり方そのものへの問いかけを読み取ることができる。著書『馬毛島漂流』に綴られた事々に通じる思いがうかがえた。

 西之表市のホームページで全文を読むことができる。(20201007mageshimasityousyoken.pdf (nishinoomote.lg.jp)

 一部を引用しよう。

 <はじめに>として、「安全保障の課題であるとともに、日本の独立の在り方も問われる重大事です」。

 「日本の領土内に新たに土地を取得して、外国軍(米軍)に施設・区域を提供する例は、沖縄の復帰後、馬毛島が初めてとなります・・・米軍は希望すれば国内のどこでも施設(領土)の提供を受ける最初の事例となります」
「米軍、自衛隊の補給、集積地として馬毛島が重要な施設となれば、軍事上の標的となり、地域住民の安全が脅かされることになります」

 この小さな島に築かれようとしている軍事要塞は、「対米従属」と呼ばれる敗戦後日本の外交政策の中でさえも異例なのだ。米軍機の飛行ルートについては地元自治体の意向など一顧だにされない。基地になれば、森林などの自然や豊かな漁場は失われる。

 「何千年も維持されてきた自然景観が、人為的に替えられます」
 「私は、今回の訓練施設の設置によって失うものの方が大きいと考えます。先人の知恵を歴史に学び、祖先から受け継ぐ故郷を次代にしっかり伝えなければなりません。静かで豊かな環境を守り、地域本来の力を信じて進む道が、常に私たちの目の前に開かれています」

 そして最後――「国の施設案への疑問点をあげ、回答を得た現段階でも、なお不明点は払拭されていません。情報が不十分なまま、国は市民に直接、説明の場をつくろうとしており、事を急いで焦っているように見えます。理解不十分のまま、なし崩し的に進められる懸念が残ります。かかる状況から、国の計画に、地元首長として『同意できない』との判断に至っています。私は、この考えを、国に伝えようと思います」

 綴られているのは、自然豊かな地をこれからも守り続けたいという土着の思想とともに、今や憲法をも凌駕するようになった「日米安保体制」への懸念だ。

 一方、防衛省は11月、地元自治体がまだ同意していない中で、馬毛島基地の本体工事に関連するコンクリートプラントの入札を公告。これについても市長は批判した。

 翌2021年1月の市長選で八板氏は再選を果たす。八板氏は5103票、自民が推す馬毛島基地容認の相手候補は4959票。その差144票の「薄氷の勝利」だった。

 同じ日に行われた市議会選挙では基地への賛否両派が拮抗。議長選出において、基地反対の議員から議長を出すことになり、後に議会は基地推進派が優勢になってしまう。そのことは八板市長の2期目の市政運営に影を落とす。2020年まで3回行われた夏の体験学習は、翌年からは行われていない。推進派の同意が得られず、また島内への立ち入りも困難になり、結局、予算は計上されなくなった。

 八板市政の目玉事業のひとつである市史編纂事業でも、馬毛島の現地調査については防衛省の許可がなかなかおりず、これまでに実施できたのは2021年1月のわずか5日間だけだ。

 2期目に入り、防衛省側の「圧」はさらに強まっていく。

 =《後編》(https://note.com/shunichi_k/n/n753edeecdbd6)に続く=

 =《市長インタビュー編》(https://note.com/shunichi_k/n/n2cb59ece12bd)=

     川端 俊一(かわばた しゅんいち) ジャーナリスト


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