マインドフルネス1ヶ月の取り組みを振り返る

心療内科で模範囚をやっているおかげで資料をまとめて提出することになったんだが、その作業の中で『マインドフルネスのはじめ方』を購入してから1ヶ月経っていることがわかった。というわけで、ついでにこれまでのマインドフルネスの取り組みについても振り返っていこうと思う。こうやって自身の取り組みについてまとめるのもなんかセラピー的なアレがあるらしいで。

読んだ本

・『マインドフルネスのはじめ方』ジョン・カバットジン
・『ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法BOOK1』『同BOOK2』伊藤絵美
・『たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス JOY ON DEMAND』チャディー・メン・タン(※こちらは途中読みで放り投げ)
・『マインドフルネス ストレス低減法』ジョン・カバットジン
・『マインドフルネス入門講義』大谷彰

以前「オタクのためのモチベーション・マネジメント」的なnoteでも書こうかと思っていて、自己決定理論とかいろいろ調べて構成を考えていたんだけど、なんかもうワンパンチ欲しいなという感覚があった。そこで、たまたまTLに流れていたマインドフルネスという単語が目につき、そういえば行きつけの病院でもなんかレクチャーしてるとかいってたなあ、とりあえずいっぺんやってみるかあ、というような感じで本を買おうということになった。マインドフルネスに関しては前提知識は多少あったものの、単なるリラクゼーション法とか、気休め程度のものだろうというような認識であった。それに、自分の問題を「受け入れる」というのはなんか嫌いだった。問題があったらそれを根本的に解決すれば良いのであって、受け入れるというのは目をそらすだけなのではないか、というような感覚があった(後でこの認識は根本的に間違っていることがわかった)。

いざ本を買おうと思ってAmazonで検索したところ大量の本が出てきたので困惑した。wikipediaで調べたところジョン・カバットジンという人が創始者らしいので、この人の本を買おうと決めた。訳書が数冊出ており、んじゃ最新のを、というわけで『マインドフルネスのはじめ方』を注文した。

『〜はじめ方』は本当に衝撃だった。怒ってイライラしたり、焦ってアホなことをやったりということに対し、「我慢」ではなく「手放す」という方法で対処するというのはまさに革命だったように思う。まあ「手放す」ということは『10分間CBTガイドブック』にも書いてあったことなんだけど、感情を手放すっつったって具体的にどうすればいいのか、そんなもん出来るわけねーだろというような感覚だったし、「受け入れる」=「諦める」という認識だったのでソッチ方面には行かないでおこうと以前は思っていた。しかし、『〜はじめ方』によって「自分の内面を客観的に、判断や評価をせずに見る」という方法で感情(による苦しみ)を手放せることが分かったのは大変なショックだった。問題に対して我慢をしたり、目をそらしたりするというのではなく、「しっかり見てから納得して手放す」という逆転の発想。そうするといきなりイライラから解放されてしまった。その日のうちに弟にこれを伝えたら彼も大興奮している様子で、「これ人間が使って良い技術なの」と驚いていた。そのとき俺も弟も特に座禅や瞑想などは行っておらず、単に上記の考え方で自分の思考と感情を見ただけだ。長時間の座禅なしにマインドフルネスの効果を感じることは可能なのだ。

この経験が決め手となって「正式なトレーニング」をやってみようということになった。付属CDの最初の「食べる瞑想」ではレーズンをとにかく観察して食べることになっていたんだが、レーズンがなかったのでコンビニでコーラグミを買ってきた。多分一生分くらいコーラグミを観察したのではないかと思う。

とまあ大変よい本だったんだけど、なんかちょっと分かりにくいところがあったり、訳がこなれてないのか表現に妙なところがあったりと不安な感じがあったので、いろいろ他の本をあたってみようということになった。上記のなかでやはり印象深いのは『マインドフルネス入門講義』であろう。ガチの学者が洋の東西を問わず様々な文献を読み漁り、マインドフルネスのなんたるか、現代医療での応用は、エビデンスはあるのか、といったことを網羅した労作である。ある程度実践した人が読んだら「へーそうだったのか!」となることうけあいだ。ぜひ買って読んで欲しい。kindleやiBooksでも読めるのでスマホのお供に最適だ。

トレーニング実施の成果

というわけで、毎日30分くらいを瞑想やボディスキャンにあてている。毎日の通勤では歩くときに「歩行禅」めいたことをやっているので、退屈せずに済んでいる。マインドフルネスでいろいろな良い影響はあったんだが、やはり「正式なトレーニング」を積んでいくたびに新しい発見があるし、効果が安定してくるという実感がある。

