見出し画像

クリミア併合・問題って何か難しそう?基礎知識を5分で分かりやすく解説します!!


皆さんこんにちは、shunGoです!

今回は、ロシアとウクライナの間で起きている国際問題 ”クリミア問題” について基本的な知識を簡単に説明したいと思います。5分で!!!


たまにニュースでクリミア問題が取り上げられていますが、皆さんは”クリミア併合”や”クリミア問題”と聞いてどのような印象を持っていますか??

「ウクライナとロシアがなんか島を巡って揉めてるらしい」
「ウクライナの領土をロシアが奪ったんでしょ?」

少し前の私はまさにこんな感じ!!
実はこれ半分合っていて、半分間違っているのです。

私自身今まで「何となく難しそうな問題だな〜」と思って避けていましたが調べてみると新しい発見があり、とても勉強になったのでシェアしてみます!


①クリミア半島ってどこ??


クリミアという言葉が一人歩きしていて、場所もいまいち分かっていないという方もいるかと思いますので、まずはクリミア半島の基礎知識について。


クリミア半島はウクライナの南部、ロシアの西側に位置している島です。
法律上はウクライナの領土として認められていますが、現在実効支配をしているのはロシアです。

何だか、すでに問題のありそうな匂いがしてきますね笑


このクリミア半島の人口は、約197万人(2013時点)で人口の半分以上をロシア系民族もしくはロシア語を話すウクライナ人が占めています。

またまた、問題になりそうな要素が出てきました笑


この地域は歴史上、時代ごとに異なる国の領土になった経緯があり、それが今回のクリミア併合やその後の問題にも大きく関与してきます。

歴史についての説明は次の章で説明したいと思います。


またクリミア半島は観光地としても非常に有名で、避暑地として毎年国内外から多くの観光客が訪れます。

画像1



②クリミア半島の歴史を簡単に振り返る


今回のクリミア問題を語る上で非常に重要になるのが、この地域の歴史についてです。クリミア半島がこれまでどの国の領土として動いてきたのか、いつから問題が起きてきたのか、歴史を紐解けば見えてくるので簡単に振り返りましょう。


15世紀半ば〜1783年まではオスマン帝国の一部であったクリミア半島ですが、1783年にロシア帝国がオスマン帝国との戦争に勝利しクリミア半島を手にします。

そう、この時代ロシアは勢力を広げるためにどんどん国外に進出していたのです。
またロシア軍の陸軍は当時最強とも言われていました。



その後、1853〜1856年にかけては

勢力拡大したいロシア帝国vsそれを阻止したいオスマン帝国&イギリス&フランス

という構図でクリミア戦争が勃発し、クリミア半島はその中でも特に激戦の地として有名です。

画像2


かの有名なナイチンゲールは、このクリミア戦争を背景に歴史に名を残す人物となりました。


そして1954年、当時のソ連のトップであったニキータ・フルシチョフはクリミア半島をウクライナに移管したのです。

え?なんで??? はい。気になりますよね。


ニキータ氏はウクライナ系の民族であり、個人的にもウクライナは非常に思い入れのある国だったのです。そのため「贈り物」としてクリミア半島をウクライナの管轄に認めたのです。

当時、この出来事は大きな問題になりませんでした。それは、当時ロシアもウクライナもソ連の一部という位置付けだったため、”ただの国内でのちょっとした管理変更”みたいな感覚だったためです。



しかし、1991年にソ連が崩壊ウクライナは住民投票の結果、ソ連から独立しましたが、その後すぐにクリミア自治共和国として自治権を持つ地域としてのポジションを勝ち取りました。

ソ連崩壊時のウクライナ独立に関する投票で、首都圏の約9割が独立に賛成だったのに対し、クリミア住民で賛成したのはわずか54%。過半数といえど非常に独立に消極的だったのです。

それもそのはず。先ほども説明した通り、クリミア半島にはロシア系民族やロシア語を話すウクライナ人が多く親ロシア派が多いのです。



このように、ウクライナ国内では地域によって意見が真っ二つに分かれ、また地理的にもヨーロッパとロシアの中間に位置する小国であるため双方からの影響を非常に受けやすく、現在に至るまで新EU派と親ロシア派に分かれているのです。


そして、互いの衝突が激化したのが2014年のクリミア危機でした。2013年当時のウクライナ大統領は親ロシア派であり、それまで順調に話を進めていたEUとの政治・経済の協定に調印することを最後の最後に「やっぱ考えさせて」と見送ったのです。

これに対しウクライナ国内の親EU派は抗議し、この抗議は死者をも出す大規模な事態となり大統領はロシアへ亡命、そして新たな大統領が誕生しました。その新しい大統領は親EU派でした。


その後も親EU派と親ロシア派の衝突は続き、ついに2014年3月16日、クリミア自治共和国内で、クリミア自治共和国として勢力を拡大するかorロシアに編入するかの住民投票の結果、ロシア編入が過半数でクリミア半島はロシアの一部として承認されそれ以降ロシアの実効支配が続いています。


住民投票の結果に関して、ウクライナ政府の承認は一切ない状態でクリミア自治共和国の一方的な決断であることは明らかであり、国際的にも多くの国から反対をされています。さらに国際連合総会は住民投票を無効とする決議を賛成100か国、反対11か国(棄権58か国)で採択しました。


この日本も、クリミアをロシアのものだとは認めていません。



③ウクライナ/ロシアの両者の言い分は?


ここまでざっくりクリミア半島の歴史を振り返りましたが、ウクライナとロシアの両者にとってクリミア半島はどのような土地なのでしょうか?


まずはウクライナ側から。先にも述べたように、1954年に当時の大統領によってクリミア半島の管轄はロシアからウクライナのものとして正式に認められたもので、間違いなくクリミア半島はウクライナの領土であるという主張があります。

また、2014年に行われた住民投票においてもウクライナ政府が一切認めていないところで行われており、国際法上においても違法であり実際問題各国が認めていないので直ちにロシア軍の撤退をしてほしいという主張。

さらに、クリミア半島は自治共和国といえどウクライナの一部であり、観光地化されているクリミアの経済効果はウクライナにとっても美味しいのです。


一方でロシア側。17世紀ごろからロシアは南下政策を取り他国へ侵略し勢力を拡大しようとしてきましたが、その大きな理由はロシアが地理的に不利な国土であるということでした。

ロシアは非常に寒い地域で、冬には港が凍ってしまい軍事面でも貿易面でも冬の間は非常に不便で、不凍港の獲得を渇望していたのです。

そして手に入れたのがクリミア半島でした。クリミア半島には不凍港がありロシアにとって西側に軍事面・貿易面での幅を広げるための超大事な拠点なのです。


そのため、ロシアにとってクリミア半島は自分たちのものであるという意識が強く、また地政学的にも絶対に手放したくない土地なのです。


④まとめ


いかがだったでしょうか?
ここまで、クリミア問題を歴史を振り返りながら見てきました。

こういった複雑な歴史があり、それが現在に至るまで繋がっているのです。
あなたはクリミア半島はウクライナとロシア、どちらの領土であると思いますか?

コメント、いいねお待ちしております!


では、また!!!!!


【画像引用元】
https://amaterass.jp/languages-in-ukraine/
http://www2.meijo-u.ac.jp/~onishi/overseass14/1-tokusyuu.html
https://sekainorekisi.com/world_history/東方問題とロシアの南下政策/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?