まずイライラに支配されなくなった。なんか嫌なことがあったりするとその日1日イライラしているというのが普通の生活だったが、『〜はじめ方』を読んでからというものイライラすることが本当になくなった。とにかく生活がラクになった。他人がイライラして周りに当り散らしているのを見ると本当に滑稽に見える。(もうちょい修行を積むと彼らにも慈悲を向けられるようになるのだろうなあとは思う)一言で言えば「器がデカくなった」という感覚がある。なにかトラブルがあっても本当に冷静に対処できるようになったし、何か失敗しても自分を無駄に追い詰めることなく自然に反省できるようになった。

一応言っておくが、マインドフルネス実践によって「感情を失う」わけではない。嫌なことがあれば/思い出したらイラッとすることもあるし、嬉しいことがあればヤッターという気持ちになるし、人を好きになることもある。では瞑想によって無くなるものはなにかというと、それは「感情」ではなく「感情による苦しみ」である。よく誤解されがちだが、マインドフルネス瞑想では「心を無にする」ことは特に求められない。なにも考えないようにしよう、感じないようにしようと無理矢理努めるというのは、自分の心に対する「抑圧」であり不健康な行動だ(それを常日頃行っているのが鬱病患者である)。瞑想で何か雑念が生じたら、それに対して良いとか悪いとか評価を下さず、ただ「ああ雑念だなコレは、じゃあ呼吸に戻ろうね」と優しく自分の認識を導いていく。「雑念なんか考えちゃダメじゃないか!さっさと呼吸に集中しろ!!」というやり方は、瞑想ではなく心の自殺である。
そうではなく、感情や無意識による自動的な働きから一歩身を引いて客観的に自分を見つめ直すことで情動を調整する能力を養う、それがマインドフルネスの要諦なのだ。(『マインドフルネス入門講義』)「手綱を握るのは己自身」というゲンドーソーセンセイの言葉が頭をよぎる。

そうすると「集中力」というのも自然と身についてくる。というより「何かに集中しなくてはならない」というプレッシャーから解放されることになるし、集中してるフリをしなくても良いというところにも繋がっていく。ADHDマンにとって作業に集中するというのはほぼ「我慢」と同義である。しかし、マインドフルネス瞑想では自分の内面について「我慢」するということがない。「よく30分も何もせず黙って座っていられるね」と言われることがあるが、これは「黙って座っている=我慢」という認識の表れであろう。実のところ座禅瞑想で我慢が求められることはあまりない。最初のうちは内面を観察するコツがつかめず10分くらいでギブアップしていたけど、今では30分くらいなら余裕で座っていられる。
「呼吸を観察する」といっても、今の呼吸とさっきの呼吸とは同じものではない。心拍数など体の具合は徐々に変化していくし、呼吸のリズムや呼気の量なども同じではない。となると、体を通り抜けていく空気の加減や流速なども違って感じられる。つまり、観察の解像度を上げれば上げるほど、新しい発見(気づき)が生まれる。カバットジン博士はこの「気づき」を重要視している。まあ人間の認知的処理能力には限界があるので24時間ずっと瞑想できるわけではないが、仮に「無心」で座っていたら多分5分も保たないだろう。普通に寝る。

「マインドフルネス」という言葉の意味を考えてみれば分かることだが、これは決して自分の心を無にするということではない。その逆で、自分の内面で起こる体験について真心をこめて把握するということだ。なので、自分の感覚を信用できるようになるし、となると自然と自己肯定感が育つようになってくる。マインドフルネスによって得られる「今この瞬間、自分がここにいる」という確かな感覚は、誰からの慰めよりも自分を強くするという実感がある。自分の人格を確立するために誰かの承認は必要ないのである。「寝ているのは私達です」というアコライトの言葉を思い出さずにはいられない。
何か嫌なこと....例えば「いまあんまし原稿やりたくないなあ」という素直な気持ちが生まれたら、それをダメな感情だと否定するのではなく、優しく把握して受け止め納得して手放す。そうすると、「原稿を進めるために自分を否定する」という不健康な行動をしなくても済むことになる。北風と太陽でいうなら「旅人に直接交渉して納得してもらう」のだ。

というわけでいま依頼のゲンコをすぐに無理なく実行し、今までにないスピードでラフの提出までこぎつけている。特に無理をしたり嫌な気持ちになったりということはないし、ウッとなったらマインドフルネスで対処すれば良いだけだ。実にストレスがない。これ20世紀最大の発明といっても良かったんじゃないかとすら思う。それだけマインドフルネスは自分の生活にインパクトを与えている。


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